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無事に史朗の人事異動を終えて、秘書1課の課長に就任した史朗の歓迎会をルナ・モルフォのレストランで行った。

課長とは言え、史朗は社長付きなので、事実上、秘書課をまとめるのは玲二となる。

しかし、デスクワーク専門の古株、村井武夫は史朗の着任を大歓迎していた。日下が退職した後、玲二のような若造に

顎でこき使われるのは自尊心が傷つくのだ。彼は関ヶ原の終焉ギリギリで入社したので、史朗の事は知っている程度であったが

伝説の甲斐の虎の部下になれる事を光栄に感じていた。そして数人の重役秘書たちに混じり、相田美菜子もその中にいた。

秘書課の歓迎会なので、社長の和真は参席していないが、場所をわざわざルナ・モルフォとしたのは玲二の陰謀だろうか。

そうでなくても、レストランの奥に会食用の閉鎖されたスペースがあり、そこで会議や、お誕生会などのイベントもできるのは便利だ。

「松田社長なかなかやりますね、支倉に収まるような器じゃないとは思っていましたが」

玲二の顔色を見ながら、史朗はそう笑って言う。おそらく、彼はゆくゆくはここを引き継ぐのだろう。籍を入れ、養子縁組して

松田玲二として。

史朗はしかし、そんな事には興味は無い、ただ玲二を見張るだけだ。

「武田さん、社長いなくて寂しい思いしてるかもと、実は招待しました。そろそろ到着されるかと・・・」

しきりにスマホを操作していたのは、そのためだったらしい。社長抜きの無礼講で息抜きしろと、遠慮した和真を、わざわざ

呼び出すとは、何を考えているのやら・・・史朗はだんだん不安になる。なにやら、玲二は史朗と和真をくっつけようとしている

和真に恋人でも出来れば、忠が和真を諦めて、自分一筋になるとでも思っているのか・・・それとも、これまでもが忠の差金なのか・・・

そうこうしているうちに、店員に案内されて和真がやってきた。しかも高そうなワインとともに。

「支倉様からです」

そう言って店員がグラスに人数分のワインうを注ぐ。社長が来ると聞いて嫌な顔をした秘書課の部下たちも、この差し入れに機嫌を直した。

「今日は無礼講だ」

そう言って嬉しそうにしている和真を見て、村井が驚いて日下に囁いた。

「こんな社長、初めて見ましたよ。どうしたんですか?」

いつも威嚇的な和真しか知らない社員たちは、心なしか気さくな和真に戸惑う。

「それだけ嬉しいんだ。甲斐の虎をゲットした事が」

たしかに、武田がいるだけで心強い。皆、日下が退職した後、誰が社長を支え、社員をまとめてくれるのかと不安だったのだから。

日下自身も、長年誘い続けた史朗がようやく来てくれた事に喜びを隠せない。先代社長に和真を任されて、ずっとわが子のように

和真を守り続けてきた。定年退職を前に自らが認める、信頼できる誰かに和真を託していかなければならないと、責任を感じつつ

後任を案じてきたのだ。日下はようやく背負った重荷を下ろすことができると感じた。史朗ならば、間違いはない。後は無事に

定年退職を待つばかりだ。そんな感慨に耽っていると、日下は右隣の席の玲二が、和真にワインを勧めているのを見て止めた。

「おい、あんまり飲ませるな、社長酒弱いんだから・・・」

肘でつつかれながら小声でたしなめられて、玲二は驚いた。

「え、そうなんですか?」

わざとらしいー 史朗は自分の向かい側の玲二に呆れた。

(知らない訳無いだろう?松田忠の忍びのくせに・・・)

が、ワインぐらいでまさかというくらい酔っている和真も和真だった。まあ、静かに眠っているので害はないが・・・

「すみません、少し、外の風にあたりますか?」

などと和真を抱えて席を立った玲二を見上げた史朗に彼は ー主役は席についていてください、ここは僕が介抱しますからー 

と囁いて去っていった。

(何を企んでいるんだ)

