トラップ 5

 

 「出版社に行ってきたのか?」

馨の部屋で、コーヒーを飲みながら光輝は訊く。

「ああ、マスコミ関係から手を引こうと思って・・・」

「塾の講師にでもなる気か?」

最近は、徐々に有名進学塾の特別講師に呼ばれて通っている事を、人づてに聞いていた。

「それもいいよな・・・」

苦笑しつつ、高級そうな缶から、クッキーを取り出す。

「洋菓子沢山あるから食えよ」

「何で?ファンの差し入れか?」

サイン会のたびに山ほど貰うのだ。

「何十人単位で貰ったらすごい量だろ?」

(あ〜あ〜人気のある作家先生は違うよなあ・・・・)

光輝はあきれる。

「食いっぱぐれもないよな〜」

「米や野菜なら、生活の足しになるけど、洋菓子はなあ」

はははは・・・・・

光輝は笑う。若い女性が、憧れの作家に米や野菜を贈るはずないだろう・・・

「ところで、麻生の件はどうなった?」

「微妙だな・・・なんていうか・・・」

光輝は言葉を詰まらせる。

あれから、光洋が気を使って取り立てて、教材の監修の仕事を任せたりして信用を取り付けた。

光輝も、翻訳の仕事一本に絞り、大学には顔を出さない。

軽く脅せばいいだけだった麻生は作戦成功、手を引けば終わりだったが・・・

「鷹瀬夫人に何か?」

先ほど見た二人の様子が気にかかる。

「お袋が、麻生に付きまといはじめたんだ」

「麻生は迷惑がっている・・・だろ?」

え・・・光輝は顔を上げる。

「出版社にいたよ・・・二人」

はあ〜

ため息の光輝。

麻生は仕掛けた罠に自分がかかったようだ。

しかし、それは光輝も同じことなのだろう。そして馨も・・・

「判るよ、気持ちは。夫に裏切られて辛い時に優しくされて、力づけられて・・・依存しても不思議じゃない」

ただ、利用されただけとも知らずに・・・・

「いい機会だ。教授もお前も、今までの罪滅ぼしに気を使えよ」

「そうすれば心は戻るんだろうか?」

確かに光洋は、これをきっかけに智香子とよく出歩いている・・・

「家族じゃないか。今までの年月があるだろう?」

愛情の問題じゃない、絆の問題だ。馨がいくら頑張っても崩せなかった家族の絆・・・

 

ふぁあ〜

光輝はあくびをひとつ。

「一眠りしていいか?」

と立ち上がり、寝室に入り込む。

「おい!」

馨はその後を追う。

「昨日、徹夜で原稿仕上げたんだぞ・・・」

「自分の部屋で寝ろよ」

「いいじゃん・・」

ズカズカとベッドに上がりこむ。

「ここで何回か寝てるし〜」

(誤解されるだろ、こういうとこ見つかると・・・)

さっさと布団をかぶって眠りにつく光輝に苦笑しつつ、馨は立ち去ろうとする。

「佐伯・・」

不意に腕をつかまれ振り返る。

「お前がここで独りでいるの、我慢できないんだ」

疲れているのに、わざわざ会いに来たというのか・・・

「本当は、24時間ずっと一緒にいたいけどな」

ふと、そんな光輝に甘えてしまいそうな自分が怖かった。

「そうだな。朝独りで目覚めるのが一番辛いかもな。結婚するかな・・・俺」

「俺の嫁になれよ」

「いいのか?お前はそれで・・・」

一度手にしたら、もう離せなくなるだろう。

「地獄の底まで、道連れにしてしまうかもしれないんだぞ?」

(そう・・・忘れてはいけない。俺は堕天使だ)

