28

次の日、玲二は就業とともに急いでルナ・モルフォに向かう。ナルシス・ノワールの株主会議が深田高次抜きで

そこで行われていることを忠から聞いていたのだ。もちろん、もう会議は終わってはいるが、ある人物と会う事に

なっている。案内された客室に入ると、忠とそして、懐かしい人がいた・・・

「志月さん!」

しかし、振り向いた志月は玲二が知る志月では無かった。深田志月ー深田家の後妻が産んだ深田高次の腹違いの

妹で、腰まである長い黒髪の、背の高いスラリとした美貌の令嬢・・・のはずだった。が、目の前にいる志月は

スーツを来た青年だ。長い髪は後ろで一つに束ねられている。しかし、紛れもなく志月である。切れ長の瞳と白い肌

ふっくらとした唇の志月だった。

「玲二君、ありがとう、全てうまくいきました」

「どうして、男装してるの?」

忠は困惑している玲二を座らせて、コーヒーを入れて差し出す。

「落ち着きなさい。今まで隠していたけど、志月は女装していたんだよ。この姿が本当なんだ」

しかし、まだ信じられない、そんな事ができるのだろうか。28年間、誰にも知られずに性別を偽る事ができるのだろうか・・・

「玲二君ならわかるでしょう?私が男だと判るとダメな訳が」

今までと同じ顔で同じ声、しかし、男となった志月が玲二にそう語る。

「高次さんのせいだね」

少年性愛者の深田高次は、倫理観が破壊されているので、たとえ実の弟であっても毒牙にかけかねなかった。いや、実の弟なら

その背徳感に火がつき、大喜びで奴隷にするだろう。しかも同じひとつ屋根の下にいるのだ。

さらに、志月は女と偽っても疑う者がいないほどの美貌だ。両親はそのことを案じて、可愛い息子を守るために偽り続けたのだろう。

「でも、それにしても、よくそんな嘘を・・・すっかり騙されたよ。いやまだ信じられない」

そう言いつつ玲二は、落ち着くためにコーヒーを飲む。

「玲二君のくれた映像のおかげで、お兄様を引きずり下ろし、封印できました。これでナルシス・ノワールは安泰です。玲二君の

仇もとりましたよ」

「その流れからすると、新社長は志月さんなんだね」

ああーと忠が頷く。

「深田家の正当な跡取りだからね。分家の重役たちが後ろ盾になってくれているから、心配ない」

「忠さん、今まで色々とご協力ありがとうございました」

志月は立ち上がって忠に頭を下げる。

「いや、でも念には念をいれて、今日はここに止まりなさい。別の名前で予約してあるし、ここはセキュリティーも万全だから」

そう言うと、忠は部屋を出て行った。玲二には、ゆっくり志月さんと話しなさいと言って・・・

「夕食まだでしょ、そっちのテーブルにルームサービス入れておいたから食べて。玲二くんの退勤時間に合わせて頼んだから

まだ冷めてません。私は忠さんと済ませたから。じゃあシャワーしてきますね、スーツなんて慣れないから窮屈で早く寛ぎたいんで・・・」

窓際のソファーの前のテーブルに、ディナーの一式が置かれていて、まだ冷めてはいなかった。玲二が来る数分前に届けられたものと

思われた。確かに、高次の失脚と社長の交代は予想していた。うまくいけば志月が女社長として君臨するのかもしれないとも思っていたが

まさか、深田志月が男だったとは思ってもみなかった。

確かに、自分がされたことを振り返れば、死に物狂いで性別を隠さなければならないとも思える。が、全力で隠したからといって

隠し通せるものなのか・・・同じ家にいながら。ナイフとフォークを動かしながら玲二は、あれこれ思考を巡らせる。確かに、志月の女装は

違和感がなかった。が、何故気づかれなかったのだろうか。声は少しハスキーではあるが、志月の背の高いエレガントな容姿にピッタリだった。

憧れの、母のように慕っていた女性が男だった・・・この事態は玲二の中で混乱をきたす。しかも、普通は微かな恋慕が砕け散る結末だろうが

彼の場合は逆なのだ。男だったら惚れてただろうが、女性だから無理だと諦めていた志月が、実は男と判ったとなると、少し期待してしまいそうだ。

志月は深田の屋敷で、玲二に優しくしてくれた、我が身の危険も顧みずに、玲二を逃がし、忠に託したのも志月であり、恩人でもある。

そんな志月を玲二は誰よりも慕い、肉親のいない天涯孤独な彼の、肉親のような存在だった。ただひとり、心を許した人物が深田志月なのだ。

(もしかして俺、喜んでる?可能性あるかもって)

