インビテーション 3
「馨、煙草吸いすぎ〜」
夜の10時過ぎに突然、馨の部屋にやって来た光輝は、入るなりそう叫んだ。
見れば、確かに煙が部屋に充満している。
光輝はズカズカと上がりこみ、リビングのソファーに座っている馨の横に腰掛けて、馨から煙草を奪い、
テーブルの上の灰皿で火を消す。
「こんなヘビースモーカーだったっけ?」
「いや・・・・」
考え事をしていたためか、いつになく大量に吸っていたようだ。
「お前は・・・最近吸ってないな・・・」
そういえば、再会してから、光輝が煙草を吸う姿を見たことが無い。
「煙草は、20歳でやめたよ」
「それ逆だろ・・・」
馨から少し笑いが漏れる・・・
「あん時は、はったりで吸ってたんだよ。周りが皆吸い出したら、目立たねえしな〜」
おどけて言いつつも、光輝は馨の精神状態が気がかりでならない。
「なんかあったのか?言ってみろよ」
「いや・・・」
「たまってるんなら呼んでくれりゃあいいのに〜一人で悶々するなよ〜」
と肩に腕をまわして馨を引き寄せる
「ああ・・・」
冗談にも乗ってこない馨に、光輝は深刻になる。
「一体どうしたんだよ」
「なんでもない」
「誰か、なんか言ったのか?」
「気にするな・・・」
そう言って立ち上がると、馨は台所でコーヒーを入れ始めた。
「まさか、俺に飽きた?」
「違うよ」
「浮気してる?」
「してない」
長い沈黙のあと、馨は笑顔で振り返った。
「一人でいると、悲観的になって・・・もう光輝無しじゃ駄目だなあ」
(おかしい・・絶対おかしい・・・まさか・・・あの事がバレたんじゃあ・・・)
父親にも、服部にも口止めしてある。しかし、出版社や大学の学長から漏れないとも限らない・・・
「次の仕事決めたか?」
「いや・・・」
「大学教授にはならないのか?」
「鷹瀬ジュニア扱いされるのは嫌だし、人に勉強教えるのは得意じゃないから。それより、色んな事に挑戦してみたいなと・・」
ふうん・・・頷きつつ、馨は光輝にコーヒーを差し出す。
「それならいいけど、俺のために、お前の可能性を台無しにしたくないんだ」
「馨のせいで俺が潰れるはずないさ。自分では結構、実力派のつもりなんだぜ?」
しかし・・・馨は唇を噛む。実力があっても、チャンスをつかめずに消えてゆく作家達を何人も見てきた。
だから、新井俊二の気持ちは理解できる。
オブジェ的に持ち上げられている馨に憤るのは、当たり前の事だろう。
「心配するな。俺は出世欲ないから」
出る杭は打たれる・・・有名になれば、実父と引き合いに出される。2世は辛い・・・
「世間から注目されて、気を使って暮らすより、馨と静かに暮らしたいなあ・・・」
光輝が女ならそれでも良かった・・・
しかし、彼は若く、才能溢れる前途揚々の青年なのだ。
「どこからか、何か聞いたのか?」
光輝が、今、馨がしようとしている事を極度に恐れている事を、馨は痛いほど実感している。
「いや」
不安になどさせたくは無い。光輝につらい思いなどさせたくは無い・・・
知らぬ振りをしながらも、それでも、解けない問題を抱えて心は重い。
「とにかく寝室に行こう。泊まるつもりで来たんだろう?」
「ああ・・・シャワー借りるぞ、出先から直接来たから」
光輝も最近は、雑誌のインタビューにサイン会と、営業に忙しい。そんな合間をぬってここに来るのだ・・・
このままでいいー そう思いたい。
このまま、知らぬ振りを通しても誰も馨を責めない。実父さえ黙認しているのに。
自らを納得させようと、すればするほど不安になる。
幸せに、なればなるほど不安になる。
これは、鷹瀬光洋に植えつけられた既成概念なのだろうか。
初めての恋が限りなく悲劇的だった。もう忘れ去った事実、なのに、反復する不安と迷い・・・・
愛する相手が間違っていた。1度目も・・・2度目も・・・それが馨の罪。
