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 「さて、点滴終わったから、玲二を部屋に戻すとしましょう、志月さん、一緒に来てドアの開け閉めお願いしますね」

点滴の針を外し、雅臣は玲二を抱え上げる。その光景を見て、志月は軽そうだと感じた・・・と同時に雅臣が呟いた。

「また軽くなった、大丈夫か?」

確かに身長は高い方ではないが、それを差し引いても、先ほどの持ち上げ方が、軽そうだったのだ。

「ちゃんと栄養は取ってますよね?」

小夜子の病室のドアを開けて、雅臣を部屋から出すと、再びドアを閉め、志月は雅臣についてゆく

「皆と同じように食事してますよ?ああ、肉体労働が激しいから?でもそれは高次さんも同じだと思うけどあれかな・・・

全身で生きる事を拒んでいるようなところあるんですよ彼は」

廊下を歩きながら雅臣は思い出したようにそういう。

「本当はこんな風に生きていたくは無いんじゃないかな。麻薬中毒患者と同じで、辞めたいのに辞められなくてもがいてる。

彼も、ここから抜け出したいけど抜け出せないから、高次さんを憎んでいるけど半面、彼も実は高次さんが必要だ、そんな

矛盾に陥って破滅状態なんです。でも、これは彼自身の問題だ、私達はどうすることもできないんです」

志月は黙って、玲二の部屋のドアを開け、雅臣を中に入れた。

「志月さん、私は貴方をこんな矛盾に巻き込みたくはない。だから、関わらないでください」

玲二をベッドに寝かせて、シーツをかけ直すと雅臣は振り返る。

「先生?」

意識を取り戻した玲二が起き上がった。

「あ、服まで着せてくれたんだ」

小夜子の部屋を出る時に使用人の目を気にして、雅臣は玲二にバスローブを着せていた。あまり気にしない玲二の代わりに雅臣は

玲二が人前に裸体を晒さないように気をつけていた。

雅臣は黙って、玲二に錠剤を差し出す、それを見た志月はテ−ブルのコップに水差しで水を注ぎ、玲二に渡した。

「高次さんのクスリを飲まない工夫はできないのか?お前は他の小細工は上手いのに、どうしてわざわざ自分からこんな

自殺行為をするんだ」

玲二の手を取り、もう一度脈拍を確認して、雅臣は、よしと頷く。

「クスリ無しじゃやってられないからだよ」

とりあえず、玲二は差し出されたコップの水で、錠剤を飲み込む。

「確かに、正気の沙汰じゃないが・・・お前はそれが・・・」

「好きなわけないじゃない。毎晩欠かさず、週末は夜通し朝まで、もちろん自分のモノは早々に勃たないもんだから張り型で攻める

何が楽しいんだか。オヤジ達と4Pやった時より重労働だって」

部屋の隅で固まってしまっている志月を一瞥して、雅臣はため息をつく。

「まあ、高次さんの、その辺の性癖は研究材料にしたいところだけど。とにかく薬物は気をつけろ」

はあ・・・玲二は頭をガシガシと掻いてヤケクソに吐き捨てた

「それって、この屋敷内で死ぬなって事だよね?」

志月がオロオロとしながら見守る中、雅臣はしれっと答えてみせる。

「まあ、そういうこと。で、一つ聞いていいか?菊川さんと深田家は何の接点も無いんだけど、なんでこうなったのかな?」

「深田家とは関係なくても、高次さん個人が人脈を提供してくれるお得意様だったんですよ。あ、少年性愛者の人脈ね。

義父の死因も、かなりグレーで、その後、僕を誰が引き取るかで揉めて、おじ様達が足を引っ張り合って色々あったみたいだけど

最後に、ここに来たという事。少年性愛者だから、育ったら飽きて手放すと思ってたら、二十歳まではイケるのかなあの人・・・」

確かに、菊川の死後、あちこちで事故や収賄、倒産、破産の憂き目を見た大手企業があったが、その社長たちがいわゆる

通称オヤジ達で、玲二のパトロンだったというのか・・・・そして、何らかの形で高次がそれに関わっている可能性があるらしい。

「ますますお前には、ここで死んで欲しくない思いが湧いてくるんだが・・・」

「では、せいぜい守ってください、僕が死なないように」

溜息とともに頷いて、お先に、と言い残し雅臣は小夜子の病室に向かった。出てゆく後ろ姿を見つめて、玲二は苦笑する。

「あの医者、倫理観ずれてる。僕がここで死んで、サツが屋敷にやって来さえしなければ、ここで起こった事や、高次さんの悪事は

