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外回りの帰りの車の中で、和真は憂鬱に窓の外を見ていた。自分がなにやらセクハラまがいな事を
言ってしまったような気がしてならない。
「いやそれを言えば俺だって、童貞をカミングアウトさせられて、兄さんと近親相姦疑惑までかけられたんだから
おあいこだろ?なんで武田は固まるんだ、あそこで、無理〜とか言いながらかわせるだろ、おじさんなんだし」
「なにブツブツ言ってるんですか?」
日下が助手席から振り返った。
「いや、武田に恋人になってくれとスカウトしたら、ドン引きされてしまったんだ」
なんで・・・日下は首をかしげる。秘書になれでしょう、それを言うなら・・・イマイチこの社長は理解不可能だと実感する。
無駄にIQが高いせいなのか?秀才なのか馬鹿なのか・・・バカと天才は紙一重というし・・・日下は無言であれこれ
考え続けた。
「おい、日下〜なんとか言えよ〜お前までドン引きか?」
ドン引きしないほうがおかしいと日下は思う。もうこれで甲斐の虎確保の夢は遠ざかってしまうのだろうか・・・
「社長、出会い頭に結婚してくださいと言うのと同じ事ですよ、それは。まずお友達から始めましょう〜じゃないですか?」
「つまり、段階を踏めということか」
というか、なぜここで恋人というワードが出てくるのかわからない日下である。しかし・・・恋人、といえば、甲斐と武田は
まさにそんな間柄だった。という事は武田にとっての、甲斐のような存在になりたいと思っているという事なのか・・・
社の駐車場につき、後部座席のドアを開けながら、とにかくこの件を収めて定年退職しなければならないと日下は心を決める。
備品を各課に届けてまわっていた史朗は、外回りから帰ってきた和真を見かけ、昨日の事を思い出した。
ーじゃ、武田、恋人になってくれー
腹違いの兄との近親相姦疑惑にフリーズした後の流れとしては、謎が多すぎた。なんの冗談なのだろうか。
他の男ならともかく、史朗にこのワードは洒落にもならない。昨夜から心のどこかが疼いて耐えられないのだ。そんな自分が
史朗は嫌でたまらない。なぜ甲斐だけを見つめて生きて行けないのか。なぜ今、和真に甲斐の面影を見て揺らぐのか。
どこから間違ったのだろう、あの夜、社長を送るべきではなかったのか、いや、すぐ帰ればいいものを過ちを犯してしまった事に
問題があったのか?にも関わらず和真を自宅に呼び、週末ごとに共に過ごしている事か・・・
和真の姿はすぐにエレベーターの中へと消えた。
「何をしているんだ、俺は」
おそらく、和真は甲斐の理想を実現させるだろう。もうそれでいい、自分は庶務課の雑用係で終わっても構わない。
では今何を望んでいるのか。気になるのは、和真。昨日の孤独な背中・・・思わず抱きしめてしまうほどに、悲しい背中。心のどこかで
和真を支えたい気持ちが生まれてきている。バカバカしい愚かなことではあるが、本心だ。ふと顔を上げると、窓から見える夕日は
秋の色を見せていた。今まで感じなかった季節を史朗は急に感じ始めた。止まった時間が動き出すように、自分の中で何かが
動き始めている。無性に甲斐が恋しい。涙が出るほどに、甲斐に会いたかった。
「武田さん、日下さんがお呼びよ。社長室に来てくださいって、なんでしょうね?」
背後から来た庶務課の事務の女性の声に史朗は我に返る。今、社長と帰社したばかりの日下に呼び出されるとは・・・
史朗に人事系の話を職場ではしない日下である。それ以外に呼び出しをくらう事があっただろうか・・・色々思い巡らせつつ
事務員に頷き、社長室に向かった。社長室に入ると、日下が史朗を応接用のソファーに導き、コーヒーを出した。
「すまない業務中に呼び出して。うちの若社長が、昨日の事で悩んで、仕事が手につかないというので、昨日の
仕切り直しをしたいんだ。これは俺のお膳立てだ。もうすぐ社長が来るから、よろしく頼む」
そう言って日下は出て行き、代わりに会議室から直行したらしい和真がドアを開けて入ってきた。
「すまない、手間とらせたな、ああ、座れ」
和真を見て席を立った史朗に、和真は左手をひらひらさせて、抱えていた資料をデスクに置くとソファーに腰掛けた。