玲二には志月の気持ちはわからない。兄のように心配し、愛してはくれてはいるが、自分を性の対象として見れるかどうかは不明だ。

ましてや、高次の愛人で、金持ちのオヤジの男娼だった過去を知っている。同情こそすれ、性的な興味など持つはずは無いと思われた。

「あ〜あ」

もう考えるのは一旦やめて、玲二は内線でルームサービスのワインを頼む。なんにしろ、ワインでお祝いしたかった。恋人になれなくても

友人としてずっと傍にいられれば、それで満足だ。しばらくして、ワインが届き、ボーイはディナーの食器をもって部屋を出た。

志月が男でも女でも関係なく、好きだと思う。それだけが玲二の真実だった。

「お待たせ、髪乾かすのに時間かかって。もうバッサリ切ろうかな、どんなスタイルがいいと思う?」

玲二が決心した頃に、バスローブをまとって、志月がシャワー室から出てきた。女を装っていた頃は、こんな風呂上がりの姿など決して

見せはしなかった。それだけ、自分たちは近づいたのだろうか・・・

「切らないほうがいいと思うよ。綺麗な黒髪だもの、ねえ、触りたいな〜髪梳かしてあげるよ」

ドレッサーの前に志月を座らせて、玲二は髪を梳かす。志月の髪に触れるのは初めての事だ。

「本当に男とは思えないツヤツヤのきれいな髪だね」

志月と繋がれなくても、髪に触れられただけでも幸せな気分だった。

「玲二君が、この髪好きだって言ってくれるなら、切らずにおこうかな」

「うん、幸せだ。気持ちいい」

思わず志月の髪に顔を埋めて玲二は頬ずりしてしまう。そんな玲二を見て、志月は恥ずかしさに頬を赤らめて俯いた。

「あ、ワイン準備したんだ、乾杯しよう。僕のおごりだよ」

ソファーにワインのボトルとグラスを持って、玲二は座ると栓を抜き、グラスに注ぐ。男の髪に欲情するとは自分でも

信じられなかった。内心驚いて、玲二はぎこちない態度をとる。

「ありがとう」

玲二の隣に腰掛け、グラスを受け取ると乾杯して、志月は微笑む。自分の正体を明かして、玲二との仲が壊れてしまうかもと

志月は心配でならなかった。玲二は女には興味がないので、女装の志月には恋愛感情は沸かない。が、実は男だったと知っても

今までの関係を続けられるのかどうか・・・忠と玲二の関係は薄々感じていたので、もちろんそこに割り込めるはずもない

玲二が男が好きだといっても、男なら誰でもいいわけではないだろう。恐らく自分は玲二のタイプでは無い。それでも、友達として

今までど通り付き合えるのか・・・

実は、玲二が来る前、志月は忠にその事を相談した。忠は、玲二には心を通わせられるパートナーが必要だと言い、玲二の

性依存症を完全に完治させるためには、志月の愛情が必要だと言った。忠は志月が玲二の恋人になってくれることを望んでいると

そして、恐らく二人はうまくいくだろうというような事を言っていた。恋人などという位置は恐れ多くて、望めないが、玲二を変わらずに

愛していける自信だけはあった。

景気づけにグラスを煽り、志月は思い切って玲二に訊いてみる。

「私が男でも、今まで通りのお付き合いをしていただけますか?」

その言葉に、玲二は思いつめた表情で、ワインを一気に飲み下したあと、口を開く。

「無理、それは無理だよ」

予想はしていたが、志月は胸が締め付けられるような痛みに俯く。涙が滲んできそうだった。玲二は立ち上がると志月の背にまわり

ソファーの背越しに後ろから抱きついた。志月の首筋に顔を埋め、両腕で志月の肩を抱えた。

「志月さん、ヤバイよ。せっかく高次さんから逃げ切ったのに、僕に襲われたら困るでしょ。もう貴方とは会えない」

え?志月は耳を疑った。顔を上げて玲二を振り返る。

「私の事、襲いたい?私なんか、女みたいで男らしくないし、忠さんとは真逆だし、玲二君の好みじゃないでしょ」

え?思いもかけない反応に、今度は玲二が耳を疑う。

「志月さんの事、ずっと前から好きだったよ。でも、僕は受けで、だから、女性の志月さんとは絶対に結ばれることはなくて・・・たとえ

可能だとしても、志月さんは僕の事なんて好きじゃないだろうし、だから諦めてたのに、今になって志月さんが男だなんてわかったら

もう我慢できずに押し倒すかもしれない」

志月は上半身ごと向きを変えて、玲二に向き直ると、玲二の頬を両手で挟んでくちづけた。ずっと志月の脳内で繰り返された願いを

彼は遂げる。数千回数万回、志月は玲二と唇を重ねる妄想を続けてきた。性別を偽り続ける間、志月は誰であろうと、接触しては

ならなかった。交際も性的な関係も接触も避けていた。だから、本来の性別を明かした今、溢れてくる想いを抑えられず、玲二の唇の

柔らかな感覚を愛おしんだ。

「ずっと、玲二君とキスしたかったって言ったら、引く?」

ううんー 玲二は首を振り、志月の頬に自分の頬を寄せた。

「ありがとう、こんな優しいキスをくれたのは志月さんが初めてだ。初めて愛されているって実感沸いた。今夜ここに泊まってもいい?

朝まで一緒にいたい」

「永遠にずっと一緒にいてくれるなら、泊まらせてあげますよ」

ははは・・・玲二は笑いながら志月の前に回り込んで跪くと左手の甲にくちづけた。

「誓います、ずっとお傍に居させてください」

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