無かった事になるとでも思っているんだろうか。まあ、貴族様なんて皆そうさ、最後は罪をもみ消す。それで終わり・・・」

確かにそういう事は、無くは無い事を志月は知っている。彼自身、もどかしいところでもあった。

「そうですね、そういうところあります。南雲家は深田の主治医として仕えるだけで、正義の味方ではないという話を

昔どこかで聞きました。でも先生も私も兄も、この家の歯車でしかないと思うのです。そこに巻き込まれた玲二君は災難だとしか

言えませんが」

そう言い残して立ち上がり、ドアに向かう志月に玲二は、苦笑する。

「さすが深田家の令嬢だ、ただの純粋培養の天然じゃないね。神経が太いというか・・・見たんでしょ?僕の身体?」

「兄が玲二君を傷つけた事は、お詫びいたします」

ドアノブに手をかけて、志月は振り返ってそうつぶやく。

「同情する?見下してる?それともなんとも思わない?」

いいえー志月は首を振る。そのどれでも無かった。

「ただ、美しいと・・・運命に立ち向かう貴方が・・」

それだけを言い残して、志月は出ていった。欲情するほどに美しいとは言うことができなかった、思いもよらず湧き上がった感情に

志月は戸惑う。自分も高次と同じ血が流れているのだろうか・・・脳裏にはバルコニーでの痴態が浮かんでは消える。

玲二が、高次より自分を必要としてくれたなら自分に助けを求めてくれたなら、全力で救済するだろう。

玲二に必要とされたなら・・・

必要とされていない自分に失望し、無力な自分に絶望する。

花の獄に囚われた蝶のように、玲二は美しく悲しい。廊下を歩いていると、部屋を飛び出してきた雅臣に出くわす。

「志月さん、早く来てください」

志月は母の部屋に急いで向かった。

「様態が急変しました、御当主に連絡致しますね」

兼次の携帯にメールしたあと、雅臣は女中頭と執事にメールを打つ。屋敷は広いので、最近は彼らを探すより、こうして

呼び出している、さらに今は非常事態である。

志月は母の手を取り、顔を覗き込む。閉じられていた瞳が微かに開き、志月を見つめ微かに微笑んだかのように見えた。

そして、一瞬志月の手を強く握り、そのまま、だらりとその手はベッドから垂れ下がった。

「お母様!」

雅臣が駆け寄り、触診した後、時計を見た。その頃には執事と女中頭も部屋に来ており、彼らに雅臣は静かに告げた。

「先ほど、午後4時24分に深田小夜子夫人が身罷れました、黙祷をお願い致します」

留学などせずに傍にいるべきだったとか、最後に何もしてあげられなかったとか、後悔は山ほどある。でも、おそらく、彼女は

最期に志月を呼んでいて、その手を取ったのが自分自身だった事に救われた気がした。こんな時は涙も出ないのだと気づく。

黙祷の後の、使用人たちのすすり泣く声に、志月は案外冷めている自分に気づき、先ほど玲二に言われた神経が太い自分というものに

対峙する。思い出したように雅臣は、ベッドの横のテーブルの引き出しの中の小箱を取り出すと、志月に差し出した。

「小夜子様のご遺言です、志月さんにお渡しするようにと」

雅臣は自らのなすべき事を淡々とこなしていく。確かにこういう時は事後処理を行う冷静な人間がいなければ何も進まない。

箱を開けた志月は中の物を取り出した。女物の懐中時計だった。樹脂に閉じ込められた青い羽の蝶の装飾が施された蓋を開けると

小刻みに時を刻む時計が現れる。志月はこれを知っている

これは代々深田家に嫁いできた女達が受け継いでゆくもので、母が嫁いだ時に祖母からこれを受け取ったと言っていた。

この家に新しく嫁として入ってきた女性に、これは託され、死ぬとき、または離婚などの理由で深田家の籍から外れる時は

これを深田家に置いてゆく決まりとなっていた。

「これを、私に?」

雅臣を見上げた志月に、彼はそっと囁く。

「娘である貴方が受け取るのです」

この時、志月にはこの形見が一生男であることを封印する枷のように思えた。

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素材提供StarDust

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