「では、支倉社長、よろしくお願いしますね」

「はい、検討させていただきます」

和真は笑顔で、父親ほど年上の取引先の社長を、ホテルのレストランで会食したあと、エントランスまで見送りに出る。

高級ホテル、【ルナ・モルフォ】 ここは近頃頭角を現し始めたホテル業界のニューフェイスである。

会議室、取引用の部屋、各企業が社用に使用し、接待、外交の来賓の宿泊施設にも使われまた、一般の旅行客

結婚式、披露宴、と幅広いニーズに応えるべく、あらゆるサービスが整っている最新式のホテルである。

和真も今回、ここを取引先の社長の接待に利用していた。そして、ここは腹違いの兄である松田忠が、関ヶ原での敗北の後

裸一貫で築き上げた城である。支倉という枷から解き放たれ、忠は自分の得意分野でその実力を発揮しているのだ。

忠の経営しているホテル・・・とはいえ、社長が自ら現場にいるわけではないから、会える訳ではない。しかし、ホテル全体が

忠の分身のようで、和真はここにいると落ち着くのだ。とりあえず今日もひと仕事終えた・・・日下と帰ろうとした時、前方から

秘書を引き連れた忠が歩いてくるのが見えた。

ー兄さん・・・ー

堂々として、力強いその勇姿に見とれる。関ヶ原で敗者となりながらも、今ここで不死鳥のように蘇り、業界の帝王の座を

手に入れた。話しかけることは、はばかられたが、通り過ぎてゆく姿を垣間見れただけで、和真は胸がいっぱいだった。

「あのう、支倉社長・・・」

受付嬢が歩み寄り、カードキーを差し出した。

「社長がこちらでお待ち願いたいと申しております。視察が終わればすぐに伺うとのことです」

覚えていてくれた、和真は涙が出るほど嬉しかった。さっき、すれ違うその瞬間に、自分に気づいていて、秘書を通して

受付に言伝たのだろう。カードを渡すと、一礼して去ってゆく受付嬢の背を眺めつつ、和真はしばらくぼんやりしていた。

「社長、それではごゆっくり。私はこれで・・・」

日下は気をきかせて先に帰った。ここからはプライベートな兄弟の時間を過ごせという事なのだ。

部屋に上がり、ルームサービスのワインを飲みつつ、忠を待った。2,3人引き連れていた秘書の中に、例の甲斐がいるのだろうか。

甲斐の消息は 、支倉の中では知る術がないが、おそらく忠の側近として傍にいると思われた。できるなら会ってみたい。

そんな思いでいっぱいだった。そんな事を考えていると、ドアをノックされ、忠の差し入れを持って、背の高い40代の男が入ってくる。

「社長から支倉様に・・・1階のカフェのスイーツでございます」

タルトやプリンアラモード、などのアソートだった。

未だによくもツボを押さえたチョイスができるものだと和真は思う。和真は子供の頃から甘いものが好きで、好みは今も変わってはいない。

覚えていてくれた・・・それが嬉しくてたまらない

「ありがとうございます」

丁重に礼をし、和真は男を見た。直感で彼が甲斐義之である事を知る。シルエットがどこか自分に似ていたからだ。

「秘書の甲斐と申します」

そして彼はシルバートレイのスイーツを差し出した。

「では、あなたが、武田の・・・」

一目会ってみたかった男を前にして、和真は言葉が出ない。

「はい、元上司です」

口元、鼻筋はどこか自分と似ている気がする。しかし目は切れ長だった。和真は目の大きさから幼い印象を与えるが、甲斐はどちらかというと

繊細な感じがした。そして、雰囲気が史郎に似ていた。

「武田は、元気ですか」

部屋に設置されているティーセットでお茶を入れ、差し出しつつ、甲斐はそう微笑んだ。その微笑さえ史朗に似ていたのだ。

「体中で貴方に逢いたがっていますよ。切ないくらい、無言で貴方を呼びつつけていますよ。あなたといた部屋で、帰ることのない貴方を待ち続けて。

なぜ武田を連れて行かなかったんですか」

甲斐の顔から微笑みが消えた。彼もまた、史朗に逢いたくて、たまらないのを耐えていたのだ。

「支倉社長、史朗には貴方が必要だからです。私ではなく、貴方が」

なぜ?和真にはわからない。自分が史朗を必要としているのであって、史朗が必要なのは甲斐のはずなのに・・・

「いつか、史朗は貴方にたどり着くでしょう」

史朗が甲斐を待っていると話した途端、甲斐は史朗を武田ではなく、史朗と呼んだ。甲斐が放つ、この史朗という響きが余りにも甘美で切なくて

