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勝敗を決した昨日から、一夜が明けて、支倉商事は大人事移動が行われている。

忠に従った社員の一人一人の移動先を決めるのに忙しい中で、完全に蚊帳の外に

追いやられた忠は、同じく指示待ちの甲斐を社から少し離れたカフェに呼び出した。

奥の席に向かい合って座った忠は、甲斐に頭を下げながら懇願した。

「頼む、武田を和真に譲ってくれないか」

一瞬、甲斐は何の事が理解出来ず暫く沈黙した後、口を開いた。

「武田とは、うちの武田史朗ですか?」

「ああ、甲斐の虎、お前の最愛の武田史朗だ」

「譲るとは、どういう意味ですか?」

何をどう譲れと言うのか、甲斐には想像もつかない。

「俺は、和真の後見に武田を選んだ。いずれ、武田は和真の補佐役として支倉を支える事になる」

史朗は甲斐側に居て、今回の関ヶ原で負けた組に所属する。それを後々、社長の補佐役にするという忠の

言葉に、甲斐は表情を変えた。

「史朗の出世を保証してくださるというのですか、それでは史朗の都落ちはないのですね」

単純に史朗の行く末を喜んでいる甲斐を見つめて、忠は唇を噛む。

「一旦、庶務課に追いやるが、折を見て日下の下に置くつもりだ」

和真の補佐役である日下は定年退職を控えている、その後釜とは、願ってもない事である。

「武田は支倉に残し、甲斐、お前は俺が連れてゆく。これを機に、武田と別れてくれないか」

甲斐にこんな話を持ち出すのは 忠にはとても辛かった。忠のせいではないが、甲斐は忠のパトロンである、支倉孝雄と

付き合い、支倉に入社したのがきっかけで別れた。そしてようやくその傷も癒え、最愛の史朗と幸せに暮らしていた

のに・・・・

「どうしてですか?職場は別でも、私生活は構わないじゃないですか」

「武田は、和真に譲って欲しい。俺も最初はお前を和真の補佐にと思った。が、補佐だけでなく、和真の恋人になれそうなのは

お前じゃなくて、武田なんだ」

恋人・・・甲斐はあからさまに不快な表情を見せた。

「和真さんは史朗の事を好きだとでも?」

「いや、和真は武田を知らない。だが、和真の相手は武田だと思うんだ」

いくら上司として慕い尊敬していた忠でも、この彼の論理は理解不可能だ。甲斐は消す言葉もないまま沈黙する。

「お前が武田を愛している事は十分承知の上で、頼んでいるんだ。かなり非情な要求だとも知ってる」

と言うか、非常識だと甲斐は思った。何の権利が有って自分と史朗との仲を裂こうとするのか・・・

忠のパトロンに手を出した報いとは考え難いが、何か個人的恨みの類としか思えない。

忠は人にこのような不条理で強引な要求をする男ではない。極めて冷静で、合理的で、見ようによっては自分を

粗末に扱っているようなところもあった。そんな彼が、何故こんな事を頼むのか?甲斐は怒りや不愉快といった感情よりも

忠の意図を知りたかった。

「話になりません、これ以上の説明がなければ、この話はこれで終わらせていただきます」

立ち上がろうとする甲斐に忠は頷き、自らも立ち上がる。

「分かった、場所を変えよう。詳しい話をするには閉鎖された空間が必要だ」

何故・・・という思いでついて行った先はホテルの個室。

「最近、会社の商談に、こういうデイサービスを利用しているんだが、誤解するなよ?」

というのは、ホテルの個室なので、ダブルベッドが、甲斐の座っているソファーの背後に置かれているのだ。

「誤解なんてしませんよ。松田さんはそんな人じゃないでしょ」

甲斐にさらりと言い放たれて、忠は落ち込む。甲斐の許容範囲にさえ入れないというのか・・・

「何それ、俺はアウト・オブ眼中って事?」

そんな忠のおやじっぽい言い回しに甲斐は笑いを漏らしつつ足を組む。

「違いますよ、貴方はそんな人じゃないから」

