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一旦、話を中断して、甲斐はワインを飲んだ。しかし、史朗にはまだ不可解なところがたくさんある。

会社全体が騙されていた関ヶ原の戦いについて・・・

「甲斐さんは関ヶ原がデモンストレーションだと知っていたんですよね?」

「いや、全てが終わってから、忠さんに聞かされた。知っていたのは忠さんと社長だけだ」

今更ながら恐ろしい、社長は息子のために、忠は最愛のために、支倉商事全体を巻き込んで、松田派を

追いやり犠牲にしたのだ。

「忠さんが社長に持ち込んだ計画らしい。俺も、とばっちりで連れて行かれた、まあ、埋め合わせはするという

約束でな」

「それで、今はホテル王の側近なんですか・・・でも、どうして私は置いて行かれたんですか?」

え?甲斐は驚いた。今まで何を聞いていたのか?

「お前は和真さんの、公私共のお守りに選ばれてたんだ。もちろん忠さんにな」

公私共・・・それは会社では秘書、そして私生活では・・・

「ええ?!」

史朗は突然大声を上げる。このキャスティングは創立記念パーティーの時から始まったのではないというのか?

関ヶ原の終焉に、もうすでに決まっていた・・・

「俺だってお前を連れて行きたかったさ。第一、武田を和真に譲ってくれなんて、忠さん酷いだろ?俺がどんだけ

史朗に惚れてるか知ってて」

どうして自分なのか、そして何故あの時、忠の願いを甲斐は受け入れたのか、史朗には解らない事ばかりだ。

どこから訊いていいのか考えあぐねていると、甲斐が答えを差し出した。

「まず、社長になった和真さんには、補佐が必要だ。忠さんは、補佐役は俺か史朗のどちらかだと考えた。そしてできれば

私生活でのパートナーという事を考えた時に、史朗しかいないという結論に達したそうだ。理由は解らないが

兄としての勘だろう、和真さんを一番理解しているのが忠さんだからな。まあ、史朗になら任せられると思ったらしい。実際

いい具合にくっついた、性格的にも身体の相性も抜群だ」

いや・・・身体の相性までお見通しですか・・・史朗は苦笑いを浮かべる。しかし、結果的に、和真は史朗の大事な人に

なった。その事実に変わりはない。

「お前に支倉を任せたかった。そして、俺がお前を連れてゆけば、お前はいつまでも俺の部下だ。社長についてこそ

お前の能力は活かされるんじゃないか?そりゃ、和真さんに史朗をくれてやるのは痛かったが、俺は和真さんの能力

も人格も、確かだと信頼してる。何より、忠さんが俺たちの事を知りながらも、涙を飲んでそう頼んだんだ、断れなかった」

甲斐から最愛を奪ったこ事について、ずっと忠は甲斐に負い目を感じていた。だからかもしれない、甲斐が忠を愛し始めても

忠は甲斐に愛されることなどないと、ずっと否定してきたのだ。忠も甲斐も、最愛の人の為に自分を犠牲にした者同士だった。

最初は傷の舐め合いで始まった関係かもしれないが、いつの間にか、甲斐は忠を愛していた。

「忠さんを許してやってくれ。あの人は和真さんの為には、世界中の人を不幸に陥れる事も厭わないかもしれない

でも、あの人は血も涙もない野心家じゃなくて、本当は孤独で、か弱い手負いの一匹狼なんだ。だから俺はあの人を

支えてゆきたいと思った。だからついていったんだ、事実、あの人は左遷に甘んじた後、養子縁組を諦め、和真さんの補佐からも

身を引いた代価として社長から遺産の一部を受け取り、それで事業を起こした、それがこのルナ・モルフォなんだ」

忠の余りにもツッコミどころ満載の、ぶっ飛んだ生き様に、史朗は目眩がしてくる。しかし、人を真剣に愛するということは

そういう事なのかもしれない。

「もう、忠さんは和真さんを史朗に任せると言ってる、娘を嫁に出した父親の心境だそうだ」

「じゃあ、松田社長はようやく、甲斐さんのモノになるという事ですね」

ああ、史朗の言葉に甲斐は穏やかに笑った。その表情が眩しくて、幸せそうで、思わず甲斐を抱きしめたくなる。

「だから、お前とちゃんとお別れがしたかったんだ。今、会ってもお互い、気持ちが揺らぐことは無いという自信もあるし」

そうですね・・・頷きながら史朗はふと、ある疑問が浮かんだ。

「すみません、つかぬ事を伺いますが・・・甲斐さんと松田社長は、一時期、支倉社長を共有していたということですか?」

同じ男を取り合った二人が、今は恋人とは、なんだか奇妙な気がしたのだ。

