迷いと決意 5

 

大学病院の出張執刀と伊吹の定期健診を済ませた帰り、拓海は例の土手で車を止める。

「降りてみます?」

誘われて伊吹も頷き、車を降り土手に降りる。

 

「鬼頭さんのとことに行っちゃうんですか?」

あれからの、紀子の尋常でない騒ぎ方に困り果てている拓海は、ここで落ち着いて伊吹と2人、話がしたかった。

川のほとり、芝生の上に腰掛けて、2人はため息をつく。

「紀ちゃんの事、すみませんねえ・・・いつもは、あんなコじゃあないのに。というか、初めてですよ

人に執着したのは」

え・・・

伊吹は拓海を見る

「ああ見えてあのコ、自分の内側に他人を入れないんです。治療ミスの濡れ衣着せられて、病院追われて・・・

放浪の果てに ここに流れ着いた過去があるから仕方ないけど。」

それにしては・・・

伊吹は思う。紀子に、恨みの思いは見当たらない。

「少し、ブラコンみたいな所があって、お兄さんっぽい人によく懐くんですが・・・」

今日の川は、水位も低く流れも緩やかだった・・・・

「お兄さんがいるんですか?」

「生き別れの」

芝生の緑に広がる、拓海の白衣の裾をぼんやり見ながら、伊吹は遠い昔話のように話を聞く

「お父さんの小さな工場が人手に渡って、借金だらけで どうにもならずに、お母さんは

紀ちゃん連れて別れたそうなんです。お兄さんは、お父さんの所にいて・・・お母さんが生活安定して、

お兄さんも引き取ろうとした頃、お父さん夜逃げしてて、行方不明。お兄さんの行方もつかめないまま

今まで来てるんですって。小さい頃から、お兄さんっ子だったから寂しい思いしたみたいで、

今でも探してるんですよ、お兄さんを。」

膝を抱えて空を見上げる拓海。

年の割には、幼げなその姿に懐かしいものを感じつつ、伊吹は彼を見つめていた・・・・

「お兄さん的な人に、魅かれるんです彼女。でも、今回は異常だなあ・・・あ、でも気にしないで行ってくださいね。」

明るい笑顔を向けられて伊吹は戸惑う・・・・

「不安ですか?鬼頭に帰るのは?」

伊吹は俯く

「いいえ。とても大事な事を忘れていて、それがそこにあるみたいで・・・でも、思い出せなかったらどうしょうとか。」

「忘れてないんじゃないですか?覚えてますよ。貴方は。」

え・・・・

不意に芝生に倒れこんで、寝転がる拓海を振り返りつつ、伊吹は首をかしげる

「貴方の細胞が、誰かを認識している。愛する事は頭でするもんじゃないから。」

感情・・・

理由も理屈もない溢れる感情・・・・

「一旦、会えばいいですよ。噂の”鬼頭龍之介さん”に。奥さんが、あんなに泣いて

会ってくれと言ってるじゃないですか?それとも怖いですか?」

「記憶を失くした私は、皆を傷つけるかもしれません」

「忘れられてショック!〜 とか? 記憶のある時も、無い時も、藤島さんは、藤島さん。

その人たちが本当に貴方が好きなら、それさえ乗り越えられます。でなきゃ本物じゃないですよ。

ま、追い出されたら、花園医院に来てください。歓迎します」

 

忘れていない・・・・覚えている?

何を・・・・

 

繰り返し問いかける。

 

 

自分を待っている誰かは、記憶の無い自分を受け入れてくれるだろうか・・・・

その人は哀しむかも知れない

 

 

いつも脳裏に浮かぶ面影は泣いている・・・・

 

悲しませて泣かせてきたのか・・・

そしてまた

泣かせるのだろうか? その人を・・・・・

 

 

「藤島さん?物思いに耽るのはいいですが・・・遅くなると紀ちゃん、うるさいから。」

拓海は立ち上がって、白衣の裾を払う

 

「藤島さんって、包容力ありますね。」

土手を登りつつ、思い出したように、拓海は振り返る

「?」

「考えてみると・・・僕も酒飲んで、藤島さんに愚痴りましたよね、学生時代の古い友人にも、

そんな事しないんですよ、僕。」

そんな感じがする。人懐っこいが、彼は本心を晒さない。

「昨日、今日、知り合った人に愚痴ったのは意外でした。なんか、藤島さんといると、甘えたくなるんですよねえ・・・」

 

そんな・・・自分の前だけでしか甘える事の出来ない誰かがいた・・・・・

 

誰かが・・・

 

「帰らなければなりませんね。私。」

 

そう、帰らなければ。

その誰かのところに。

 

「心決まった?」

車のドアを開けつつ、拓海が訊く

 

「はい」

 

探そう・・・その誰かを 

探そう・・・自分を。

 

そう心を決めると、伊吹は空を仰ぐ。

 

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