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新しく乗り出したマンション事業の視察の帰りの車の中で、甲斐はスケジュールの確認の為、手帳を見つめている。

「ホテルの次はマンションですか・・・社長は、やり手ですね」

レテノールマンションの企画を打ち明けられた時に、甲斐は言葉をなくした。ホテル王では飽き足らず、マンション業界にも

乗り出すというのだ・・・やはり彼は支倉という枠には収まらない人材だったのだろう。今も支倉にいた時より、心なしか

生き生きして見える。レテノールはモルフォ蝶の一種だ、ルナ・モルフォ、レテノール・・・忠は自分の起こした事業に蝶の

名をつけている。それは支倉孝雄の影響なのだろうか・・・と甲斐はふと思う。昔、支倉の屋敷で孝雄に蝶の標本を見せて

もらった事がある。色とりどりの美しい蝶の中で、一際美しく輝く碧い蝶に甲斐は見とれていた。

エガモルフォという名のその蝶が孝雄は大好きで、その蝶を思わせる青年に運命的に出会ったと言っていた。その時に甲斐は

自分は孝雄の最愛にはなれないのだと知った、彼はそのエガモルフォのような青年を全身全霊を捧げて愛しているのだと・・・

その後、入社した職場で松田忠に会い、彼にエガモルフォの面影を見出す。彼こそが孝雄のエガモルフォだったと知らずに。

忠の部下として働くうちに孝雄と忠の関係を知り、甲斐は忠を諦めた。部下として傍にいられるだけでも十分に幸せだった。

(それが今では・・・)

