★
30
★
2日後、史朗と和真はナルシス・ノワールの社長が交代した事を知り、驚いた。
「療養のため、深田高次は長期入院、代わりに弟の深田志月が社長に・・・とあるがこれって
やはり、素行が悪いから引きずり下ろされたりしたのかな」
届いた挨拶状を手に呟く和真の言葉に、史朗は頷く。玲二の会話を聞く限りでは高次の犯罪が
露見する前に隔離したのだと思われる。今回の枕営業強制の証拠映像はこれに使われたのだろう。
玲二と志月は恐らくグルだろう、そして今夜、新社長がお詫びに会食を申し出てきたのだ。約束の
ルナ・モルフォに向かう車の中、後部座席の社長と秘書は助手席の玲二を見つめる。
「なんでお前がついてくるんだ?」
和真は玲二を小突く。
「菊川も招待を受けている。そうなんだろ?」
史朗の言葉に、玲二は振り返って頷く。
「まあ、そうなんです、さすが武田さん、お察しがいい。僕の最後の仕事なんですから、連れて行って
くださいよ」
ラストミッションか・・・という事はこれはお詫びの食事会だけでは無いのだろう。深田志月と玲二の関係を
知るいい機会かもしれないと史朗は考える。わけがわからない和真は玲二と史朗を交互に見比べていた。
「お越しいただいて、ありがとうございます」
ロビーで、長髪の背広の青年が和真たちに駆け寄った。
「ナルシス・ノワールの深田志月です」
まだ30前の女のように美しいこの男が、新社長・・・和真と史朗は声も出ない。
「社長、ここで立ち話もなんですから、レストランの方に行きましょう」
玲二にそう促されて、並んで歩くと、背はかなり高い。そしてやはり思ったとおり、玲二とは知り合いだ。
お互い、知人を見るような表情で見つめ合っていた。
「個室を予約しました、ゆっくりおくつろぎ下さい」
奥のVIPルームに導かれた。席につくと料理が運ばれ始める・・・
「新社長がこんなにお若い方とは存じませんでした。お兄様とは、かなり年が離れておいでなのですね」
史朗が玲二の方をチラチラと見ながら、志月に話し掛ける。
「私は後妻の産んだ子でして、兄とは腹違いです。この度は前社長が秘書の武田さんに失礼な事をいたしました事
深くお詫び申し上げます」
志月は、どことなく、物腰が柔らかい。しかし、外見のやわらかさとは裏腹に、知的なシャープさも垣間見えた。
料理が全て運ばれ、ウエイターがワインを注いで部屋を出ると、和真はようやく口を開いた。
「前社長は、素行の悪さ故に失脚したと判断していいのでしょうか・・・」
和真さん・・・史朗はあんまり単刀直入すぎる和真に驚いた。しかし、志月は慌てる様子もなく、余裕の笑みを浮かべる。
「ここだけのお話しですが、実はそうです。以前から気になっておりましたが、支倉さんのところだけではなく、他の
取引先とも問題を起こしておりました。そして、未成年者との援助交際など、法に触れるような内容が多々ありまして
今回、玲二君の助けを得て証拠を手に入れる事が出来、株主総会で定義した次第でございます」
「あ、武田さん、ちゃんとモザイクかけといたから、安心して。あと、特定できる固有名詞とか、やばい音声は
処理したから」
やはり、カモにされたのか・・・史朗はがっくりした。それほどまでするほどの仲なのか・・・
「武田さん、本当に申し訳ありません。この件は一切口外いたしませんので、ご安心ください。うちの株主は皆、親族で兄の
不祥事は闇に葬る事にいたしました。ですので、どうか武田さんも、この件は水に流していただきたいと・・・
その代わりと言ってはなんですが、今回の商談は無条件に、支倉さんの提示してくださる見積りで契約させて
いただきます。次の機会にでも見積書をお持ちください。支倉社長も、それでご了承願います。さ、料理が冷めて
しまいますので、お召し上がりください」
一同はナイフとフォークを手に食事を始めた。しかし、腑に落ちない和真は、手をとめて志月を見つめた。