「昨日は言葉を間違えたようだ、すまない。腹心の部下になってくれという意味だったんだが・・・改めて言う。
日下が何度も誘ってると思うが、ウチの経理課に来ないか?もちろん秘書課でもいい」
ここで見る和真はやはり、社長の顔をしている。史朗はそう感じた。
「いえ、その話はもう・・・」
やはり、微笑みを浮かべている。わかっていた事だ、史朗が頑ななのは。しかし、面と向かって断られるとやはり辛い。
「俺なんかの下には就けないってことだよな」
いえ・・・言葉に困る史朗に、和真はたたみかける。
「解ってる。いいのは頭脳だけ、経営の才覚も経験もない、浮世離れしたお坊ちゃん。日下がいなけりゃ何にも出来ない。
こんな社長に就く気になれないだろ?」
確かに、周りは和真をそう評価しているかもしれない。しかし、史朗は知っている。アメリカの市場とのタイアップ、企画提案
すべては和真の、その頭脳から捻出された事。海外の取引先からは、かなり高い評価を得ている事・・・・・いくら庶務課の
雑用係でも社内報は目を通す。新聞だって読む。
「社長は、もっと評価されるべきです。以前の東西とのトラブルが、しこりになっているようですが、日本人は本当に愚かですね」
世間的には和真は妻を寝取られた、世間知らずな七光りでしかないのだ。
「結婚に失敗したのは、まずいんだろうな・・・」
「被害者なのに、ですか?」
そう言ってくれるのは、たぶん史朗だけ・・・ 和真はため息をつく。
「怒っていいんですよ?そこは。社長は本当に、人間関係が不器用ですね。」
「別に、なんとも思わない。腹も立たない。好きでも何でもなかったし・・・そんな結婚した俺が悪いんだし。恋とか愛とか
難しくてかなわないな・・・」
ふっ・・・笑いが込み上げる史朗。そんな和真を愛おしいと思った。あろう事か守りたいとも思った。
「社長のような人にも、難しい事、あるんですね」
「俺は仕事しかしてこなかった。多分これからも仕事しかしない」
「恋愛は厄介な物です。しようと思って出来る物じゃないし、ありえないのに、どうしょうもなく魅かれる事もある・・・
気がつけばかかっている熱病のようなものです」
自分には縁遠い話だと和真は思う。なんせ、人間関係が破綻しているのだから。しかし、目の前の甲斐の虎には
どうしても惹かれている。これは恋愛なのか、そうでないのか・・・
「・・・・助けてほしい」
和真に真剣な目を向けられて、史郎は一瞬、ためらう。
「本気ですか」
「必要なのは、実力とかじゃなくて、武田そのものだ」
自分の何を知っているというのか、昨日、今日で名前を知っただけの自分の・・・・しかし、史郎には解る。
何年一緒にいても、心が遠い人もいれば、出逢った直後に、心の奥に入り込む人もいる事を。
「無理にとは言わない。けど・・・」
強引さが無いのが玉にキズ・・・・経営者は、それなりの自信と強引さを持たなければいけない。それが
カリスマに繋がるのだ。
「社長・・・」
まだ時ではない。そう感じた。そして、史郎自身、決意出来ずにいる。
「考えておいてくれ、返事を待っている」
そう言って部屋を出て行く和真の後ろ姿に、史郎は恐れを感じる。甲斐に出逢った時と違う、運命を感じる
あの時とは違う、もっと強い、もっと激しい何かを感じる。だから・・・・・・ためらうのだ。
日下に誘われた時は笑って拒否できた。が、和真の時は・・・・・この二人の差は何なのか。
ある日突然、自分の前に現れた若社長。今まで、人越しにしか見て来なかった支倉和真が、ずんずんと接近してくる。
ありえない確率で関わってくる。この状態が何なのか判明するまでは、迂闊に動けない・・・そう史朗は思った。
甲斐よりも大事な人を作ってしまう事が怖かった。もう自分には次はないと思った、あの時のように、いや
もっと悲しい思いなどしたくはなかった。いっそ和真を、仕える上司として割り切れれば問題はない。しかし
その自信はなかった、今、史朗の中で和真の存在は急激に大きくなっている。愛されなくてもいい
しかし、去られてしまうことは耐えられない。甲斐が去っても、抜け殻のようにではあるが生きて行けた。
でも、和真に去られたら、もう生きていけないだろう。そこまで考えて史朗は、自分の気持ちに驚いた。
(それは、社長が俺にとって甲斐さん以上の存在だという事なのか?)