和真は改めて史朗と甲斐の絆の深さを知るのだ。

「史朗をお願いします」

まるで、自分の身内か何かのように甲斐はそう言う。和真はかなわないと思った。

「俺は、甲斐さんにはなれない」

ぐっー和真は甲斐に右腕を掴まれた。

「欲しいなら、手に入れてください。それが正解なんですから」

それは静かだが、血を吐くような叫びに似た言葉だった。

「私は、史朗が大切だから、あいつから去った。貴方は・・・あいつを捕まえなければならない」

掴まれた手の力が、言葉の重さを伝えていた。

「なんで俺なんですか?武田は・・・」

その時、忠がドアを開けて入ってきた。

「和真、元気か?」

その笑顔が涙でかすむ。張り詰めた心の糸がぷつりと切れて、和真は忠に駆け寄り、子供のように泣いた。気づけば、甲斐はもう部屋にはおらず

和真は遅くまで忠と語り明かした。

「吹っ切れましたか?」

次の日、日下が和真を見るなり、そう聞いてきた。表情が明るくなったというのだ。そうかもしれない。さらに昨夜は気になっていた甲斐とも話すことができた。

甲斐は史朗を愛している、おそらく今も。そして、史朗のために身を引いたのだ。しかし、なぜ自分に史朗を託したのかわからない。史朗と関わりだしたのは

偶然で、最近だ。もしかしたら、最後まで関わらず終わったかもしれないのに。さらに史朗と関わり出し、和真が史朗を必要と認識しだした。このタイミングで

甲斐は現れた。欲しいなら手に入れろ・・・それが正解だ・・・本当に手に入るのか?和真は自信がもてない。そして、全ては史朗と和真を軸に回り始めていた。

「社長、、ナルシス・ノワールとはうまく話がつきましたか?」

とりあえず、日下の定年退職後の引き継ぎをしている秘書課の菊川玲二が社長室にやってきた。25歳の入社3年。日下の推薦で異例の出世を遂げた

若手のホープだ。小柄で華奢で、年より若く見えるこの男のどこにそんな手腕が隠されているのかと思うほど優秀で、実力主義の和真も文句なしに傍に

置いている。第一印象はお人好しの童顔だった。周りも、こいつはちょろいと油断していた、そこをかい潜り、裏をかいて上り詰めた策士である。

柔らかなサラサラの髪をなびかせて、天使のような微笑みで近づいて来るが、社内の不正を暴く達人でもあり、取引先の思惑を見抜く達人でもある。

和真は彼を密かに忍と呼んでいる。そして、あまり近くに置くのは危険ではないかとさえ思っていた。それほど本心の見えない男なのだ。

「ああ、ルナ・モルフォはなかなか使えるな、接待はあそこ一択かな」

さすがは兄さんだ、と和真は思う。相手が年配だからと変に料亭を使うのはもう古い。レストランのVIPルームにFAX、無線LANE、書類のプリントサービスが

完備され、ホテルのデイユースプランと同時に、商談用のスペースは万全だ。

にっこり、玲二は満足げに笑う。今回の商談にルナ・モルフォを勧めたのは彼だった。そして、和真は薄々感づいてる彼は忠の忍であることを。

しかし、悪い気はしない。忠が自分をサポートするつもりで送った事を知っている。支倉の外に出たのも、和真を外部からサポートするためだと信じている。

どこかで見守り、共にいてくれている。そんな忠の影を感じていたから、それに支えられて、和真はここまで来れたのだ。おそらく、和真は昨夜偶然にあの日

あの時間にルナ・モルフォに視察に来た忠と鉢合わせたのではなく、計画的に、自分に逢うためだけに、あの場に来たのだ。そして甲斐も・・・その事に

和真が感づいている事さえ、玲二は知っている。史朗を手に入れられなければ、この玲二が日下の後釜にやってくるだろう。それも悪くはないが・・・

和真は彼を腹心の部下とする事にためらいがあった。忠の忍である間は、彼は安心と言えるが、それさえ、いつ裏切るかわからない。欲しいのは

必要なのは、自分の腹心なのだ。

「武田が欲しい・・・」

朝の重役会議に向かう廊下で、つぶやく和真の背中に、日下は不安を感じた。恋人になれだの、武田が欲しいだの近頃、和真はどこかおかしい。

これが無意識に出た言葉だという事が問題なのである。しかし、日下自身も焦っていた。一日も早く史朗を後釜に据えたかった。

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