「和真さんが小さい時、忠さんに懐いていたという事はさっき話したな、小学生くらいの和真さんはよく、忠さんのベッドで

眠っていたんだ。眠るまで忠さんは本を読んでやったり、昔話をしたり・・・するとだな・・・」

あ、史朗はぽんと手を打った。支倉社長との夜の逢引は無理だということだ。

「それで、まあ、社長は、ある大学生を引っ掛けて愛人にした、その愛人は偶然に、その社長の会社に入社してしまった。

ある時、会社でばったり会ってさ、なんとなく疎遠になった。そのうち忠さんが支倉の家を出て、社長は忠さんとよりを戻し

たって事さ。社長は浮気は何度かあったけど、最後まで添い遂げたのは忠さんだけだったなあ。なんとなく分かってた

俺とは遊びだって、本命は忠さんひとり・・・忠さんにとって社長は恩人で、尊敬出来る人だったみたいだけど、惚れてるかって

聞かれたらNOだったらしいよ。身体と心が別々って辛かっただろうな」

長い長い昔話がようやく終わろうとしていた。過去はこの部屋に葬って歩き出すのだ、これで、甲斐も史朗も前だけを向いて

歩いて行ける。甲斐と史朗はソファーから立ち上がる。もう本当の別離の時が来た、今度会う時は支倉カンパニーと

ルナ・モルフォの社長秘書同士という立場になる。

「史朗・・・こう呼べるのも今日が最後だ。一つ頼みがあるんだが」

甲斐はそう言って史朗に歩み寄る。

「名前で読んでくれないか、昔、二人きりの時だけ限定で読んでくれたように・・・」

これが最後なのだと、史朗は全身で感じた、とたん、史朗は我知らず、甲斐をかき抱き、唇を重ねた。

精一杯愛しつづけた過去の人に送る別れの挨拶として。

「義之さん、愛していました。幸せになってくださいね」

「ありがとう、お前も、和真さんの手を離すなよ」

そして、再び二人は互いを包容した。そしてこれで全てが終わった事を感じる。もう迷わないで、互いの愛する人だけを

まっすく見つめて、生きてゆける。

「甲斐さんに出会えて幸せでした。貴方の事は忘れません」

そう言うと、史朗は甲斐から離れ、頭を下げた。

「行け、和真さんが待ってるから。俺も、この後は最上階の忠さんのプレイベートルームで、忠さんを待つ」

握手をして、史朗は部屋を出た。忠は和真への想いを封印し、甲斐との人生を歩き始めた。もう、何も史朗を

脅かすものはない。和真を手に入れたという充実感に、この上なく幸せを感じる。

エレベーターでロビーに降りると、和真が忠と立ち話をしており、史朗を見つけると、犬コロのように駆け寄って来た。

「武田〜」

最愛の愛しい人は、兄と慕った忠の傍を離れ、史朗の元へとやってくる。忠は笑って頷くと、甲斐の待つ

最上階へと向かうためにエレベーターに乗った。

「何を話したんだ?」

「昔話しです。そして、実感しましたよ、私は社長が大好きだって」

え?訳が分からす、首をかしげる和真の背に腕をまわし、史朗はドアに向かう。

「だから、絶対誰にも渡しません」

過去を振り切ったらしい史朗に、もう何も訊くまいと和真は思った。それほど史朗は確かな表情でそこにいた。

甲斐と会う前も、迷いは見えなかったが、今はそれにも増して清々しい顔をしている。

「だから、社長?貴方のブラコンも、なんとかしてくださいね?」

ブラコン?何の事だか解らない和真に、史朗は笑いかける。

「お兄様はもう、愛する人がお有りなのですから、いつまでも頼らないで、私だけを見てくださいという事です」

はぁあ?ますます解らない和真は首をかしげたまま、車の助手席に乗る。家に帰るだけの時は、和真は

後部座席には乗らない。今はもう、社長ではなく、史朗のパートナーなのだ。

「さっきメシ喰いながら、兄さんも同じような事いったぞ?お前達、何を企んでいるんだ?」

ーもう兄離れしなさい、お前に構うと甲斐が嫉妬するから、お前のことは武田に全て任せる事にするー

和真には謎の言葉だった。なぜ自分に構うと甲斐が嫉妬するのか?もしかして・・・

「おい、兄さんの愛する人って甲斐さん?」

さあ・・・史朗は笑って誤魔化しながらハンドルを握る。

支倉社長を共有した忠と甲斐、和真を愛した史朗と忠、そして、史朗と忠は甲斐の昔の恋人と、今の恋人。

ややこしい関係のこの四人は、ようやく本来ある場所に落ち着いた。収まるべき鞘に収まったのだ。

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