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月曜の朝、鏡の前でワイシャツを羽織りながら、史朗はため息を付く。昨夜の和真の仕業による赤い痣が
胸元に点々と残されているのだ。
「ひどいなあ、これ。まさか見られることは無いと思うけど、菊川にでも見つかった日には散々からかわれるな・・・」
ひとり愚痴っていると、シャワーを済ませた和真が腰にタオル一枚巻いた姿で寝室に現れた。
「菊川がなんだって?」
「見てくださいよ〜和真さんのせいですよ?」
史朗が振り返って胸元を和真に見せた。
「ああ、なんか超エロいな・・・朝っぱらからそんなの見せたらヤバイだろ?」
というか・・・言葉を無くして、史朗はシャツのボタンを留め始めた。
「まあ、こんな体の事情で今日のナルシス・ノワールの商談はキャンセルという事でいいな」
クローゼットを開きつつ、和真は上機嫌だ。
「いえ、商談は行ってきますよ。それでもし、和真さんの言うように、あちらが枕営業を要求してくるのなら、はっきりと
切り捨てていいですね?」
「今すぐ切り捨ててもいいんだぞ?あちらが上手で、一服盛られでもしたらどうするんだ?でなくても拘束されたり
力ずくとかでヤられちゃったらどうするんだ」
史朗のネクタイを結ぶ手が一瞬止まった。全く無いとは言えない。
ー ただ武田さんにはちょっと興味あるかなあ。あの甲斐さんが溺愛してたくらいだから、どんな感じなのかなって ー
以前、玲二にそんな事を言われたのを史朗は思い出した。もしかすると、自分は男色家を惹きつける何かを持っているのかもしれない。
だからナルシス・ノワールの社長も・・・
「考えたくないなあ・・・」
想いを振り切るように史朗は上着を羽織る。
「武田さん、今日、深田高次と商談するんですって」
会議に使う書類をコピーしている史朗に、玲二がそっと近づいてそう訊いてきた。
「深田・・・ああ、ナルシス・ノワールの社長か。俺一人で来いというもんだから、とりあえず行ってくる」
ナルシス・ノワールの社長の名前を、フルネームですらっと出してくる玲二に疑問を感じつつ、史朗は答える。
「気をつけてくださいね、あいつ、あまり素行良くないんで。武田さん、襲われるかもしれませんけど、それで脅して契約取り付ける方法も
ありますよ」
何故、玲二が深田社長を知っているのか、疑問だが、訊くことが憚られた。
「うちの社長には、この事、内緒ですよ。そうでなくても心配してるでしょうから。そして・・・今日は必ず行ってくださいね。おじけづいて
行かないとかダメですからね」
そう言い残して、にっこり笑って玲二は部屋を出て行く。何か企んでいる事は明白だ。場所はルナ・モルフォなので、玲二は恐らく
深田の弱みを掴んで、言うことを聞かせる魂胆だろう。それで強姦か枕営業の強要の証拠をつかむために、史朗には今日その場に
行く事を勧めたのだ。しかし、玲二が何を企んでいるとしても、そこに忠が介入しているのなら、恐らく自分の身の安全は保証されて
いるだろうと史朗は考えた。
「武田、早くしろー」
和真が待ちきれずにコピー室に入ってきた。この社長は社長室に一人でいれない困ったちゃんである。
「すみません、これで終わりです・・・」
と最後の一枚を終えると、書類を抱えて部屋を出た。
「マジ今日行くのか?」
廊下を歩きつつ、和真はまだ商談の事を気にしている。
「とりあえず行きましょう。先に帰っていてください」
「いや、ルナ・モルフォのエントランスで待ってる」
心配でたまらないのだ。しかし、先ほど玲二が言ったように深田社長が襲ってきたとして、そんな騒ぎを史朗は和真に知られたくは
無かった。傷つけるし、不安にさせる・・・しかし、来るなといっても和真は来るだろう。史朗は穏やかに微笑んだ。
「そうですね、終わったら一緒に帰りましょうね」
気を取り直して、史朗は和真と午後の会議に向かう。
午後5時過ぎると、史朗は社の車でルナ・モルフォに向かった。約束の時間は6時半だが、玲二がよこしたメモには、今日の商談の
細かい注意事項が書かれていて、その中に一時間以上前に、部屋にて待機の事とあった。部屋、または飲み物に細工させないためであろう。
そして、相手が差し出す飲料、食物は一切口にしない事、自分の位置はなるべくドア側に保つ事。ピンチの時には”主の仰せのままに”
と大きく言ってください、これは助けを呼ぶ呪文です。この部分は赤いアンダーラインが引かれ、重要と書かれていた。そして、読んだ後
このメモは処分する事となっている。
史朗はルナ・モルフォに着くと予約していた客室のカードキーを受け取り、深田社長が来たら案内するように言伝た後に部屋に入る。
ここからが戦場だ、気を抜けない。忘れないうちに玲二のよこしたメモを、灰皿の上で火を点け燃やした。その後、商談用の書類を
テーブルに置き、部屋を見回す。玲二が事前に何かを仕掛けた可能性は高い。助けを呼ぶ呪文を設定してくるとは、恐らくこの部屋は