会社での忠に甲斐は憧れていた、一生ついていきたいほどの上司だった。敗北した今でもこの思いは変わらない。

しかし、忠にとっては、嬉しくない。

「ずるいな、そんな事言われちゃ襲えないじゃないか?俺は社長の愛人で受けだけど、元は攻めなんだぞ?見くびるな」

少し威嚇してみたつもりが、甲斐には全然効果がない。

「松田さん、攻めでしたか〜私も元々受けですが、今は攻めです。おんなじですね」

はあ・・・忠は溜息とともに、甲斐の向かいのソファーに腰掛ける、甲斐のこの天然さはなんとなく知ってはいたが

史朗と付き合ってからは、気を張って恰好いい男を演じていたため忘れていた。

「知ってるよ、お前が受けだって。支倉の屋敷で会ったからな、孝雄さんはバイで攻め専なのもよく知っている

そして、お前がオヤジ好きだって言うのも知ってる。それが今じゃ年下の部下に突っ込んでるとは気でも触れたかと

思っていたくらいだ。俺が言いたいのは少しは、警戒しろという事だ。話を戻すぞ」

忠は薄々気づいていた、甲斐が無理している事を。もともと人懐っこい甘え上手の甲斐が今では総務課の頼れる上司になっているのだ。

もともと出来る男だし、線は細いがシャープな顔立ちをしていて、笑わなければそれなりに貫禄はある。

人懐っこく甘え上手は武田史朗がそうである。史朗と甲斐はよく似ていた、容貌ではなく、雰囲気が。だから甲斐は史朗に

愛されるために、頼れる恰好いい男を演じ始めたのだろう。この事を心配して忠は甲斐の為にも史朗と別れる事を勧めるのだ。

「俺が社長の愛人である事はすでに知っているよな」

「はい、もちろん誰にも行ってはいませんが」

当たり前だ、言えるはずはないだろう。忠は苦笑する。妻の留守に相手の屋敷で不倫行為に及んでいて、その帰りに

戻ってきた愛人と鉢合わせ・・・忠と社長の事を話せば、自分の所業もばれるのだから。

「では、俺は孝雄さんの実子でも、和真の実の兄でも無い事も解るな」

「そりゃあ・・・実の親子なら近親相姦になりますから・・・あ、だから、今回は実子の和真さんを後継者にしたとかって言わないでくださいね」

冗談交じりにいう甲斐の言葉はあまりに的を得ていて、この男の頭の良さに忠はうっとりとさえする。

「大当たりなんだが」

はああ?!自分で投げた罠に自分でかかって、甲斐はフリーズした。

「松田さんに、何のメリットがあるんですか?」

「メリット・・・そんなものは自分から捨てた。俺は養子になって支倉を継ぐ約束で孝雄さんの愛人になったんだ、なのに不妊の奥方が

奇跡の出産だ、それでも孝雄さんは俺を副社長にして、和真を支えて欲しいと望んだが、社内の雰囲気からして、それは難しいと思えた」

甲斐は頷く。社長の隠し子的な存在とされている忠が、優秀で、多くの支持を受けていたのだから。一方和真はIQの高い優秀な

人物ではあるが、若すぎた。20歳そこそこで会社を任せる事は年配の重役達が首を縦に振らない。

「この関ヶ原は、貴方が和真さんに派手に負けて、堂々と和真さんを社長に据えるためのデモンストレーションだったとでも?」

「大当たりだ、さすが甲斐義之だ、天晴だな」

褒められても少しも嬉しくない。忠の異常さにもう声も出ない甲斐が頭を抱えた。

「俺は和真を愛している、命に変えてもいいほどに。あいつの為ならどんな犠牲も払えるんだ」

冗談じゃない、そんな事のために自分も史朗も、忠に就いた支倉の社員全ての人生を犠牲にしたというのか。

「狂ってます、そんなにお好きなら何故、和真さんを史朗に託すんです?」

忠は人が変わってしまったのか?今までついてきた上司が今は、別人のように見える。甲斐は目眩がする。

「和真には武田が一番いいと、俺が見込んだんだ」

娘の婿探しのような事を言う忠に、イライラが全開し始める。聞けば聞くほど不可解な展開が繰り広げられ、甲斐を粉々にするのだ。

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