光洋のように、我侭にはなれない。
浴室のほうでドライヤーの音がして、やむと、光輝がタオルを腰に巻いたままの格好で現れた。
「馨〜いつもパジャマ持ってきてくれるのに、今日は無いのか〜」
「ああ、ごめん。ぼっとしてて・・・」
ソファーから立ち上がる馨を、光輝は制する。
「ああ、いい。どうせすぐ脱ぐから」
しかし・・・
「そんなターザン状態でいると、風邪引くぞ・・・」
馨は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出して、グラスに注ぐ
「俺も、なんか慣れないから、先に寝室に行くぞ・・・」
ふう・・・ため息をついて馨は、グラスを持って光輝の後に続く。
寝室に入ると、光輝は結局、クローゼットからバスローブを出して羽織っていた。
「なんか落ち着かないから・・・」
そう言って、光輝はグラスを受け取る。
「家でも、ちゃんとしてるんだなお前」
「一応、大学教授の家だからな・・・」
苦笑しつつ、グラスの水を飲み干すと一息ついた。
「お坊ちゃんなんだな〜」
馨は、からかうように笑って、光輝からカラのグラスを受け取った。
そう・・・大事な鷹瀬家の一人息子なのだ。
鷹瀬光洋の愛人などという不安定な存在より、息子と言う、ゆるぎない位置が、昔どんなに羨ましかったか知れない。
「お坊ちゃんという表現が、昔から似合わない奴だったけどね」
高校生の光輝は、もうすでに、お坊ちゃんというガラではなかった。
苦笑しつつ、馨はベッドの光輝の隣に横たわる。
「じゃあ、幼稚園の頃、坊ちゃん刈りで半ズボンとか、はかなかったんだ?」
「俺は、真夏でも半ズボンは、はかなかったぜ・・・そういうのは、なめられるからな」
幼少から、伊達男のポリシーがあったらしい。
「馨は・・・小さいとき可愛かっただろうな・・今でも半ズボンはいたら、可愛いかも〜」
なわけ無いだろう・・・馨は呆れる。思えば、長い間、半ズボンどころか、カジュアルなスタイルさえしていない。
「学生時代は、カジュアルだったのになあ・・・・」
「そういやあ、部屋着とかないよな?お前。家では、トレパンはいて過ごす奴とかいるじゃん?」
「それ、似合わないから・・・体育会系とワイルド系は絶対NGだな」
確かに・・・・光輝は頷く。
「俺は、馨のパジャマ姿、半分剥けかけ・・・つーのが好みだけど〜」
そう言って光輝は馨のパジャマのボタンを外し、肩を露出させる。
「でも、他でするなよ?俺の前だけ」
そう言って引き寄せられたとき、馨の目から涙がこぼれた。
やはり、迷っている自分がいる・・・・・どうして、何も考えずに光輝の傍にいれないのか。
光輝が、鷹瀬ジュニアでもなく、平凡な、人並みの才能を持つ青年だったなら、こんなに悩みはしない。
いっそ、女だったなら、諦めさせた何十倍も愛して後悔などさせない・・・
しかし・・・彼は社会で生きる、男という生き物なのだ。恋人の愛情の中だけで生きてゆく存在ではない。
「馨・・・なんかヘンだぞ?」
怪訝そうに光輝は馨の涙をぬぐう。
「光輝が俺だけのものなら、どんなによかったか・・・」
はぁ?
呆れ顔で光輝は馨を持ち上げて、自分の身体の上に乗せる。
「俺は、お前だけのモンだぞ。何?疑ってるの?ひでえ・・・こんなに思いっきり愛してやってるのに?」
「信じてる、疑ってない」
身を起こして馨は光輝にくちづける・・・
あと、どれだけこうしていられるのか?自分さえ眼をつぶって、知らぬ振りをすればいいことだ。
だが、光輝に逢うたびに決意は薄れてゆく・・・
それほどまでに、アポロンは光に満ちていた。自分ひとりを照らすには眩し過ぎた。
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