盗撮されている。それをネタに深田を脅すつもりだろう、支倉のために?それとも忠のために?玲二の目的ははっきりしないが
何かを企んでいる事は明らかだ。そんな色々な事に思いを巡らせていると、ドアがノックされ、深田の声がしたので、史朗がドアを
開けるとお早いお着きですねと苦笑しつつ、部屋に入ってきた、時計を見ると6時前。先を越されて、計画が上手くいかず焦って
いるように史朗には見える。前もって準備しておいたカップにポットの湯を注ぎ、史朗は深田に差し出す。やはり彼はコーヒーを
口にはしない薬を盛るような人物は、盛られる事にも警戒心大なのだろうか・・・
そう思いつつ、用意した書類を差し出す。
「なるべくご満足いただけるよう、歩みよって見ましたが・・・」
腰掛けている深田の横に立って、書類に目を通している彼を史朗は監視する。
「それは、武田さん次第かな」
なにやら雲行きが怪しくなってきたので、史朗はそっと後ずさった。
「武田さんに免じて、前回の条件で契約しても構いませんよ。貴方が私を満足させてくれたら」
はあぁ!?覚悟はしていたが、本当にこんな事が自分に降りかかってこようとは思わなかった。
「それは、どういう・・・」
苦笑しつつ後ずさる史朗の腕を、深田は素早く掴み引き寄せる。あっというまに史朗は深田の腕の中に閉じ込められた。
「分かっているでしょう、支倉和真で何人目ですか?今まで何人の男の肉棒を咥え込んだんですか、ここで」
深田の右手が史朗の腰に周り、すっと臀部の谷間に指を滑らせた。
「物好きですね、こんなおじさんの尻に興味をお持ちとは・・・」
心中はかなり動揺していたが、なけなしのプライドで、史朗は強がる。
「ええ、私も驚いています。貴方の年齢では、私の守備範囲を大きく逸脱している、にも関わらず、貴方が欲しい。どうしましょうか」
んなこと俺に聞くな!と心で怒りつつ、史朗は深田の腕の中でもがく。が、深田は史朗より遥かに体格がよく、力も強い。
あっさりと眼鏡を外され、顔を近づけてくる。
「長いまつげだ、よく見ると綺麗な顔してますね。惜しいな、もう30年くらい若かったら・・・」
それは子供じゃないか・・・と心で突っ込みつつ、史朗は深田の中に異常なモノを垣間見た。
「でも、スレた少年より遥かに純粋で美しい。どんな少年でも、一度快楽を味わうと、変に荒淫が顔に出てくる。挙句の果てに
”しな”まで作って媚びてくる、こればかりは萎えるよ。嫌がるのを無理やりというのが萌えの基本だというのに」
いや、それは強姦というのではないか・・・史朗は渋い顔をする。玲二の言う品行の悪さというのは、この事なのだろう。
「だからといって不感症や無反応では萎える。閨で乱れないと征服感が得られない、このメリハリが重要なんだ。そんな意味で
貴方は理想的なんです」
「どうしてそんなこと・・・」
分かるのかと聞きたかった。こんな問答を繰り返しているうちに、じりじりと追い詰められるように、史朗の身体は深田に密着してゆく。
「お前が快楽に敏感で弱いのはお見通しだ。なのに、あの見かけのクールさときたら・・・そのすました顔の奥の淫らな中身を
想像しただけで興奮していたよ」
あっさりと史朗は唇を奪われ、口内を舌で陵辱される。”武田さん”が、”貴方”に変わり、”お前”になった・・・
とうとう本性を現したのだ。その間もずっと、深田は史朗の臀部をまさぐっていた。じりじりと後ずさり続け、史朗は何かにつまづいた
どんっ・・・史朗の背を受け止めたのはベッドだった。こんなにも簡単にベッドに倒されようとは、しかも、自分の足で転んだようなものではないか
「申し訳ございませんが、うちは枕営業はしておりませんので、この商談はなかった事に・・・」
精一杯の力で深田を押し返して、史朗はようやくそれだけを言った。
「で、いいんですか?和真さんのお役に立ちたくないですか?この契約とったら喜びますよ?和真さんは」
やめるつもりは微塵もない深田は、器用に史朗のネクタイを外し、それで手首を拘束した。
「え?!」
流石にヤバイと史朗は感じる。相手はかなりの変質者であろうと予想された。
「黙ってりゃわからないでしょう?和真さんのために一度だけ目をつぶればいい事でしょ。貴方は被害者だ、悪くない。それでいい。
まあ、たとえ私にどれだけイかされたとしても、これは無理矢理なんだし」
身動きの取れなくなった史朗のシャツのボタンを外し、前をはだけると、深田はそこに広がる和真の所有印に目を輝かせる。
見られたー 朝、鏡の前で誰にも見られまいと決意したにも関わらず、あっさりと・・・史朗は悔しさに唇を噛んだ。
「いいですね、これ、支倉和真の挑戦状ですか?こういうの興奮しますよ、人のモノ奪ってやった感がありますよね。ここ上書きしてあげましょう」
深田は史朗の胸元に顔を埋め、和真がつけた痣のうえに口づけると強く吸いつく。虫唾が走るような嫌悪感を感じ、史朗は限界を知る。
「主よ、仰せのままに」
半信半疑ではあるが、藁にでも縋る思いで助けを呼んだ。