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その日はホテル、ルナ・モルフォの開業パーティに、こっそりと和真は日下と二人で来ていた。

支倉の社内ではルナ・モルフォは禁句だが、知っている者はすでに知っている。そんな中、重役たちの

反対を押し切り、和真は親族としてその場に参席していた。とは言っても、外腹の子と正妻の子という

微妙な立場で、控えめに・・・ではあるが。

勿論、この行事の主人公である松田忠の事は遠くでしか見られないが、それでも和真は嬉しかった。

こうして実力を発揮できる舞台を自らが作り上げ、着実に前へ進んでいる姿に、彼から支倉の後継ぎの位置を奪った

罪悪感は少し薄れ、ホットした。

一緒に来た日下は、ある男と親しげに話している、恐らく支倉の元社員で顔見知りなのだろうと、和馬はぼんやり考えていた。

その男が、後に自分の最愛となる男の、元上司で恋人だった、伝説の男ー 甲斐義之とは知らずに・・・

甲斐は日下と話しつつ、少し離れたところにいる和真を盗み見ていた、忠の最愛にして、史朗を託す事になるであろう若社長を・・・

「武田はまだ首を縦に振りません、自分の上司は甲斐さんだけだと心閉ざしてます。自分を残して甲斐さんが支倉を辞めた事

引っかかってるんじゃないかと・・・」

日下の言葉が甲斐の心を引き裂く、分かっていてした事だから後悔はないが、史朗が不憫でならない。そして、ここまで甲斐に忠誠を

捧げている史朗を忘れて、忠と関係を結んでいる罪悪感が甲斐を襲う。いっそ史朗が早く和真と恋人になってくれれば・・・と願う。

「でもいつかは、史朗を引き上げてやってください、そのために俺は身を引いたんですから。あいつは俺の下なんかにいる男じゃなく

もっと上を行く奴なんですよ」

周りに気を使って、和真は早々に引き揚げていった。忠と言葉を交わしたかっただろうに、今は何を言っても周りは悪意と取る事を

知っているがゆえに、何も語ることが出来ない。

「和真さん、忠さんと話したそうでしたよ」

会場の後始末を終えて、甲斐は最上階の忠のプライベートルームに入るなりそう言う。

甲斐に後を任せて先に上がり、バスローブ姿でソファーに腰掛けていた忠は苦笑する。

「お前こそ、武田の事が心配で、日下と長々と話し込んでいたじゃないか」

え、一瞬甲斐の思考が停止する。あんなに遠くから忠は、日下と話しているところを観察していたのか・・・

「まあいい、ご苦労さん。シャワーして来い、ワイン用意したから祝杯だ」

テーブルにはワインのボトルとグラスが置かれていた。こういうイベント演出を逃さないところが忠の魅力とも言える。

玲二が支倉カンパニーに無事入社し、会社の近くにワンルームを借りて住んでいるために、忠の部屋に泊まる事も出来るし

複雑な感情を抱く事も無くなった。そして忠が、時々は玲二のところに通っている事は暗黙の了解である。

玲二は今は落ち着いている と忠は甲斐に話していた。そして、彼には運命の相手がいるとも・・・

それが誰なのか、ぼんやり考えながら、甲斐は浴室に向かう。

甲斐を待ちながら、忠は自分が和真への想いを完全に整理した事を確信した。もう和真を見ても心を乱す事は無い。

親のような気持ちで見守っていられる自分に気づいたのだ。これは、色恋のベクトルが、甲斐に向かっていて、それは完全に

補完されているからだろう。自分が考えていた以上に忠は甲斐の事が好きなのだと気付き、そして動揺する。

いつかは手放さなくてはならないかも知れない甲斐を愛する事は、自殺行為なのではないか・・・・

忠は自分が甲斐にとって、どんな存在なのか確信が持てずにいたのだ。

「何を難しい顔してるんですか?」

シャワーを終えた甲斐が忠の隣りに腰掛けて、顔を覗き込む。

「俺、お前に超惚れてるみたいなんだが・・・」

その嘘とも真実とも取れる忠の言葉に、甲斐は返答に困りつつ、とりあえず苦笑した。甲斐自身も、忠に愛されている自信が

持てずにいたのだ。

「それが本当なら、嬉しいんですけど」

「嘘じゃない、信じなさい」

と忠はグラスにワインを注ぎ、甲斐に手渡す。

「そうですね、信じましょう」

受け取った甲斐は忠の肩にもたれ、ワインを飲み干した。真実を探る暇もないくらい、今の甲斐は忠が必要だった。

「これはいいワインですね、どこのメーカーですか?」

「ナルシス・ノワール、元は深田酒造という日本酒専門のメーカーだったんだが、あちこちの大手ワイナリーを買い取って

技術者を投入して、ここまでたどり着いたんだ。これは長男の手腕らしい」

黒水仙のお嬢さんー 忠がそう呼んでいた深田志月という令嬢を甲斐は思い出した。女性には興味を示さない忠の唯一の

お気に入り。

彼女はナルシス・ノワールのワインの営業に、このルナ・モルフォを訪れ、レストランとバーにワインを置いて欲しいと

サンプルを持って来ていた。

「その長男、次期後継者ですか?やり手ですね」

