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史朗が秘書に就任して8ヶ月後の初夏に、日下は定年退職する事になり、送別会を

ルナ・モルフォの披露宴会場を借りて行った。重役、秘書課、各課の課長達が参席しての

盛大なものとなった。日下の後釜に座る史朗は、始終日下に付き添っていて忙しい。

日下の挨拶と、社長からの送辞、引き継ぐ史朗の挨拶など一通り済むと、後は自由に会食となる。

皆口々に、史朗が後を引き継いでくれて、よかったと言っていた。送別会の幹事の玲二は、忙しく

料理、ワインの調達に動き回っていた。とにかく仕事さえしていれば気が紛れた、そして、和真には

史朗がついているので、もう心配はない。自分が世話をする必要もない。

にしても、史朗にほっとかれてショボンとしている和真の背中に出くわし、頑張れと応援したくなる。

しかし、最近の和真は社員の好感を勝ち得ていた、変に仮面をかぶって威嚇していた頃より遥かに

人間的で、信頼できるというのだ。これも史朗のお陰・・・と皆は思っている。

史朗が和真を変えたそれは ー当たらずとも遠からずー だ。いや、ほとんど当たっている。

若社長なので、威嚇するより自然体の方が部下達はついて行き易い。

(まあ、良かったですね〜)

玲二は遠くから和真に、応援の眼差しを送った。そして、フルーツとドリンクの調達をドア側にいる

ホテルの職員に告げると、気分転換に廊下に出た。支倉カンパニー様 送別会 と書かれた

看板の前に立ち、タバコを取り出し、火をつけた。

「お客様、ここは禁煙ですよ。おタバコは喫煙コーナーでどうぞ」

声の主を振り返ると、後ろに甲斐が立っていた。穏やかな微笑みをたたえて、そこに佇んでいるのだ。

「忠さんも来てるの?」

どこか出会えるかも知れないという、微かなの望みを抱く。

「ええ、海外の旅行会社の宿泊施設の視察に付き合っておられます」

甲斐はその場を一時、抜けてきたのだ。遠くから史朗を垣間見るために。それは本当に涙が出るほどの

愛し方だった。相手が未練を残さないよう、バッサリ切り捨て、その後は会うこともなし。

しかし、知らない所でこうして史朗の事を影で見守っていたのだ。

開かれたドアから、会場の中が垣間見えた。日下と談笑する史朗、和真に料理を運んで渡す史朗・・・

もう支倉和真のモノとなった、かつての最愛がそこにいた。

「いい加減、甲斐さんも武田さんを忘れてくださいよ。未練たらしいんだから」

玲二の言葉に甲斐は笑う。

「お前はそれでいいのか?」

甲斐が史朗を忘れ、忠の愛情に答えれば、二人は相思相愛になってしまう。が、それでも玲二はいいと思った。

「いいですよ、だって片思いの忠さんなんて見ていられないもの」

嘘ではない。愛する人の幸せを心の底から玲二は願えるようになっていたのだ。甲斐はそんな玲二に悲しげな

微笑みを残して、去っていった。すれ違いざまに、玲二の肩を掴んで、すまないー と小さな声で囁いて・・・

甲斐はもしかして、自分に悪いと気兼ねして、忠の想いを受け取らなかったのか?玲二は一瞬そんな想いを抱いた。

しかし、おそらく甲斐も、史朗を思い出にする決意をしただろう。さっきのは、その儀式だったのかも知れない。

とにかく、甲斐はすることの一つ一つがサマになり、筋が通っていて格好良い。粋である。

自分は年をとった時に、あんな男になれるだろうか?ぼんやりそんな事を玲二は考えていた。

携帯灰皿でタバコの火を消し、玲二は再び会場に戻る。自分もそろそろ、最愛の人を探さなければと思いつつ。

「社長、先程からスイーツばかり召し上がってませんか?栄養偏りますよ」

最後だと思われる日下のお小言に、和真はため息をつきつつも、聞き収めだと思うと、少し切ない気分がした。

「まったく、お子様なんだから」

お前に比べたらお子様だよ・・・渋い顔をしながら和真は日下を見つめる。しかし、父のように頼っていた日下が

去ってしまうのかと思うと、寂しかった。

「日下も、元気でな。残りの余生を楽しめよ」

お開きの時間になると、日下は急に涙ぐんで、和真を抱きしめる。

「社長も、お元気で・・・・」

皆に送り出されて、日下は家路に着いた。

「定年退職ですか、いつかそんな時が来るんですよね」

しみじみとつぶやく史朗に、和真は焦る。

「秘書になったばかりなのに、もう定年退職を考えているのか?」

やっとゲットした右腕を、また無くす日の事を思うと和真は寂しい思いになる。

「お前が退職したら俺はどうすればいいんだ・・・」

家に向かう車の中で、和真はボソリとつぶやき、運転席の史朗は笑いつつハンドルをきる。

「大丈夫ですよ、その頃には和真さんもベテラン社長になって、私なんか必要ありませんって」

いや、精神面でというか、人としてとても必要なんだけど。和真は複雑な顔をする。

「というか、じいさんになっても、俺と一緒にいてくれるんだよな?老けたからって捨てるなよ」

それはこちらのセリフだと、史朗は後部座席を振り返る。史朗の方が年上で、先に老けるのだ。

「和真さんこそ、じじいになった私を捨てるんじゃないですか?」

史朗がじじいになるなど想像もつかないが、きっとロマンスグレーの美人な爺さんになっていると和真は思う。

「じじいになっても、史朗は美人だと思うぞ?俺は絶対お前を捨てない」

ははは・・・美人な爺さんとはどんなものなのか予想もつかないが、添い遂げてくれようとする和真の想いが

嬉しかった。しかし、冗談ではなく、和真より年上であることが史朗には引っかかる。

「寝たきり老人になったらどうしましょうか・・・」

もう、いい加減に和真は怒り出した。

「今考えなくてもいいから、そういうことは。あと二十年くらいは支倉でがんばって働いてくれよ」

それもそうだと史朗は思う。今しないといけないことは、和真と支倉カンパニーを守っていく事なのだから。

今を頑張らなければ、幸せな未来もないのだろう。

「はい、頑張ります、任せてください。私は甲斐の虎改、支倉の虎なんですから。こうして行きも帰りも

社長を車で送り迎えできるのも秘書冥利に尽きますね〜」

何お世辞行ってるんだ?苦笑しながらも、和真はまんざらでもなかった。これからは日下のいない日々に少し

不安を感じるが、史朗がいてくれるので心強い。さらにこれからは史朗と二人三脚で仕事をするのだと思うと

力が湧いてくるのだ。

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