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いつしか成り行きで、週末は史郎の家で夕食を摂るようになった和真。友達のいない彼には
そんな日々が新鮮だった。しかも夕方5時頃から来ては、史朗の部屋のソファーで仕事をしたり
本を読んだり、時には映画のDVDを観たりする。そんなイミの無いような、あるような一時を過ごすのが
最近のマイブームである。史朗はといえば、その横でやはり、本を読んだり、ノートパソコンでネットサーフィンを
したりしていた。別々の事をしながら一緒に居る事が何故か落ち着く。そんな風にいい年の男がふたり
ダラダラと週末を過ごしていた。
「社長は本当に暇ですね〜デートとかしないんですね」
自分のコーヒーを入れたついでに和真のコーヒーも入れて、差し出しながら史朗は笑う。和真はカップを受け取りながら
怪訝な顔を史朗に向けた。
「それはお互い様だろうが?お前も休みの日、することないのな?」
ははは・・・笑いながら史朗は和真の向かい側に座る。
「でもさ、見たぞ。何日か前に、秘書課の相田美菜子とメシ食ってたの。あと、服とかプレゼントしたんだって?
付き合ってんのか」
美菜子にファッションアドバイザーでもつけようかと思っていた矢先に、突然、彼女のスタイルが変わった。
タイトな黒のスーツ姿が、華やかな色の腰にドレープのついたジャケット、マーメイドラインのスカートという
ボリュームのあるスタイルに変わったのだ。会社では敬遠されそうな華やかなデザインも、長身の痩せぎすの彼女には
ちょうどいいボリュームとなっている。元が地味なので、これくらい派手でちょうどいいのだ。髪も緩いパーマと
明るめのカラーリングで見違える程洗練されて見えた。
「あれ、選んだの武田だって?コーディネイトもできるなんて驚いたよ。とんだ、マイ・フェアレディだな」
もし、関ヶ原の一件がなければ、史朗は美菜子をここまで作り上げるつもりだったのだ。そうして、外交用の
プレゼンテーターとしてデビューさせるつもりだった。
「まあ、俺も専門のファッションアドバイザーでもつけようかと思ってたんだ。日下があんまり外見がどうのこうの言うからさ。
ほんと仕事できない美人て、いるだけ無駄だと皆気づかないんだな。できる奴は外見さえ磨けば超使えるのにさ」
和真が自分と同じ考えを持っていた事に、史朗は喜びを感じた。そしてこれが甲斐のやり方なのだ。
「でさ、相田は武田の彼女なのか?」
「いえ、元部下です。私が大切に育てていた外交用プレゼンテーターでしたが、私の都落ちとともに彼女も日の目を見ず
ここまで来ちゃいました。社長が引き立ててくださって、ほんと良かったです」
そうなのか・・・少し安心した自分に和真は驚く。美菜子に史朗を取られたような気がして不安だったのだ。ほっとした和真はふと
創立記念パーティの夜の事を思い出す。
「武田。本当に・・・創立記念パーティの夜・・・」
「何かあるはず無いじゃないですか」
瞬発入れずに反論する史朗は、何かを隠していると思えた。しかし、何も言わないのは、やはり言うほどの事では無いからだ・・・
そう日下は和真に言った。
(言えないような事になって、言えないでいるんじゃないか・・・)
そんな悪い予感が和真の脳裏を横切る。
「社長は、酔って本音が出ただけです。一人は寂しいから、誰かに傍にいて欲しいって、そんな思いは誰にでもありますよ」
そうだよな・・・和真は頷く。結婚していて、嫁とも何も起こらなかった自分が、おじさんと何かある訳がない。そう思いたかった。
「まあ、朝、あんな状態だったので驚かれたと思いますけど・・・」
確かに、ここにいると一人の部屋に帰る事が怖くなる。そこまで考えて和真は、はたと気付く。こんな風に感じた事は初めてだった。
「男同士で何かあるはずないよな」
女とも何もなかったのだから、そう自分に言い聞かせる。しかし、ぼんやりと脳裏に残る記憶の残像が和真に一抹の不安を抱かせている。
闇に浮かぶ白い肌が自らの体の上で蠢いている・・・しかし、これは夢だろう、思春期の少年の夢に出てくる、誰ともわからぬ女の幻・・・
