東京行き 1

 

病院改築のことで鬼頭に来た拓海は、応接室に通され、茶を運んできた紀子に久しぶりに対面する。

「先生、元気でしたか?」

相変わらずの笑顔で、紀子はそう言う。

「紀ちゃんこそ、無理してないか?」

「お兄ちゃんと毎日会えるし、ここは皆いい人ばかりだし・・・こんなに楽しく暮らしたのは始めて」

「なに?それ・・・じゃあ、結婚やめてここで暮らす?」

歳がいなく拗ねる拓海を、紀子は笑ってなだめる。

「結婚前に実家に甘えてもいいでしょ?ここが私の実家みたいなものなんだから・・・」

第二の家族・・・

鬼頭は伊吹にとっても、紀子にとってもそうなのだ。

「先生も、ここのファミリーに入るんだからね」

藤島伊吹の義弟になるという事は、龍之介の義弟になるのも同様なのだ。

 

「楽しそうやな・・・せっかくの逢瀬、邪魔して悪いんですが、事務的処理からさせてもらってええですか?」

龍之介と伊吹が建築技師を連れて入ってきた。

拓海は立ち上がり頭を下げる。

「この度は・・よろしくお願いいたします」

 

 

紀子は部屋に帰り、聡子から優希を受け取る。

「少し休んでください。優ちゃんは看てますから」

「拓海先生は?」

「今、会議中です」

あまり歳は変わらないのに、紀子は聡子が姉というより、母親のような気がしてならない。

聡子には包容力があった。

紀子の腕の中で。優希はすやすやと眠っている・・・・・

そっとベッドに寝かすと、さっき持ってきて置いておいたテーブルの上の紅茶を差し出す。

「お茶しましょう、私達も」

 

「ねえ、訊いていいですか?」

「なあに?」

「鬼頭さんとお兄ちゃんの事、知ってて結婚したって聞いたんですけど、聡子さんは幸せなんですか?」

紀子は、伊吹と聡子の関係が理解できなかった。

聡子は夫の龍之介よりも、伊吹に思いをかけているように見える。

世間一般の本妻と妾の関係ではない・・・

「私、伊吹さんが好きなの。龍之介さんを愛している藤島伊吹という人が。伊吹さんの代わりに

私は優希を産んだのよ。だから、優希は伊吹さんの息子でもあるの・・・」

そんな愛もあるんだろうか・・・

判ったような、判らないような、複雑な紀子の表情に聡子は笑う

「変でしょう?私。でも幸せなのよ。今回、後継者も産まれた事だし、龍之介さんを

伊吹さんに返すつもりだったんだけど、龍之介さんね”返さんでもええ。もともと俺は伊吹のモンやから、

気ぃつかうな”って言うの。妬けるわね」

聡子は嬉しそうだが、それは喜ぶことではない気がする・・・・

「いいんですか?それで」

「添い遂げて欲しいの。あの2人には。」

妻と言う立場を、初めから捨てている聡子・・・・

姐として、母として残る事で満足している。

「聡子さん・・・」

紀子は涙を流した・・・・

聡子は紀子の涙を拭いつつ微笑む

「かわいそうと思った?」

「いいえ、お兄ちゃんは凄く皆に愛されてるなあ・・・って・・・嬉しくて・・・」

血は繋がらなくても、こんなに伊吹のことを思ってくれている人たちが鬼頭には、いる

それが嬉しくてたまらない。

「伊吹さんは人気者よ。弟分達がどれだけあの人を慕っているか・・・だから皆、その妹の紀子さんのことも好きなのよ」

「私、聡子さんの事、もっと好きになりました。」

「ありがとう」

 

 

 