また、嫌な予感がする。わざと酔わせたのではないか・・・しかし、何のために?忙しく思考を巡らせつつ、史朗は隣の社員の世間話に

相槌を打つ。気が気ではないが、その場を離れるわけにも行かない、日下は甲斐の虎を捕獲した事に安心して、この些細な出来事には

目もくれない。とにかく、歓迎会がお開きになるまで、史朗はひたすら耐えた。皆が立ち上がって帰ろうとした頃に、玲二が現れて、史郎に

カードキーを差し出した。

「フロントに問い合わせたら幸い、空き部屋があったので、社長に客室でお休みいただきました」

部屋に連れ込んで何をしたんだ・・・と嫌な予感がした。

「武田さんて、社長とご近所さんなんでしょう?お願いしていいですか?」

和真とご近所・・・そこまで知られている事に史朗は驚異を覚えた。とりあえず、和真を連れて帰る事が史朗の使命だろう。

カードキーを受け取って、和真の部屋に向かうためにエレベーターに乗る。週末、予約も無しに、このホテルの部屋が取れるとは思えない。

これはあらかじめ、予約しておいたとしか思えないのだ、歓迎会をここでする事に決めたのも、玲二である。エレベーターを降りて

部屋に向かう史朗は、ネクタイを締め直し、気を引き締めた。この先は鬼が出るか、蛇が出るか・・・覚悟してかからねばならない。

部屋に入ると案の定、忠が史朗を待ち構えていてソファーに座らされ、紅茶を差し出された。奥のベッドには和真が横たわっている。

「一度会って話したかったんだ。甲斐の虎と」

和真と同じ位の長身で、がっしりしているが、鋭い日本刀のようなシャープな印象を史朗は忠に感じた。それは切れ長の瞳と女のような

繊細な唇のせいだろうか・・・しかし、和真よりはるかに力強く見える、狼のようなしなやかな美しい強さなのだ。

和真の年の離れた、腹違いの兄・・・しかし、この二人はあまり似ていない、どちらかというと和真の方が先代社長に似ていた。

「君は甲斐以上だと認めた男でなければ、従わないと噂されていて、日下も庶務課から引き上げるのに手こずっていたと聞いたからね」

そう言いつつ、自分のカップを手に、史朗に向かい合って腰掛けた。

「おかしいですか?そんな私がいきなり社長秘書だなんて、もしかしてまんじゅうこわいで、自分の値段釣り上げてたんじゃないかとか

疑ってます?」

その顔に笑みを浮かべている間は彼は本心を隠しているー 甲斐義之が史朗の事を、そう言っていた事を思い出す。ポーカーフェイスの

仮面は剥がれない。

(でも、甲斐には見せたんだろう?本心を)

じっと覗き込まれて、史朗は耐え切れず目をそらす、和真が心を開いた唯一の男を前にして、得体の知れない感情が湧き上がる。嫉妬でもなく

好奇心でもない。でも知りたい、和真は彼の何処に一番惹かれているのか・・・

「君は和真を愛し始めた、違うか?」

直球で投げ込んでくるこの怖いもの知らずなホテル王は、玲二以上に厄介だ。

「どういう意味ですか?」

かろうじてポーカーフェイスを崩さない史朗に、忠はさらにつっこんでくる。

「そのままの意味だ。君は彼に甲斐と同じものを求めている」

彼は知っているのか・・・自分と甲斐の仲を。しかし、そうだとしたら・・・

「松田さんも、支倉社長を愛しておられるのではありませんか?」

「愛しているよ、命を賭けて」

即座に、真っ直ぐに見据えて彼はそう答える。その揺るぎない想いに史朗は弾き飛ばされそうになるのを感じた。

「とても和真を前にして言える事ではないが、今は眠っているからな」

内ポケットから出したタバコに火を点け、忠は目を伏せた。

「想いが叶わないのは、腹違いの兄弟だからですか?」

さあ・・・彼は首をかしげた。

「俺は、こいつにふさわしくないから、じゃないか?しかし、君なら和真と生きていける、そう思った。君に和真を託そうと

思ったから、あの時、甲斐に君を諦めさせたんだ。君にはすまない事をした」

なぜそこに甲斐が出てくるのか?史朗の顔から微笑みが消えた。それを忠は見逃さなかった。

「甲斐もそうだ、和真を見込んで和真に君を託した。だから、信じているよ」

どういう事なのだろう?史朗は混乱する。忠の指先のタバコから立ち上がる紫煙をぼんやり見つめつつ、訊きたい事を

何一つ訊けずにただ、心だけが焦っていた。

「かなり時間がかかったけど、うまくいく」

「何故、私にそんな事をおっしゃるのですか?」

それには答えず、松田は黙ってタバコを吸い続けた。まるで言葉を選んでいるかのように・・・史朗はその仕草の中にでも答えを

みつけようと息を殺して見つめていた。そして、彼はおそらく自分よりもっと、何十倍も和真を愛しているのだという事に気づいた。

それは、忠の持つ眼差しが、独占欲や嫉妬のような感情から解き放たれた、慈愛に似た愛情に満ちた眼差しだったからだ。

「ためらうな、という事だろうな。和真を愛する事をためらうな。俺は和真を束縛しないし、甲斐はお前を束縛しない」

なるほど、史朗は微笑んだ、和真と自分とのキャスティングは松田が仕組んだ。だから、松田は和真の元を去り

甲斐は史朗の元を去った・・・そして、史朗が庶務で八年もくすぶっていた事だけが計算外だったと言うのか・・・

「俺は和真の事を誰よりもよく知っていて、甲斐はお前の事を誰よりもよく知っている・・・そういう事だ。和真を頼んだよ」

そう言うと忠は出て行った。甲斐の居所と、消息を尋ねることは躊躇われ、史朗は彼をただ見送った。忠に会えば一番に

訊きたい事だったのに、どうしても訊けなかった。もう、甲斐は自分には逢ってはくれないという事が忠とのやり取りで痛いほど

感じられたからだ。甲斐は八年前に史朗の手を離した。のに史朗はまだ甲斐だけを見つめ続けていた・・・我ながらに滑稽だ。

薄々感じていたのに、こうしてはっきり言われるとかなりきつい。

「・・・武田ぁ・・」

和真の寝言に我に返り史朗はベッドにかけよった。

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