4

次の日から志月は母の部屋で、付き添い、介抱していた。主治医の雅臣とともに。

「すみませんね、ご留学中なのに」

点滴を取り替えながら、雅臣は昨日と同じ言葉を繰り返す。

「いいえ、最期にお会いできないなんて事は避けたいので、お知らせくださり感謝です。それより先生こそ、この部屋に

ずっと居続けで、申し訳ありません」

もう、起き上がることも、話すこともできない母の手を握りつつ、志月は雅臣を見上げる。こうしている姿は

まともな医者なのだが・・・

「私こそ、これが仕事ですから。南雲家は代々深田家にお仕えしている家臣の家系です、そのために医学を学び、学費さえ

出していただいているのですから」

そういえば、雅臣が結婚しているという噂は聞かないが、後継ぎはどうするつもりなのだろうか・・・いや、それを言えば

深田家も危ういのではないか。高次も結婚しそうにない。

「先生、お子様はおられませんよね?」

点滴を終えて、志月の横に腰掛けて、雅臣は顎に手を当てる。

「後継者を気にしておられるのですね。実は、亡くなった姉の息子を引き取っておりまして、その子も今年医大を受験するんです。

可愛いですよ〜写真見ます?」

この男にそんな子煩悩な一面があったのかと、志月は意外に思う。雅臣の15歳上の姉は雅子といい、産婦人科の女医だった。

小夜子の出産に立ち会い、志月を取り上げた人物である。

同じ医者と結婚して息子を儲けたが事故で夫と死別し、再び南雲家に戻る。その後、小夜子の出産に立ち会い、深田家の

婦人科専門医師として、雅臣と共に深田家に仕えていたが、息子が六歳の時に病死、何かと面倒を見ていた雅臣がとうとう

甥を養子に迎えた。

スマートフォンを取り出し、甥の写真を志月に嬉しそうに見せる。年より若く見える童顔の高校生の姿がそこにあった。

大きな瞳とサラサラの黒髪、小柄で華奢な美少年である。

「本当に可愛い子ですね。お家に帰れなくて、先生も彼に会いたいでしょうに」

「そうなんですよ、雅樹というんですけど、一人寝させて寂しがってないか・・・」

はあ?志月は耳を疑う。高校生で一人寝は当然なのではないか?