まあな・・・甲斐の言葉に忠は言葉を濁した。大手ワイナリーを買い取ったとは聞こえがいいが、その中身は強制的に奪い取った

ようなものだ。仕事内容は限りなくグレーだった。

「ねえ、忠さん、あの令嬢に関心あるでしょ?」

深田志月にやけに親しく、馴れ馴れしい忠に甲斐は嫉妬している。

「何?それヤキモチ?俺は女には興味ないよ」

平然と言ってのける忠のふてぶてしさに呆れつつ、甲斐は身を乗り出す。

「だからですよ、なんだか、特別感漂うんですが?」

特別・・・といえば特別だろうか・・・

「確かに彼女、怪しいですね。女より女らしい、完璧な女・・・もしかして女装男子とか?」

ふっー 微かな動揺を笑いで誤魔化し、忠の肩に手をまわして引きよせた。

「何か匂うか?」

「後ろ姿にゾクゾクします。彼女の中身が男だとしたら、きっと攻めですね」

普通、男が女装している場合は受けと相場は決まっているだろうに、甲斐は王道を否定する。

「それは、お前の勘か?もし志月が男なら、抱かれたいか?」

少し嫉妬心に駆られて忠は、甲斐の首筋を吸う。痕がつく事を恐れて甲斐は忠から身を引きながら妖艶に微笑む。

「ただの目の保養ですよ、忠さん以上に俺を満たしてくれる人なんていませんから」

そう言って、そっと忠に唇を寄せる。嘘とも本当とも判断できない甲斐の言葉が忠を刺激する。昼間のデキる男が、夜には淫売に

変わる様は非常にそそられるものがあった。

「でも、マーキング禁止ですよ?会社で見つかって疑われるのは貴方なんですから。セクハラやパワハラ社長になりたいですか?」

「とんだ濡れ衣だな、社員の性欲処理のサービスを直々にしてやってるいい社長なのに?」

そう言いつつ、甲斐の手からからのワイングラスを奪いテーブルに置くと、忠は甲斐をソファーに押し倒した。

「見えないところのマーキングならいいだろ?まさか、俺以外の人間の前でスラックスを脱いだりはしないし」

ぐいと甲斐の脚を広げて、そこに顔を埋める。

「もし脱いだとしても、足を広げたりはしない・・・」

太腿の内側に忠は唇を寄せた。今まで、情事の痕跡を残すことをしなかった忠が、こんな事をいきなりした事に戸惑う。

今日、忠は確かに何かを吹っ切った。和真との決別、甲斐への愛情の確信・・・甲斐は身体の何処かで忠の本気を感じ取った。

チクッとした痛みを何度か感じ、同時に身体の芯が熱くなってゆくと、自らの下腹部の誇張が気になる。

「忠さん、ここでは嫌です。ベッドに連れて行ってください。それと・・・灯りを消して」

甲斐の言葉に顔を上げた忠は、乱れたバスローブ姿の、恥じらう甲斐の顔と、広げられた太腿に微かに色づく果実を眺めつつ

ため息をつく。

「ベッド移動は賛成だか、暗くしたらこのいい眺めが・・・」

ハッとして甲斐は脚を閉じ、バスローブの裾を正す。淫売かと思えばこの恥じらい・・・甲斐義之は、なかなかいい素質を持っている

そんな甲斐だから、忠は最愛の和真より、好みと思われる志月よりも、甲斐を欲する・・・

「しょうがないなあ・・・お姫様、ベッドに参りましょう」

甲斐を抱き抱えて、忠はベッドに向かい、甲斐をベッドに下ろして灯りを消し、スタンドのあかりを点け、甲斐の傍に歩み寄る。

「忠さん、なんだか少し怖いんです」

ベッドの端に腰掛けて、甲斐は忠を見上げてそう呟く。

「何それ?初夜の花嫁じゃあるまいし・・・酷くはしないよ、サドじゃあるまいし。少し、激しくなっちゃうかもしれないけど、お前は

そういうの好きだろ?」

いつもの余裕をたたえた笑みではなく、切なく苦しみをたたえた笑みで、忠は甲斐の前にしゃがむと、バスローブを脱がし、下腹部に

顔を埋めようとすると、甲斐は咄嗟に忠の肩を掴んで制御した。

「嫌、そこは・・・いきなりそこは」

ハッとして、忠は顔を上げる。いつもの首筋からの愛撫を省略した事で、甲斐に嫌悪感を与えたかもしれないと気づいた。

「すまない、うっかり痕つけてしまうかも知れないから上半身は・・・」

こんなに余裕の無い忠は初めてで、甲斐は不安になる。甲斐の史朗に対する嫉妬心からなのか、和真への想いを断ち切るために

やけくそなのか・・・理由がわからないまま困惑した。まさか、自分が忠に求められているとは夢にも思わないままに。

「胸から下の方なら、見つからないし、あの・・・」

少しずるい笑みを浮かべて忠は甲斐の胸元の舌を這わせ、赤く色づいた突起を吸い立てる。

「っ・・・あっ・・・」

仰け反る甲斐の背中を右腕で支えて、左手で甲斐の背をまさぐる。

「ここ、吸われるの、好きだったよな?でも、吸われすぎて大きくなったら困るだろう」

刺激しておいて途中で辞める狡さに甲斐は身悶えする。

「酷い・・・辞めないでくださいよ、もっと強く・・・痛いくらいにして」

甲斐は快楽に溺れて不安を消し去ろうとしていた。

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