トラップ 4

 

「先生、順調に行けば、秋口には終わりですね」

出版社のカフェで担当の坂下が笑う。

「翻訳ですよ〜」

馨の反応が無いのを見て、そう付け足す。

「ああ、あちらは鷹瀬君に、すべて任せてますから」

「そうですか?こまめに打ち合わせされているようですけど・・・」

「判断に迷うと相談に来ますけどね・・・私は英語は専門外ですから」

心の無い会話を操りつつ、馨は斜め前の席の男女を気にしていた。

(こんなところで何をしているんだ・・・)

男は麻生、女は・・・昔ホテルで鉢合せした、光輝の母親・・・・

「ご協力いただき感謝です。で・・・お話とは・・・」

「しばらく、教材の監修などを手がけたいのですが・・・」

新作の催促に馨を呼び出したのに、意外な話に坂下は驚く。

「どうして・・・あのう、イベントに参加するのがアレだからですか?」

それはある。タレントのように持ち上げられるのは、もううんざりだ。

公共の電波に出るたび、何かの弾みで傷をさらす事にもなる。

「苦手なんですよ、カメラも、人も・・・」

「残念ですね・・・才色兼備な作家なんて、そういるものじゃないですから・・・」

オブジェ扱いされるのはうんざりだ。

「売るために節操がない事するのは、邪道ですよ」

最近、頻繁に来るテレビ出演、ドラマ出演依頼まで・・・猫も杓子も芸能人・・・そんな風潮についてゆけない。

 「そういうことですから。専門書の解説なら引き受けますが、学生相手じゃない不特定多数対象のものは

当分控えたいです」

「あの・・・イベントとか・・お気を悪くされましたか?」

あまり断り続けるのも、お高くとまっているようで受けてきたが正直、あまり作家衆にはよく思われていないし、

手首の傷さえネタにして売る、セコイ作家といわれているのも事実だ。

出る杭は打たれる。ここは身を潜めるに限る。

もともと、小説は片手間に書いただけで、彼の専門では無い。

「あまり、鷹瀬をマスコミに出さないでやってくださいね。でなくても、あいつは親父さんの事でややこしいんですから」

親の七光りといわれる事を、光輝が極端に嫌っている事は皆知っている。

「あそこも複雑ですよね」

光輝もかなりプライドが高い為、親の功績でぬくぬくしてはいないのだ。

 「仲悪いんですか?あの親子・・・」

「まさか・・・」

馨は苦笑する

二人の仲を裂くのは自分なのだ・・・・

 「お話はそれだけですから」

馨は微笑む。有無を言わせぬ鋼鉄の微笑・・・

そのスマイルに刃向う事の出来る者はいなかった。

「つまり・・・イベントおよび、マスコミ関係の仕事は請けない。今後は専門書に力を注ぎたい。ですね。報告しておきます」

そう言いつつも、諦めきれないところは大有りだ。

佐伯馨と鷹瀬光輝・・・・並べただけで、充分話題性があり、イケメンコンビだったのだ・・・・

しかし、父の鷹瀬光洋からも”あまり、ちやほやしないで欲しい”と言われていた。

そして 確かに、佐伯馨の左手の傷は話題になっていた。

ファンサイトでは、毎日のように自殺未遂の痕だの、心中未遂の痕だの、ささやかれている。

大学時代に、教授と不倫して別れ話がこじれた、狂言自殺の痕などという話まで出ている。

同業者がファンを名乗り、荒らしているようだが、気にしなくても、あまり嬉しいものではない。

出版社側も、売れるからといって、馨を矢面に立たせる事は好まない。

「お願いしますよ」

馨は立ち上がる。

ドアにむかって歩きながら麻生の席に目をやると、明らかにもめていた。

そして一瞬、麻生と目が合った。

 

 

「佐伯君・・・」

来客用の駐車場に、案の定追いかけてきた・・・

「麻生教授」

車にキーを差し込んだ、状態で馨は振り返る。

「こんなところで会うとは、奇遇だね」

「私は仕事で来ました」

馨の余裕に比べて、麻生は焦っている。

「いや、私も今回、英語の教材の監修を任されてねえ・・・」

「ご一緒のご婦人は・・・奥様ですか?」

知らぬ振りをして、カマをかけてみる。

「ああ・・・鷹瀬教授の推薦で請けた仕事なんだけど・・・何せ初めてだから、過去の資料を鷹瀬夫人に

持ってきていただいたんだ」

「そうでしたか、では〜」

にっこり笑って、馨は車のドアを開ける。

何か言いたげな麻生を残して、馨の車は駐車場を後にする。

あれから何か変化があったのだろうか・・・・

麻生が完全に不利な態勢になっている。

麻生は所詮、ポスト鷹瀬の位置を狙っているだけの小者なのだ。

光洋が彼をナンバーツーと認めれば、それで満足する。

逆に言うと、彼は光洋の位置に座われる程の能力はない。

それを自覚しているから、光洋を潰しにかかることは無い。今回も脅そうとしただけなのだろう・・・

麻生より厄介な敵が馨に忍び寄っている。

スクープばかりを載せている週刊誌の記者 野口暁生。

芸能人のスクープばかりを追っている記者で、玲子のガードをもかいくぐって探っている。

光洋も、自分も、光輝も、これくらいのことで潰れるとは思ってはいないが、受けるダメージは大きいだろう。

(服部教授に報告すべきか・・・)

光洋に害が及ぶ恐れは充分にある。

過去の痛みや、傷痕は今もついて回る。たとえ自分の中で終わった事だとしても・・・・

過去に悔いは、もうない。真っ向から受けて立つ覚悟も、光輝を守りぬく覚悟も出来ている。

そのために、光輝に会えなくなろうとも、彼のためなら耐えられる・・・・

ー所詮俺は独りだ、失うものなど最初から無いー

覚悟さえ出来ていれば、慌てる事はない。

 

マンションの駐車場で、車を止めて車を降りると、光輝の声がした。

「佐伯〜よかった、今帰り?」

光輝の顔を見ると、先ほどの覚悟も揺らぎそうになる。

何をなくしても、欲しい愛というものはあるのかも知れないと、頭のどこかで考えつつ馨は微笑んだ。

そんな馨の胸の内を知る訳も無い光輝は、馨の微笑みに自らの明るい未来を感じる。

そして・・・永遠を信じていた・・・・

 

 

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