「寝室はご一緒に?」

「さみしがり屋さんで、ひとりじゃ眠れないんです。お風呂も一緒で、いつもパパ、パパってくっついて・・・」

志月は嫌な予感がした。しかし、突っ込む気は無い。これ以上深入りしてはいけない。

「それはそうと、玲二も高3でしょう、高次さんはどうする気なんでしょう。菊川さんはいい学校に入れて、ゆくゆくは

ブレーンとして使うつもりだったけど、高次さんは玲二をただの男娼にするつもりなんでしょうか」

玲二の事を考えると志月は心が重くなる。

「それとも、そろそろ玲二もお払い箱かな?子供しか相手にしない高次さんが、高校生を相手にしてる事自体が異例なんですけどね。

少し見た目が幼いからなあ、彼は」

それに・・・と雅臣は付け足した。

「玲二の妖艶さは半端ないですからね。菊川の指示で、金持ちのオヤジの相手させられてたらしいんですが、逆に手玉にとるわ

弄ぶわで、玲二取り合って、オヤジ達が争って問題になってたらしいですよ?タチの悪いアバズレです。志月さんはそんなのに

引っかかっちゃダメですよ」

そんな風には見えなかったが・・・と志月は昨夜の玲二のさみしげな表情を思い浮かべる。

「志月さんは情にほだされやすいから気をつけてくださいね。それとこれ、とりあえずルージュです。ローズ系とベージュ系が

無難かと・・・」

と差し出された包みを受け取ると、口紅が2本入っていた。志月は大学で、女子大生たちが流行りのルージュの見せあいっこを

している場面によく出くわしたが、まさか自分がつける事になろうとは思わなかった。パツケージを開けて、取り出してみると

あまり濃い色合いではなく優しいピンクにホッとする。

雅臣は志月の手からそれを取り上げて、そっと志月の唇をなぞる。頬に手を添えられ、顔を近づけられて、慌てて目を伏せた志月に

雅臣は微笑みかける。

「私が自らの手で誰かのルージュを引くなんて、レアですよ」

わざとなのか、知らずにしているのか・・・この医者はすることがいちいち思わせぶりである。

「やはり良くお似合いだ、こうすると一段と女らしい」

しかしそれは志月には褒め言葉でも何でもない。

「先生、私はいつまでこのような事をしていなければいけませんか?」

伏せた瞳を再び上げると、笑っていた雅臣の瞳がふと真剣な光を帯びる。

「それはあなた次第です。強くなってください、そしてどうしても譲れない、手に入れたい何かを見つけてください。貴方は

そのために戦う強さを手にするでしょう」

私は、戦わなければならない?誰と?志月に見つめられた雅臣は、ため息混じりに苦い笑みを浮かべる。

「ご当主も貴方に語りたい事は山ほどおありなのに、高次さんにお気をお使いなのか、私に代弁させようとなさる。ご両親の愛情に

飢えてはおられませんか?」

真剣な瞳のまま、雅臣は元の体制に戻り、腕を組む。いつもふざけたような態度のこの医者は、大事な時には真面目になる。

この時折見せる真面目さを志月は信じていた。逆に言えば、この真面目な一点がなければ、とうの昔に、こんな医者を信頼しては

いなかった。

「私は遅くにできた子供なので、幼い頃は大変可愛がられて育ちました。だから、そのような事はありませんし、父の立場

兄への配慮も理解しているつもりです」

何より、志月を守るために、父も母も全力を尽くしてきた事を志月はよく知っている。

「なんにしても御不自由されておられますね。でも、貴方だけが頼りなのです」

とりあえず、口紅をスカートのポケットにしまうと志月は、強くなってきた日差しを避けるために、窓辺に立ち、レースの

カーテンを引く。窓の外は、もう冬の気配がしていた。

「先生、お嬢様、昼食の支度が整いました」

ドアの外で女中の声がし、雅臣が返事をして、立ち上がる。

「志月さん、行きましょう」

食卓には玲二の姿があった。志月は今日が土曜日で、午前中の授業であった事を知る。

「玲二君、午後はどうされますか?」

会話を無理にしようとして、志月はそんな事を口にした。

「別に、お構いなく」

冷めた答えが帰ってきて、会話は途切れた。

「高次さんが帰るまでは、自由時間だから、身体を休めないとね。週末はハードだからねえ」

いつもの冗談モードに突入した雅臣が意味有りげにそう言って笑った。

「先生も一緒にどう?」

冗談とも本気とも取れない表情で、玲二は言う。

「私には愛する雅樹くんがいるので、ご辞退します」

ふうん、と玲二は意味ありげに笑い、雅臣を覗き込む。

「その雅樹くんとも、なかなか会えなくて寂しいですね。それとも美人の令嬢がいるから平気かな?」

「それが、振られまして」

ははははと笑う雅臣を、志月は困った顔で睨みつけた。

「じゃ、慰めてあげようか?高次さんが帰ってくるまでの間なら時間あるよ」

使用人が席を外したのを確認して、玲二は声を落としてそう囁く。冗談とも本気とも取りにくい表情で彼は雅臣を見つめた。

「あー残念、おじさんは奥様の看護で忙しいんで、玲二くんとは遊んでいられません」

こちらは冗談100%で答えてきた。遠くから見れば、和やかな食事風景に見えるのだろうが、志月はいたたまれないものを感じる。

「ああ、振られた・・・ショックだな〜」

全くショックを受けていない表情で、ケラケラと笑いながら玲二はスープを飲んでいる。

「玲二君はタフですね、高次さん一人では足りませんか?」

一体なんの話をこの二人は真昼間からするのか、志月は思い切り引いていた。

「同じものばかり食べてたら飽きるでしょう?」

「深田家の主治医をつまみ食いしようとは、怖いもの知らずですね、私はそんなに安くありませんよ?」

本当なのか・・・志月は首をかしげる。

「それって、僕みたいなあばずれには、南雲家の男根は食わせられないって事ですよね」

大根?志月は天然な聞き違いをして、目を丸くした。それを見た雅臣が、また勘違いをして、慌てて話題を変えようとする。

「はいはい、お嬢様がドン引きするから、この話はお終い。大体、南雲家はチビでメガネで美しくないという三重苦の家系なんで

南雲自体に価値はありません。突然変異の私に価値があるということです」

しかし、南雲家は最高の医術を誇る家系である事も志月は知っている。しかも南雲の者は皆、医師になっていた、頭脳明晰なのである。

ただ、突然変異の雅臣でさえ、長身で美しいが、眼鏡というクリアーできない一点があり、養子の雅樹にも身長が低いという一点が

クリアーできていないという事は、南雲家の三重苦はかなりの強い呪いなのかもしれない。まあ、その分、頭がいいのだから

いいではないかとも思われた。

「何?それ自慢してるの?バカ医者」

食事を終えて、玲二はそう吐き捨てて席を立った。

「口の減らない子ですね。志月さん、週末は色々な事を見かけるかもしれませんが、覚悟してください。あまり屋敷を

うろつかない方がいいかも」

その雅臣の言葉の意味を志月はその夜に知ることになる。

TOP    NEXT 

素材提供StarDust

inserted by FC2 system