いや、違う多分違う。致命傷を負った身体に止めを刺されるということなのだ。そう思い直した。
そう、不慮の事故とは言え、身体が繋がってしまったがゆえに情が移ったのだ。
(あの人は、俺を必要だと言った。俺はあの人が俺を欲する以上に、あの人を欲している。そして、その事は
いつか、あの人を傷つけるかもしれない)
怖いのはその事だけだった。自分と甲斐の本当の関係を知れば、きっと和真は軽蔑するだろう。そして、和真とも
そのような関係を望んでいる事を知れば、彼は離れてゆくに違いない。なぜそのような思いを和真に抱いたのか
和真は自分にとって甲斐の身代わりなのか、それとも別のものなのか・・・
トボトボと社長室を出てゆく史朗を見送り、日下は和真を探して屋上に向かう。この若社長は、行き詰まると屋上に
逃げ込む癖があった。今もおそらくは屋上で、たそがれているに違いなかった。階段を上がり、屋上のドアをあけると
案の定、和真の背中が見えた。そっと近づくと、和真は気配に少し振り返り、日下を確認すると再び背を向けた。
「日下、甲斐はどんな奴だった?武田とは、どんな仲だったんだ?」
屋上の手すりにもたれて秋風に吹かれつつ、和真はため息をつく。
「俺は実力のある社員は採用する主義だ。それがたとえ関ヶ原の落ち武者であってもだ。しかし、武田は難しい。
俺があいつにとっての甲斐以上の存在にならなければ、手に入らない」
かなり真剣に、史朗を配下に置く決意をしたらしい和真に、日下は喜んで駆け寄る。
「そうなんですよ、よく武田を研究されましたね!勝つためには敵を知ることです。さすが社長」
そうじゃなくて・・和真はしょぼくれた瞳で日下を見上げる。そんなことは分かっても、攻略方法が見つからないので
捕獲は無理なのである。
「そうですね、甲斐は、見かけは社長に似てますよね〜遠くから見ると見間違うくらい」
ああ、見間違われた、カフェで・・・和真は頷く。が、見た目でごまかせる甲斐の虎ではないのだ。
「そして、前社長の懐刀でした。まあ、自信たっぷりのデキる男でしたね。武田はそんな甲斐にベタ惚れで
もう〜忠犬ハチ公でした」
それは和真自身も感じている。今でも史朗は甲斐の面影を胸に過去の時間を生きている・・・そんな史朗を
どうやって手に入れろというのだ。
「俺は、武田にとっての甲斐以上にはなれない。でも、どうしても武田が欲しいんだ」
それが和真の本音だった。夕陽を背に、和真は日下に向かい合う。ここが正念場だ、日下はそう感じた。
ー支倉和真に俺の大事な虎を預ける。必ず武田をモノにしろー
甲斐は日下に、そう言い残して去った。甲斐が武田をここに残したのは、和真の右腕にするため・・・
つまり、日下の後釜に添えるためだ。それは武田の為でもあり、和真の為でもある。そして、おそらく
遠く無い未来に史朗は和真に就くはずだ。それを日下は確信している。なぜなら、自分が口説き続けても
身動きひとつしなかった彼が今、和真と急接近しているのだ。あの、創立記念パーティの夜から。
「確証はありませんが、多分大丈夫です、社長は甲斐の虎をゲットしますよ」
にっこり笑う日下に、和真はため息をついた。励ましにもならない曖昧な慰労。和真はトボトボと屋上を去る。
日下の定年退職の日は迫っていた。日下のフォローなしでやっていく自信がない和真は、無性に
史朗に頼りたい思いに駆られる。業務的な面もあるが、精神的な面で。
傍に、心を許してなんでも話せる部下がいるという事がどれだけありがたいか、日下をなくそうとしている今
実感する。そして日下に変わる腹心の部下はというと、史朗しか思い浮かばないのだ。我ながら情けないと思う。
しかし、完全にワンマンで会社を動かせるほど和真は強くない事も自覚している。こんな時、兄が恋しかった。
迷ったときはいつも忠が道を教えてくれた。なのに、今はいない。関ヶ原以降、音信不通だった。
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