「深田さん、無条件にこちらの言いなりなんて、リスクが大きすぎやしませんか?うちが吹っかけてきたら
どうします?」
ステーキを斬る手をとめて志月は微笑んだ。
「それでも、社会的信用を落とし、兄であるナルシス・ノワールの前社長を牢獄にぶち込むよよりはマシだと
判断いたしました。兄は精神異常者として隔離しましたので、もう社会に出る事はありません。ご安心ください
私は、深田の家とナルシス・ノワールを守らなければならないのです」
志月はとても潔い、既に覚悟を決めたまっすぐな目をしていた。和真も史郎も、彼を信じたくなるほどに・・・
「それでも、そちらには強請のネタがあるでしょう?菊川がモザイクかけて、やばい音声消したという、その映像の
オリジナルを貴方は見たのでしょう?」
史朗はずっと引っかかっている疑問を投げかける。志月が支倉に対して、ここまでする必要はないのだ。
ー支倉和真で何人目ですか?今まで何人の男の肉棒を咥え込んだんですか ー
深田高次の、この消す前のセリフを志月は聞いたはずだ。和真と史朗の仲を彼は知っている。これは脅しの
ネタになるはずだ。このネタと交換条件で許してくれと交渉すればいいだけではないか・・・
「はい、見ました。でもそれが何か?社長と秘書が恋人同士というのはいけませんか?お二人共、独身で
不倫の関係でもありませんし。これでは強請れないでしょう。でももし、不安に感じておられるなら、こちらも
ネタの提供をしましょうか?」
男同士の恋愛に、びくともしないこの若社長は、隣にいた玲二の手をとって、その甲にくちづけた。
既に話がどこに進んでいるのかさえわからなくなった和真の隣で、史朗は、やはりそういう事だったのかと
理解した。
「私と玲二君は長い片思い期間を経て、昨日ようやくお互いの気持ちを確かめ合い、結ばれました。でも
これはやはり、株主である親族の叔父様達に知れると良くないでしょうね。頭の固い方々ですから、私も
変質者扱いで、隔離されるかもしれません。それを承知でカミングアウトしているのです」
「そのために菊川・・・お前ここまでついてきたというのか」
和真は呆れて、飲んでいたワイングラスを置いた。
「そうですよ。これでお互い様でしょ?志月さんは長い付き合いの支倉との関係を修復したいと、こんな提案を
されたんです。でも僕は知っていますよ、武田さんも社長も、良心的な見積もりを提示してくださるであろうことを。
そうですよね?」
ああ、和真は笑う。確かに、むちゃくちゃな無理難題を吹っかける気は初めからなかった。それなのに、こんな危険な
カミングアウトをするとは・・・
「いえ、本当に、兄がご迷惑をおかけした分、了解も取らずに盗撮映像を無断使用した分、お詫びいたします。うちが
損しても償いますから」
それはそうだ、史朗は頷く。そのおかげで志月は社長の座を手に入れ、愛しの玲二に付きまとっていた過去のパトロンらしき
腹違いの兄を遠い彼方に葬ったのだ。これは礼を言われてもバチは当たらないと思えた。
しかし、志月のそばにいる玲二の、なんと幸せそうな事か。今まで見た事がないほどの満ち足りた表情をしている
「菊川のラストミッションはこれだったのか?」
史朗の問いに玲二は笑う。
「深田高次を退治する事は、彼に目を付けられた武田さんを救う事と、僕の過去の清算、そして、ナルシス・ノワール
つまりは志月さんの安泰。この3つを同時に成就させるためだったんです。だって、松田忠さんの養子になるというのに
高次さんとの黒歴史は葬りたいでしょ?」
「つまり、お前のためのミッションで、俺たちはおまけというわけか?」
和真は少しムッとして、玲二にそう詰め寄る。
「まあまあ、いいじゃないですか。うちも、ナルシス・ノワールさんとは長いお付き合いを望んでいたんですから。
話の判る社長さんに変わってよかったです。あんな事になって、半分諦めていたんですから」
武田は、ほっとした笑顔でそういった。
「末永くよろしくお願いいたします」
志月は微笑んで名刺を差し出した。