甲斐はふと、隣りに座っている忠を見つめる。お目当ての美しい蝶を自分は捕獲したのだろうか・・・それとも、蝶はまた飛び立つのだろうか

腕を組み、車窓から流れる景色を見つめている忠の美しい横顔は、確かに儚い夢のようだった。

甲斐の視線に気付き、忠が振り返ると、甲斐は慌てて再び手帳に目を落とした。

「あ、社長、今日は支倉コーポの株主総会がルナ・モルフォでありますね・・・」

「会議室だろ。その後はレストランで会食、お開きになった後にラウンジで会長と待ち合わせなんだが・・・お前もくるか?」

何故、今さら、忠は孝雄と会うのか?そして、そこに自分を誘うのか?どう答えていいのかわからないまま、甲斐は言葉を失くす。

元愛人と浮気相手の3人で飲もうなどと、悪趣味にも程がある。

「社長はいいですが、私は遠慮すべきではありませんか?」

車を降りながら甲斐は苦笑した、夕刻のこんな時間にルナ・モルフォに行くと言い出したのは、この為だったのかと溜息さえ漏れた。

「紹介したいんだ、お前を」

ロビーに入りながら忠は甲斐にそう囁いた。

「元いた会社の社長ですよ?それに・・・知らない仲でもありませんし、今さら紹介なんていらないでしょう?」

小声でそう訴えながら、甲斐は忠に続いて社長室に入る。

「そういう昔の事言うと俺、泣くよ?ただ、俺の秘書として来てくれと言ってるんだ」

忠は微笑みさえ浮かべて、自分のデスクに腰掛けて山積みの書類に取り掛かる。孝雄にとって甲斐は別れた浮気相手で、忠は別れた愛人。

忠にとっては孝雄は元パトロン、甲斐は今の恋人、甲斐にとっては孝雄は昔の恋人で忠は今の恋人。

あまりにも複雑過ぎはしないか?紹介された孝雄も困るだろうと思われた。

「何を企んでいるんですか?」

「いいじゃないか〜同窓会みたいなもんで〜」

忠が何かを隠していることは確かだった。それが何かわからないので甲斐は途方もなく不安になる。なに食わぬ顔で、デスクで書類の

確認と捺印をしている忠の忙しそうな手元を見つめて甲斐はだんだん不安になる。

「まさか孝雄さんと、よりを戻すとか?俺に別れ話でも切り出すつもりですか」

ああ・・・忠は頭を抱えた

「なんでそうなる、じゃ、言うけどなあ、お前との婚約発表をだな・・・」

「孝雄さんに、貴方の愛人してた男と、貴方が浮気してた男が、今つきあってますって言うんですか?鬼ですか?孝雄さんが忠さんを

どれだけ愛してたか知らない訳ないでしょ?」

そう、あの時、自分は忠に完全に敗北したのだから。

「知ってるから、報告するんだ。あの人を俺から解放するために」

解放・・・完全にあきらめさせるというのか?それは酷な話ではないだろうか?しかし、忠の相手が自分では、かなり後ろめたくはないかと

思われる。

「まあ、色んな感情はあるけど、しょうがないだろ?お前と添い遂げると決めたんだから。別れる時に約束したんだ、最愛の人を見つけたら

報告するって。それにあの人は俺がお前のこと好きなのは知ってる」

ため息混じりに甲斐は忠のコーヒーを入れるために部屋の奥に入る。一体、どんな顔で孝雄に合えばいいのか分からない。

しかし、このまま隠し続けるのも良くないだろう。

「自業自得ですね、妻子ある人との不倫、おまけに愛人までいて・・・そんな人を寝取った罰ですね、いいですよ、この際、大恥晒しましょう」

諦めたように、甲斐は忠のデスクにコーヒーのカップを置いた。

「すまないね」

カップを手に忠はにっこり笑う。これが孝雄と忠のけじめなのだろう。とすれば、考え様によっては晴れて公認の仲となり、とりあえず

甲斐は忠を独占出来るのだ。今までのセフレだか恋人だか分からない関係とはサヨナラできる。

「本当に貴方を手に入れるのは大変だ。とんだ高嶺の花ですね」

「俺にはお前のほうが高嶺の花だぞ?」

本気とも冗談ともつかない顔で、忠はコーヒーを飲み、一息つくと、デスクの引き出しからジュエリーケースを取り出し、中にある

ネクタイピンをとりだし、自らのネクタイに止めた。ゴールドの地金を樹脂で覆ってあるもので、樹脂の中には昔、支倉の屋敷で見た

あのエガモルフォの羽の色に似た美しいブルーが輝いていた。

「社長・・・それは・・・」

ふと、思い出して甲斐は壁にかけられていたエガモルフォの標本がなくなっている事に気づいた。あれは忠が孝雄と別れた時、餞別として

貰ったものだと聞いていた。

「あの標本の蝶の羽を、加工して作らせたんだ」

蝶の羽のアクセサリーがある事は、なんとなく知っていたので、それは不思議なことではないが、忠が恩人と思い大事にしている孝雄の餞別を

その蝶の羽を取り、ネクタイピンに加工したのは、どんな心境の変化だろうか?

「そろそろ行こうか」

ジュエリーケースを上着のポケットにしまうと、忠はそう言って立ち上がった」

ラウンジの奥の個室で待っていると、しばらくして孝雄が現れた。

「支倉社長、お久しぶりです」

甲斐が頭を下げると孝雄は笑う。

「もう、社長じゃないぞ、会長だ。しかし、こんなところで会うとはな・・・忠のところにいたのか」

「スカウトしたんですよ、秘書に。いまでは公私ともに俺のパートナーです」

ふうん・・・孝雄は頷いてソファーに腰掛けた。

「いいワインが入ったんで用意しました、どうぞ」

ウエイターを呼ぶと、彼は持ってきたワインのボトルを開け、グラスに注ぐと、一礼して去っていった。

「お前のところはナルシス・ノワールの物を置いているのか」

ワインのボトルを眺めつつ、孝雄は訊いてくる。

「はい、深田志月さんが営業に来まして・・・支倉もナルシス・ノワールと契約しているのでしょう?長い付き合いですよね」

孝雄の表情が急に曇りだした。若社長に代替りしてからは、色々と取引が難航しているらしい事を和真から聞かされている。

「あの社長・・・深田高次は、危険人物だ」

孝雄の言葉に忠は表情を変えない、彼は孝雄よりも深田高次の事をよく知っている。その異常な性癖さえも・・・

「大丈夫ですよ、深田志月さんは立派な方です、あの方が立ちさえすれば」

「彼女は女性だぞ?兄を差し置いて社長になれんだろう?」

それが、なるんですよ・・・忠は微笑みつつワインを飲み干した。

ナルシス・ノワールの社長交代の公式発表は明日あたり正式にされるだろう。

「まあ、和真の方は心配ない、日下の後任に武田が来てくれたからな、甲斐の虎の復活だ。和真も武田に懐いて、ベタベタに甘えてる」

「よかったですね」

仕掛け人は忠と玲二だ。

「あ、会長、もう武田は甲斐の虎じゃなくて、支倉の虎ですよ」

孝雄のカラのグラスにワインを注ぎつつ、甲斐は笑ってそう言う。もう、この場に至っては甲斐も開き直ってしまっている。

「ところで、お前たちはいつから・・・」

うっ・・・流石に甲斐は言葉に困る。史朗と付き合う前から片思いしてはいたが、同居して身体の関係を持ちながらも、お互い恋人という認識は

ないままズルズルと来ていた・・・

「それが、どうも相思相愛なのに確信をもてないまま、ズルズルと関係も持っていて・・・この場を借りて正式にプロポーズしようかと思います

立会人になってくださいますか?」

そう言うと忠は立ち上がり、ソファーをまわり込んで甲斐の膝下に膝まづいた。

「俺の最愛になってください」

ポケットから先ほどのジュエリーケースを取り出すと、中身を取り出した。それは忠のネクタイピンとお揃いのエガモルフォの羽を

樹脂で閉じ込めたモノだった。

「俺は右の羽、お前のは左の羽でできている、裏にイニシャルを刻印して今日の日付を添えた。今日が2人の約婚式だ」

そう言って甲斐のネクタイにそれを止めた。突然の忠のプロポーズに、甲斐は言葉をなくした。こんなイベントを忠が企んで

いたとは思ってもみなかったのだ。

「甲斐、ちゃんと返事をしてやれ、それを見届けないと俺は帰れないだろう?」

孝雄の言葉に、決意して甲斐は忠にくちづけた。

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