罪の値 4
古典の補修授業に学校に来ていた馨は、廊下で光輝の姿を見た。
「鷹瀬」
出会った頃の輝きは跡形も無い、闇に閉ざされたアポロン・・・
「先生、ご相談したい事が・・・」
先ほどの補修授業に、光輝が出ていた事を、馨は知っている。
成績のいい光輝は、対象外であるはずなのに・・・明らかに馨に用があると見ていい。
「進路指導室に来い」
先に立って馨は歩き出す。
その細長い背中を見つめつつ、光輝は、そこにまとわりつく父、光洋の影を見る。
(終わらせるんだ・・・何もかも・・)
終わらせるために、彼はもう一度、馨に近づく・・・
「鷹瀬、最近どうした?担任の福田先生も心配しているぞ。」
進路指導室の机をはさんで座った馨と光輝・・生温かい風が吹き込み、遠くで蝉の声が聞こえてくる。
汗滲むような暑さにも、目の前の馨の瞳は氷のように冷たい。まるで光輝の情熱さえ、一瞬に凍らせるかのように・・・
「聞きました。親父とのこと・・・」
一瞬、馨の目が光輝を見つめた。
「あの人が話したか?お前に?」
「服部教授が、話してくれました」
ああ・・・・
(あの人が、自分の悪行を、息子に暴露するはずなど無いのだ・・・)
「で?お前はどうする?」
俯く光輝の襟足を見つめつつ、馨は冷たく微笑んだ
「すみませんでした。親父のした事、そして・・・俺のした事。償えるものじゃ無い事、判ったから・・もう、付きまといません」
服部が光輝を諦めさせたらしい・・・・
が・・・・
(諦められるか?)
馨は、光輝を静かに見つめる。
ーもう終わりにしようー
光洋がそう言った時、焦った。別れまいと必死だった。
追いかけ、すがりつき、あらゆる手を尽くした・・・そして・・知ったのだ。自分の魅力を。
どうすれば、相手を惹き付けられるのか、どうすれば相手が抗えなくなるのか・・
誘惑者の手に落ちた馨は、気付けば、誘惑者の手練手管を身につけていた。別れるといいつつ、光洋はずるずると馨と関係を続けていく・・・
(こいつはもう・・逃れられない)
馨は確信する。
「親父は・・先生の事、本気だったと言ったそうです。初恋だったと」
「それは錯覚だ。あの人はいつも、誰にでも、そう言うのさ」
もう誰も信じない 馨の瞳はそう告げていた。
(光輝、俺はお前が憎かった。一緒にいても、あの人は、お前からの電話だけはとるんだ。お前と話しているあの人の顔は、
誰にも見せた事の無い優しい顔だった。あんな父親の顔、俺にも見せた事が無いんだ・・・お前が憎かった・・俺からあの人を奪うお前が憎かった。
あの人は、妻なんか愛しちゃいない。俺は、あんな女なんかには負けない。お前さえいなければ、あの人は家庭を捨てられたんだ。お前のせいで俺は、無残にあの人に捨てられた・・・)
しかし、馨は気付いていた。
あの時、馨自身、限界だったと。続けられるはずなど無かった。
家庭のある男との関係に疲れ果てていた。なのに、執着した。愛は永遠なのだと信じて。
目の前に、かつて愛した男の最愛の息子がいる。因果なことに、その息子は自分を愛しているという。
「とんだ茶番劇だな」
光輝の瞳から涙が流れる。
「それでも・・それでも・・俺は貴方を・・・」
判るさ・・・
今の光輝の涙は、あの夜、馨が光洋の腕の中で流した涙と、同じ色をしていた。
だから、それだからこそ、壊したかった。
「貴方が俺に寂しさと、恋しさと、痛みを教えた・・・俺はそれを抱いて生きていく。それが償いなんだ」
馨はそんな光輝に、衝撃を受けた。
今、一瞬、彼は光輝を抱擁して、愛してやりたいとさえ思ったのだ。
傷ついた過去の自分・・・孤独で一人ぼっちで・・・・
「最後に傷跡、見せてくれないか。見れば、諦められる気がする」
そう言って、光輝は馨の左腕をとり、時計を外した・・・
消えることの無い傷は、光洋の罪を刻み込んで、そこに存在していた。
父そして、自分の罪を映したその痕に、光輝はそっとくちづける・・・・
「許されない事は、百も承知だから、もう付きまといません。すみませんでした」
力無く去るその後姿を、馨は初めて、いとおしいと思った。
彼は傷ついた翼で、もう一度飛び立とうとしている。
腕時計を再び装着しつつ、馨は確信する。光輝と、この傷を共有したと・・・
馨の傷は光輝の心に反映された。見えはしないが確実に存在する。
そして、消えることは無いと・・・
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