17
今日から日下は、史朗に引き継ぎを行うため、つきっきりであちこちを連れ回していた。
時々置き去りにされる和真は一人でデスクにいた。
「社長、武田さんがいなくて寂しいですか?」
玲二がファイル整理しながら微笑んでいる。確かに、史朗が言うように、彼が和真に一服盛ったなら
史朗と他人でなくなった事は、すでに承知ということになる。知った上でこんな事を言っているのだろう。
「ああ、歓迎会の時は世話になったな。わざわざ部屋まで取ってくれて、ご苦労さん」
嫌味ったらしい和真の言葉に玲二は苦笑する。しかし、そんな事でへこたれる玲二ではない。
「これ、コピーしてきますね」
会議用の資料を持って社長室を出た。和真はそんな彼の背中を見ながらため息をつく。これは毒なのか
薬なのか・・・
「一旦、社内の挨拶周りはこのくらいにして・・・」
などと言いつつ、しばらくして日下と史朗が部屋に入ってくる。日下は引継ぎをはりきっている、もう何も
心配することなく退職できるのだ。
「大体、重役連中は知った顔だろ、楽勝だ。あとは外回りだが、それは、おいおいするとして・・・」
「社長はほったらかしか?」
目を通し終えた書類を日下にひらつかせつつ、和真は拗ねる。
「すみません、お昼にしますか」
史朗の笑顔に、途端に機嫌を直す和真を見て、日下は本当に史朗が来てくれてよかったとしみじみ思うのだ。
コピー室から戻ってきた玲二を伴って、一同は社員食堂に向かう。パーテーションの奥の席が食堂内社長席である。
ここには、食堂の職員が運んでくる事になっており、お付きで来た秘書も、そのおこぼれに預かれる。
「社員食堂のVIP席なんて初めてですよ」
史朗は珍しげにあたりを見回す。そして結構落ち着かないものだと思う。
「なんだか、ここで昼食は久しぶりだな。最近外回り多かったからな」
運ばれてきた日替わり定食を眺めつつ、和真は箸をとる。史朗と社内で昼食をとる事さえ、わくわくしている自分を抑えていた。
「武田さんとお食事できるなんて、夢みたいですよ、さらにこれが毎日だなんて」
玲二が満面の笑顔でそう言うが、本当にそう思っているのかどうかは怪しい、 社長まで手玉にとる男なのだ。
「いや、お前は秘書室の方担当しろ。日下の退職後は俺と武田で何とかするから」
「あ、お邪魔でした?」
和真の言葉にも負けず、飄々とした玲二の態度に呆れながら、日下もうなづいて同意する。
「そうですね、いい考えです」
やんわりと玲二を排除していく和真の作戦だ。あまり傍に置き過ぎないほうがいいとの判断である。それには史朗も
大賛成だった。 そんな〜と残念そうに笑いながら、目は笑ってない。とりあえず、一見穏やかな昼食を終えて、社長室に
向かう廊下で玲二は、そっと史朗の横にやってきた。日下と和真は、なにやら話しつつ、前を歩いている。
「うまくいったみたいですね、おめでとうございます。お二人が結ばれてくれればもう、心配事もありません」
小声でそう話しかけてきた。
「強引な真似は関心しないぞ。特に社長に一服盛るとか」
バレましたか・・・と苦笑いしながら、玲二はさらに史朗に密着してきた。
「でも、後に残らない安全な薬なんで、許してくださいよ。まあ、効き目はすごいですよね」
こんなグレーな手口を、今までも幾度となく使ってきたのだろう。
「もうさせない。それにお前も近々、ルナ・モルフォに戻るんだろう?」
「そうですね、後一つ残されたミッションを終えれば、退散しますよ。ああ、これは社外なんで心配しないでください。
あと、僕は社長には手出ししません。多分、お互い趣味じゃないし。ただ武田さんには、ちょっと興味あるかなあ。あの甲斐さんが
溺愛してたくらいだから、どんな感じなのかなって」
玲二の口から、甲斐の名前が出た事に史朗は驚いて立ち止まったので、ほらと、玲二が史朗の腕を抱えて前へ進むように促した。
「あの人、前社長の愛人してたでしょ、受け専門の甲斐さんが、武田さんにだけは攻めだったなんて、ちょいびっくりだったし
貴方のそのクールな取り澄ました顔が、ベッドでどんな風に変わるのか見てみたいなあ。甲斐さんが貴方のどこにそんなに
夢中になったのか知りたい」
何故、彼がそんなに甲斐を意識しているのかわからない。彼は忠の愛人ではないのか・・・それとも、ただの好奇心か?
警戒心大になっている史朗に、玲二は大笑いする。
「だからって、武田さんとは無理だから安心して。僕は受けで、リバじゃないから。もう知ってるよね、甲斐さんは
忠さんのところにいるって。忠さんの最愛は甲斐さんだから、武田さんはこれを機会に、綺麗さっぱり忘れてね」
忠の秘書をしていると聞いた時に、既にそうではないかと思っていた。だから、史朗は驚かない。しかし、それなら玲二は
忠のなんなのだろうか・・・という疑問が残る。
(まさか三角関係?!いや二股か・・・)
「武田さん?僕の事は詮索しないでいいんだよ」
謎は謎のまま、残った。史朗と玲二が遅れるので、前を歩いている和真が振り返った。
「おい、武田!早く来いよ」
史朗は玲二を振り切って和真を追った。
玲二には、甲斐と和真二人に愛されている史朗が羨ましくてたまらない。そして前を行く和真と史朗のカップルが、幸せそうで疎ましい。
実らない自らの愛を思いため息をついた。
「食堂からの帰り道、菊川となに話してたんだ?」
マンションに帰って、ソファーでくつろぐ和真にお茶を持っていった史朗はそう訊かれた。隠し事は無しと言ったのは史朗の方である。
自分が隠し事をするわけにもいかない。
「社長にこれからは一服盛るような事はするなと言いましたら、安全な薬だから心配するなと言われました。後、甲斐さんは松田社長の
最愛だからきっぱり忘れろと」
え?和真は史朗を見た。確かに忠は独身貴族だが、同性愛者だったとは知らなかった。しかも今は甲斐と・・・
「ショックですか?」
いや。と首を振ったものの、和真は少し動揺していた。なんとなく寂しかった、兄を独り占めしていると思っていたからだ。
そんな和真を見て、史朗はやはり、和真は忠を愛していたのだと確信する。忠と和真は相思相愛にも関わらず、兄弟という壁が
二人を引き裂いたのだと史朗は推測した。
「大好きなお姉さんが嫁に行くくらいのショックかな」
本当にそれだけだろうか・・・疑いの眼差しを向けている史朗に、和真は反撃する。
「お前も、甲斐さんがさっさと新しい恋人見つけたんでショックだろう?」
「いいえ、私は安心しました。これで本当にあの人を忘れて、和真さんを愛せるって」
そんな可愛い事を言われて、和真は軟化した。
「あと・・・ミッションが一つ残っていて、それが終わればルナ・モルフォに戻るそうですが、なんでしょうね?」
嫌な予感がするが、多分それも忠が和真のためにする事なのだろう。黙って見ているしかなさそうだ。
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