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終業時間が迫る支倉カンパニーの社長室で、和真はいらいらを隠せないでいた。

先週末にナルシス・ノワールとの商談の後、甲斐が時間をとって話がしたいと史朗に声をかけてきた。

そして、それが今日だというのだ。史朗は少しも揺るがない、過去の恋に完全に終止符を打つのだと覚悟を

決めているが、甲斐はどうなのだろうか?もし、もう一度よりを戻そうといってきたら・・・

和真の中で、ありとあらゆる妄想がむくむくと湧いてくる。

「社長」

奥の棚でファイル整理をしている史朗が和真を振り返る。気づくと和真は人差し指でデスクをせわしなくトントン叩いて

いた。

「あ、うるさかった?」

「落ち着きないですよ」

自分のせいだという事は知っている、が、史朗は和真に信じてもらいたかった。

「信じてください、というのは、私の我が儘なのでしょうか」

和真は俯く。ここで最愛の恋人を信じられないという、心の狭い男には、なりたくはなかった。が、自信がないのだ。

先日、和真の前に現れた甲斐は、和真の目にも魅力的に見えた。大人の落ち着きと色香、そして包容力・・・

自分に不足な物を、全て持ち合わせているように見えた。

「俺のこと、捨てないよな?」

捨て犬のような可愛い目で、史朗を見上げる和真に、史朗はどうしょうもなく惹かれる。こんな時、甲斐なら、めいっぱい

強がるに違いない。自信がなくても、あるふりをする。それが甲斐義之という男である。そんな甲斐に憧れつつも、本音を

明かしてもらえない寂しさを感じていた。そして今、和真と全てをさらけ出せる関係に、安らぎを感じている、だから甲斐が

今になって何を言ってきても揺るがない自信があった。

「ついて行っていいか?ロビーで待ってるから」

「そうですね」

ファイル整理を終えて、史朗は部屋の鍵を閉め、和真のデスクの前に立つ。

「一緒に来てください。最後の最愛の貴方を甲斐さんに自慢しましょう」

そう言って、史朗は机越しに和真にくちづけた。年上の恋人は和真のお守りが上手い、アメとムチを使い分けての操縦に長けていた。

「そうと決まったら」

和真は立ち上がり、帰る支度を始めた。史郎も応接スペースの奥のクローゼットから、カバンを取り出し、腕時計を見るとちょうど

いい時間になっていた。

「あ、忘れ物」

ドアに手をかけて、和真は再び史朗のいる応接スペースに入ってきて、いきなり史朗のネクタイを緩め、シャツの襟を広げると首筋に

唇を寄せた。

「社長!」

押しのけたものの、もう遅い。またもや和真の自己主張の所有印が首元にしっかりとマーキングされてしまった。

「ああ、何するんですか」

襟を元に戻し、ネクタイを締め直しつつ、史朗はため息をつく。

「浮気封じのおまじない。さあ、行くぞ〜」

途端に元気になった和真が、鍵を開けて社長室から出た。もし、甲斐がこんな物を見たら恐らく目を丸くして言葉を失うに違いない。

閨ではどうであれ、甲斐は自らの情事を消して表には出さない、言うなれば、人前ではイチャイチャどころか恋人にさえクールな

眼差しを送る男なのだ。

もちろん史朗は、甲斐に、このような物を見せるつもりはないが、前回のナルシス・ノワールの高次との事もあり、このマーキングは

トラウマになっていた。

「でも、なんの話しするんだろう?実は付き合っている人いるとか?」

甲斐は昔、和真の実父の愛人だった・・・などという事実は、和真にはとても明かせない。ましてや、いまは義理の兄、松田忠の

恋人だとは口が裂けても言えない気がした。

「まあ、いるでしょうね、当然」

廊下を歩きつつ、史朗はそう言ってとぼける。

「やはり、男か?」

まあ・・・これ以上は何も言えない。しばらく黙ったままエレベーターに乗り、1階に降りると玄関に向かう。

「今度、兄さんに聞いてみるかな」