「じゃあ・・そういうことで・・来月から工事始めます」

建築技師はそう言って立ち去った

「いいんですか?これじゃあ改築じゃなくて、新築ですよ?」

拓海が龍之介を見つめる。

「オヤジとも話たんやけど、先生が伊吹の妹の婿になるとあっては話は別や。紀子さんのために

貧乏はさせられへんからな」

あの・・・拓海は困り顔を伊吹に向ける

「先生は今までの”人助け”のスタンスを守りはったらええんです。ただ・・・それなりの生活水準の

患者も呼べるように・・・ですね・・・」

伊吹は笑顔で答える・・・

「まあ・・・イチャモンつけるチンピラがおったら、すぐ言うてください。ウチの若いもん出動させますから」

はははは・・・・・

龍之介の言葉に拓海は引きつる

確かに少し前、重症のチンピラを介抱したことから、病院にその男を出せと、どこかの組のやくざが怒鳴り込んで来た。 

そこへ現れたのが龍之介と伊吹・・・

「ここの医者は、藤島の義弟にあたるからな、なんかしたら承知せんぞ」

その一言で、ガラの悪い揉め事は一切、花園医院から一掃された・・・・・

改めて、鬼頭組の凄さを思い知った拓海だった。

「鬼頭さんて・・・有名人なんですね・・・」

「そこそこ大きいですから・・・鬼頭は。」

伊吹は謙遜して言うが、そこそこどころでは無い気がした。龍之介は顔パスなのだから・・・

「まあ・・・有名といえば、有名ですよね。組長は”氷の刃”ですから・・」

そんなタイトルを持っていること自体、びびりそうな拓海。

「先生の義理の兄も、私に負けず劣らず”カオ”ですよ。鬼頭の藤島言うたら、知らん奴はおりません。

”鬼頭のカリスマ”ですから・・・」

ほんとに・・・・自分が川から拾ってきて、看病してしばらく一緒に暮らした、あの愛想のいい茂宇瀬さんが、

そんな物凄いやくざとは・・・・しかも・・・婚約者の実兄・・・

「いやあ、力強い味方を得まして・・・光栄です」

人生って判らないもんだと、しみじみ思う花園拓海・・・・

 

「ほな、伊吹とゆっくり話さはったら?」

龍之介はそういって立ち去る。残された伊吹と拓海・・・・

あらたまって向かい合うと、言葉が出ずに沈黙が流れる・・・・

 

「あの・・・・色々とお世話になりました。記憶のない間、なにか失礼が無かったでしょうか・・・」

一緒にいた頃とは、別人のような伊吹に拓海も戸惑う・・・

「いいえ・・・・こちらこそ、病院手伝っていただきまして・・・助かりました」

にっこり笑うその人懐っこさが、昔の龍之介に似ていた。

「患者さんにも人気でしたよ。今でも訊いて来る患者さんいますし・・・”あの男前の介護士さん何処に行ったんですか”

って」

「介護士ですか・・・」

龍之介から聞いてはいたが、自分がそんな事をして暮らしていたとは、想像もつかない伊吹・・・

「特にお年寄りには親切で・・・もう大人気でしたよ」

ははは・・・・

彼が、ただの天然で無いことは、伊吹にも判る。

同じ瞳をしている・・・・自分と・・・・隙が無い。

あの時も、チンピラ相手にひるまなかった。善良だが、自衛能力も腕力もある。

「紀子を宜しくお願いします」

いきなり伊吹に頭を下げられて、拓海は慌てる。

「い、いえ・・・頭を上げてください・・・私こそ・・・妹さんをいただいてよろしいでしょうか・・・」

「先生、私は紀子が地位とか、名誉とか、金などに惑わされず、先生を選んだ事が誇りです」

ふふふふ・・・

拓海は笑う

「私も・・・こんなバカな女性、初めてです。大学病院の教授なんかになったら離縁するって言うんですよ・・・」

俯く拓海の目から涙が溢れる。

伊吹は拓海の手を取る

「先生は、自分の志を貫かはったらええです。紀子は黙って付いていくでしょう。病院は鬼頭がバックアップしますし」

「いいんですか?甘えても?」

「ウチの組長にえらい好かれてますよ、先生は。私にとっては命の恩人やし。まあ・・・ええ拾いもんしたと思うて、

大船に乗ったつもりでいてください」

拓海は笑う

川から流れてきたそれは・・・・義理の兄で、後援者で・・・・

 

「工事中の間に、兄に結婚の挨拶をします。僕達と一緒に行ってください。伊吹さんは親代わりですから・・・」

「はい」

 

静かに微笑む伊吹は、少し、あの愛想のいい”茂宇瀬さん”の面影を宿していた。

 

 

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