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次の日から志月は母の部屋で、付き添い、介抱していた。主治医の雅臣とともに。
「すみませんね、ご留学中なのに」
点滴を取り替えながら、雅臣は昨日と同じ言葉を繰り返す。
「いいえ、最期にお会いできないなんて事は避けたいので、お知らせくださり感謝です。それより先生こそ、この部屋に
ずっと居続けで、申し訳ありません」
もう、起き上がることも、話すこともできない母の手を握りつつ、志月は雅臣を見上げる。こうしている姿は
まともな医者なのだが・・・
「私こそ、これが仕事ですから。南雲家は代々深田家にお仕えしている家臣の家系です、そのために医学を学び、学費さえ
出していただいているのですから」
そういえば、雅臣が結婚しているという噂は聞かないが、後継ぎはどうするつもりなのだろうか・・・いや、それを言えば
深田家も危ういのではないか。高次も結婚しそうにない。
「先生、お子様はおられませんよね?」
点滴を終えて、志月の横に腰掛けて、雅臣は顎に手を当てる。
「後継者を気にしておられるのですね。実は、亡くなった姉の息子を引き取っておりまして、その子も今年医大を受験するんです。
可愛いですよ〜写真見ます?」
この男にそんな子煩悩な一面があったのかと、志月は意外に思う。雅臣の15歳上の姉は雅子といい、産婦人科の女医だった。
小夜子の出産に立ち会い、志月を取り上げた人物である。
同じ医者と結婚して息子を儲けたが事故で夫と死別し、再び南雲家に戻る。その後、小夜子の出産に立ち会い、深田家の
婦人科専門医師として、雅臣と共に深田家に仕えていたが、息子が六歳の時に病死、何かと面倒を見ていた雅臣がとうとう
甥を養子に迎えた。
スマートフォンを取り出し、甥の写真を志月に嬉しそうに見せる。年より若く見える童顔の高校生の姿がそこにあった。
大きな瞳とサラサラの黒髪、小柄で華奢な美少年である。
「本当に可愛い子ですね。お家に帰れなくて、先生も彼に会いたいでしょうに」
「そうなんですよ、雅樹というんですけど、一人寝させて寂しがってないか・・・」
はあ?志月は耳を疑う。高校生で一人寝は当然なのではないか?
「寝室はご一緒に?」
「さみしがり屋さんで、ひとりじゃ眠れないんです。お風呂も一緒で、いつもパパ、パパってくっついて・・・」
志月は嫌な予感がした。しかし、突っ込む気は無い。これ以上深入りしてはいけない。
「それはそうと、玲二も高3でしょう、高次さんはどうする気なんでしょう。菊川さんはいい学校に入れて、ゆくゆくは
ブレーンとして使うつもりだったけど、高次さんは玲二をただの男娼にするつもりなんでしょうか」
玲二の事を考えると志月は心が重くなる。
「それとも、そろそろ玲二もお払い箱かな?子供しか相手にしない高次さんが、高校生を相手にしてる事自体が異例なんですけどね。
少し見た目が幼いからなあ、彼は」
それに・・・と雅臣は付け足した。
「玲二の妖艶さは半端ないですからね。菊川の指示で、金持ちのオヤジの相手させられてたらしいんですが、逆に手玉にとるわ
弄ぶわで、玲二取り合って、オヤジ達が争って問題になってたらしいですよ?タチの悪いアバズレです。志月さんはそんなのに
引っかかっちゃダメですよ」
そんな風には見えなかったが・・・と志月は昨夜の玲二のさみしげな表情を思い浮かべる。
「志月さんは情にほだされやすいから気をつけてくださいね。それとこれ、とりあえずルージュです。ローズ系とベージュ系が
無難かと・・・」
と差し出された包みを受け取ると、口紅が2本入っていた。志月は大学で、女子大生たちが流行りのルージュの見せあいっこを
している場面によく出くわしたが、まさか自分がつける事になろうとは思わなかった。パツケージを開けて、取り出してみると
あまり濃い色合いではなく優しいピンクにホッとする。
雅臣は志月の手からそれを取り上げて、そっと志月の唇をなぞる。頬に手を添えられ、顔を近づけられて、慌てて目を伏せた志月に
雅臣は微笑みかける。
「私が自らの手で誰かのルージュを引くなんて、レアですよ」
わざとなのか、知らずにしているのか・・・この医者はすることがいちいち思わせぶりである。
「やはり良くお似合いだ、こうすると一段と女らしい」
しかしそれは志月には褒め言葉でも何でもない。
「先生、私はいつまでこのような事をしていなければいけませんか?」
伏せた瞳を再び上げると、笑っていた雅臣の瞳がふと真剣な光を帯びる。