それはやめた方がいい、と史朗は言いたくて、しかし、言えなかった。なんにしても、甲斐の話は、今は自分に恋人がいる

というような報告の類のものでは無いと思われる。

ルナ・モルフォにつくと、史朗はベルボーイに案内されて客室に向かい、残された和真のところに玲二が現れ、レストランに誘う。

「父さんが夕食を一緒にと、言ってますから」

と、奥の個室に案内した。そこには、すでにフルコースが準備されていた。

「甲斐さんと武田さんも客室でルームサービスのディナー食べてるはずだから、叔父さんもどうぞ」

叔父さん・・・とうとう和真は玲二の叔父にされてしまった。

「父さんは仕事で少し送れるけど、必ず来るので、ゆっくりお食事していてください。まあ、心配で食事どころじゃないかもしれないけど」

この状態を楽しんでいる玲二に少しむっとしながら、和真はナイフとフォークを手に取る。

「安心して、甲斐さんは別に、武田さんとよりを戻そうってわけじゃないから。叔父さんとカップルになるまで会うこともなく、見守って

やっと二人うまくいったから、武田さんに最後のけじめをつけに現れたんだから。それに・・・甲斐さんにも恋人いるし」

和真の向かいの席で、玲二は楽しそうに、そう言いながら、ステーキを食べ始めた。

「誰なんだ・・・恋人って・・・」

「うちの父。松田忠」

そっと声を落として玲二は囁いた。

え・・・結婚もしないで玲二を養子にした時点で薄々感づいてはいたが、兄の相手が史朗の元恋人とは、和真は複雑な気持ちになる。

「おい、余計なことを言うな」

後ろから声がして、玲二は苦笑いをした。

声の主である、忠は玲二と和真の間に腰掛け、玲二を睨む。

「色々もっと複雑な事情はあるんだけど、叔父さんには教えないよ。武田さんと甲斐さんとの事、気にしてるみたいだから、安心するように

教えてあげただけだから。じゃあ、僕はこれで、お疲れ様でした」

さっさと食事を終えて、玲二は立ち上がると二人に挨拶をして、出て行った。

「しょうがないなあ、あいつは」

ため息混じりに忠は、玲二の後ろ姿を見送る。そしえ残されたのは、今、客室で会っている甲斐と史朗の片割れ同士・・・

忠も全く不安がないかと聞かれれば、NOと答えるだろう。実際今、こうして仕事も手につかず、和真と時間を潰している。

甲斐がどれだけ史朗を愛していたかを知っているので、心穏やかではない、ただ ーちゃんとけじめをつけたいんですー

そういって史朗に会いたいというのだから、会わせないわけにも行かない。忠も辛いところだ。

「兄さんも心配ですか?」

和真の問いに、忠は頷く。

「そうだな、俺は関ヶ原の遥か前から、甲斐に片思いしてたから、立場弱いんだ」

意外だった。いつも自信たっぷりの忠が、こんな弱気な事を言うとは・・・

「甲斐さんと付き合い始めたのは、関ヶ原の後、史朗と別れてからだね」

ああー忠は頷く。自分でも情けないくらい、甲斐にベタ惚れなのだ。

「甲斐さんが羨ましいなあ。兄さんにも史朗にも愛されて・・・」

和真は、ため息混じりにそういう。忠は和真の大事な理解者で、史朗は最愛だ。そんな二人を我がものにした甲斐に嫉妬さえ感じる。

しかし、忠は逆に史朗に嫉妬していた。甲斐の愛情を一心に受け、今は最愛の和真の大事な人となった史朗・・・

「和真、今、幸せか?」

「うん、もちろん」

答えを聞くまでもないが、聞いてみたかった。和真は変わった。もうひとりぼっちの孤独な社長ではない。力強い支えを得て、肩肘張らず

自然体で仕事をしている。そして、愛する人を得て、生き生きとしていた。

「甲斐の虎を手放すなよ」

和真は忠の言葉を遮る。

「もう甲斐の虎じゃなく、支倉の虎だよ、史朗は」

そうだな・・・忠は笑う。

「甲斐は俺のものだしな・・・もう甲斐の虎じゃないな」

自分よりしっかりしている和真が忠には頼もしく思えた。

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