「俺には、お前がいない場所が地獄なんだ。もうどこにも行くな」

強い力で引き寄せられて、馨は光輝に覆いかぶさる。

永遠を望む事が間違いなのか・・・

いつか来る別れに惑わされて踏み込めないでいる自分。

「お前は、俺をどうしたいんだ?」

行き着く場所はどこなのか・・・・

「支えたい。ずっと永遠に・・・独りじゃないと実感させたい」

ぽろぽろ・・・馨の涙が光輝の頬に落ちてくる。

堪えていたものが溢れ出す。

「世間から何言われても俺は傷つかない。家族も捨てられる。だから、傍にいることを拒むなよ・・・」

「お前のせいで俺は弱くなった。独りでいられなくなった・・・責任取れよ」

凍った心が解けてゆくように思える

「泣いていいよ。今まで我慢してただけ泣けよ。意地張って可愛くねえんだよお前は」

この生意気な教え子は、馨を時には支え、抱擁し、時には甘えてくる・・・

出会った当時の、高校生の面影はもう無い。

成熟した男になってゆく。馨が光洋に見た父性さえ漂わせて・・・

「因縁か・・・それとも・・運命・・・」

昔、愛した男の息子・・・その事実は消えない。

「あいつの事は忘れろよ。すげ〜ムカつくから」

手のひらで馨の涙をぬぐいつつ、光輝は拗ねる

身体の繋がりはそれほどに強いのか・・・真実の愛で、なかったとしても?

(俺は親父に勝てないのか・・・)

「忘れないよ。自分の犯した罪は自分で背負う」

愛する事が罪だというなら、喜んで堕ちよう。

決意したように光輝は馨を引き寄せ抱きしめた。

「お前は昔、俺をアポロンだといったな。賭けよう、アポロンが堕天使を救うか、堕天使に堕とされるか・・・」

高校生の時、光輝は賭けをした。

ー佐伯馨をモノにする・・・・・ー

そして今一度、光輝は賭けに挑む

ー堕天使を抱えて空に帰る・・・・ー

「なあ、傷つかないでは何も手には入らないんだ。でも、俺は勝ってみせる。信じてくれよ」

それには答えず、馨は光輝の唇に自らに唇を重ねる。

(信じたい、たとえ裏切られても、信じたい)

まだ自分にそんな情熱が残っていたとは・・・

「魅かれていた、出会った時から。本当は・・お前を自分だけのものにしたかった・・・」

「もうだいぶ前から、俺はお前だけのものなのにな・・・」

でも、馨が自分のものにならない焦りを感じていた。

「身も心も総て奪うつもりだったのに、本気で愛してしまった・・・だから去った・・・」

そして賭けた・・・もし偶然に再会したら、それは運命だと。もう二度と離すまいと・・・

しかし、出会っても、まだ迷いがあった。

光輝は苦笑しつつ、馨を組み敷いた。

「そんなややこしい、あいまいな奴は、俺がちゃんと捕まえとかないとな」

「眠るんじゃなかったのか?」

突然、上目遣いの妖しい表情を見せる馨に光輝は焦る。

これが昔、光洋をたらしこんだ毒の棘を持つ薔薇なのだ・・・

「眠らせる気無いんだろ?」

明らかに今までとは違う。どうでもいいとか、諦めのような感情が今の馨には無い。

「捕まえて離すな。二度と」

光輝の首に両腕をかけて、もう一度くちづける。

(もう逃げられない。もう逃げない)

障害も問題も山積みなまま、不安が無いわけではない。

それでも馨は鷹瀬光輝を選んだ。いくら考えても答えは出ない。

 だから前へ進んでみる。

 

「やべ〜俺、久しぶりすぎて緊張してきた・・しかも成り行きっぽいし〜昼間だし〜」

そう言う光輝を見ているうちに、馨の心配は消えてゆく・・・

「じゃあ、一眠りしてから・・」

「いいや、せっかくの機会だから、逃すと後悔するからな」

また、馨がこのままどこかに行ってしまいそうで怖い。

シャツのボタンを外すと、馨の白い首筋が現れる。

「少し痩せたか・・・?」

そういいつつ上着を取り去る。

「骨っぽいだろ?」

もう、光洋に愛されていた頃の滑らかな少年の輪郭は無いだろう・・・

「綺麗な肌だ・・・」

ほのかに蝋梅の香りが漂う。

日常生活では感じない程の、仄かな香り。

「しばらく抱いていてくれないか。体温を感じるのは久しぶりなんだ」

独りではないという感覚が安心する。

「鷹瀬・・・愛してる」

出会ったときからずっと・・・

鷹瀬光洋の息子だと知る前からたぶん、魅かれていた。

 「馨・・・・」

こんなにも安らかな、委ねきった馨の表情は初めてだった。

ここから総てが始ると信じた。そしてそれが永遠に続くと。 

 

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