「それはあなた次第です。強くなってください、そしてどうしても譲れない、手に入れたい何かを見つけてください。貴方は
そのために戦う強さを手にするでしょう」
私は、戦わなければならない?誰と?志月に見つめられた雅臣は、ため息混じりに苦い笑みを浮かべる。
「ご当主も貴方に語りたい事は山ほどおありなのに、高次さんにお気をお使いなのか、私に代弁させようとなさる。ご両親の愛情に
飢えてはおられませんか?」
真剣な瞳のまま、雅臣は元の体制に戻り、腕を組む。いつもふざけたような態度のこの医者は、大事な時には真面目になる。
この時折見せる真面目さを志月は信じていた。逆に言えば、この真面目な一点がなければ、とうの昔に、こんな医者を信頼しては
いなかった。
「私は遅くにできた子供なので、幼い頃は大変可愛がられて育ちました。だから、そのような事はありませんし、父の立場
兄への配慮も理解しているつもりです」
何より、志月を守るために、父も母も全力を尽くしてきた事を志月はよく知っている。
「なんにしても御不自由されておられますね。でも、貴方だけが頼りなのです」
とりあえず、口紅をスカートのポケットにしまうと志月は、強くなってきた日差しを避けるために、窓辺に立ち、レースの
カーテンを引く。窓の外は、もう冬の気配がしていた。
「先生、お嬢様、昼食の支度が整いました」
ドアの外で女中の声がし、雅臣が返事をして、立ち上がる。
「志月さん、行きましょう」
食卓には玲二の姿があった。志月は今日が土曜日で、午前中の授業であった事を知る。
「玲二君、午後はどうされますか?」
会話を無理にしようとして、志月はそんな事を口にした。
「別に、お構いなく」
冷めた答えが帰ってきて、会話は途切れた。
「高次さんが帰るまでは、自由時間だから、身体を休めないとね。週末はハードだからねえ」
いつもの冗談モードに突入した雅臣が意味有りげにそう言って笑った。
「先生も一緒にどう?」
冗談とも本気とも取れない表情で、玲二は言う。
「私には愛する雅樹くんがいるので、ご辞退します」
ふうん、と玲二は意味ありげに笑い、雅臣を覗き込む。
「その雅樹くんとも、なかなか会えなくて寂しいですね。それとも美人の令嬢がいるから平気かな?」
「それが、振られまして」
ははははと笑う雅臣を、志月は困った顔で睨みつけた。
「じゃ、慰めてあげようか?高次さんが帰ってくるまでの間なら時間あるよ」
使用人が席を外したのを確認して、玲二は声を落としてそう囁く。冗談とも本気とも取りにくい表情で彼は雅臣を見つめた。
「あー残念、おじさんは奥様の看護で忙しいんで、玲二くんとは遊んでいられません」
こちらは冗談100%で答えてきた。遠くから見れば、和やかな食事風景に見えるのだろうが、志月はいたたまれないものを感じる。
「ああ、振られた・・・ショックだな〜」
全くショックを受けていない表情で、ケラケラと笑いながら玲二はスープを飲んでいる。
「玲二君はタフですね、高次さん一人では足りませんか?」
一体なんの話をこの二人は真昼間からするのか、志月は思い切り引いていた。
「同じものばかり食べてたら飽きるでしょう?」
「深田家の主治医をつまみ食いしようとは、怖いもの知らずですね、私はそんなに安くありませんよ?」
本当なのか・・・志月は首をかしげる。
「それって、僕みたいなあばずれには、南雲家の男根は食わせられないって事ですよね」
大根?志月は天然な聞き違いをして、目を丸くした。それを見た雅臣が、また勘違いをして、慌てて話題を変えようとする。
「はいはい、お嬢様がドン引きするから、この話はお終い。大体、南雲家はチビでメガネで美しくないという三重苦の家系なんで
南雲自体に価値はありません。突然変異の私に価値があるということです」
しかし、南雲家は最高の医術を誇る家系である事も志月は知っている。しかも南雲の者は皆、医師になっていた、頭脳明晰なのである。
ただ、突然変異の雅臣でさえ、長身で美しいが、眼鏡というクリアーできない一点があり、養子の雅樹にも身長が低いという一点が
クリアーできていないという事は、南雲家の三重苦はかなりの強い呪いなのかもしれない。まあ、その分、頭がいいのだから
いいではないかとも思われた。
「何?それ自慢してるの?バカ医者」
食事を終えて、玲二はそう吐き捨てて席を立った。
「口の減らない子ですね。志月さん、週末は色々な事を見かけるかもしれませんが、覚悟してください。あまり屋敷を
うろつかない方がいいかも」
その雅臣の言葉の意味を志月はその夜に知ることになる。
素材提供StarDust