だとしたら、あの朝のシーツの跡は夢精した跡という事になる。
(はあーおっさんと添い寝して夢精するとは、どんだけ思春期なんだろう。欲求不満か?溜まってんのか・・・)
これ以上ほじくり返すことは、墓穴を掘ることのように思える。もしかして史朗は、和真のプライバシーを守るために黙秘しているとも考えられるのだ。
「社長は、恋人作らないんですか」
コーヒーを飲みつつ、史朗は世間話をしてみる。
「つーか、友達すらいないし。変に家が金持ちで、変にIQ高いと誰にも相手にされないんだよな。でも知ってる、それは言い訳で、実は
俺に問題がある事」
「そこまで卑下しなくてもいいですよ。言い訳じゃありません、貴方は確かに変に頭が良すぎて周りがついて行けないんです、でもそれ以上に
心が問題なんですよ。誰にも心を開かない」
それはわかっている。自覚している、でもどうしていいかわからないのだ。開こうとして開けるものではないのだ。
「心なんて開こうとして開けるものじゃないでしょ?だから苦しいんですよね。私がそうでしたからわかりますよ」
え、和真は史朗を見つめた。誰からも信頼されていて、誰からも認められているこの甲斐の虎が、そんなカミングアウトを始めた事に
驚きを隠せない。
「意外ですか?」
いや、よく見れば、史朗のこの穏やかな微笑はバリアーのようでもある。なんでも肯定して否定しない、これはどうでもいいということ。
それは一種の拒否。
「じゃあ、お前の心を開いたのが、甲斐だというのか?」
「そうです」
初めて史朗は彼に苦悩の表情を見せた。その時、和真は知ってしまった、史朗の微笑みは拒絶、仮面、バリアーなのだ。
本心を語る時、史朗はこんな悲痛な表情をするのだという事を。そして、その甲斐を永遠に失うという事は、どれほどの苦痛であるか。
もう、史朗の心は開く事はないのだろうか。
「俺のせいか、俺が関ヶ原で引き下がれば、社長になんかならなければ、兄さんに譲っておけば・・・」
史朗はそっと立ち上がり、和真の後ろに回り込むと、後ろから彼の肩を抱きしめた。
「自分を責めないでください。それは貴方の悪い癖です。そんな事を言いたくて私は本心を晒した訳ではないのに、先回りして
全てを暴いてしまう。だから頭の良すぎる人とは付き合いにくいんですよ。お願いです、分かった事の半分くらいは知らないふりしてください」
肩から史朗の悲しみが滲んでくる様な気がした。あの夜、何があったかは分からないが、史朗も和真と同じだけの孤独を抱えていた事は
確かだった。そしてそれは暴いてはいけない事なのだろう。
「俺も、あの時、兄さんを失った。家の中で兄さんだけが俺の友達で味方だったのに。戸籍には入らなかったけど一緒に暮らしていて
いつも俺を守ってくれていた、息子扱いされなくても嫌な顔一つせず、俺を愛してくれていた」
史朗は理解した、あの夜、自分は和真の腹違いの兄、松田忠の代役であった事を。
「逢いたいですか?お兄様に」
「逢えないだろう?どの面下げて逢うんだ」
項垂れて涙ぐむ和真に史朗は頬を寄せる、まるで母親のように。自分と同じ孤独を抱えている和真を愛おしいと思った。おそらくあの夜
自覚のないまま、互いの孤独が互いを引き寄せたのだと、今更ながらに確信する。そして運命さえ感じる・・・
「武田・・・」
振り返ろうと上身を後ろに向けた和真の唇が微かに、史朗の唇に触れる。
「あっ」
瞬間、和真が飛びのき、驚きの表情を浮かべた。
「思いだしたあの時、俺、お前に」
自分から抱きついてキスした事を、和真は思い出してしまった。
「え〜初めてだったのに酔った勢いとかありえね〜」
さっきまでの落ち込みはどこへやら、今はファーストキスをおじさんにやってしまった事に和真は動揺している。史朗は混乱する頭を
左手で支えながら、和真の隣に再び腰掛けた。
「どういう事ですか?」
「どういう事もこう言う事もないだろ?お前だって男にキスされたんだろ、驚け」
男とキスどころか、もっとそれ以上な事をしていた史朗は、それぐらいでは驚かない、しかし史朗の驚きはその事ではないのだ。
「初めてって・・・」
そこを指摘された和真は、開き直った。
「悪いか、俺は結婚して離婚した身だが童貞だ。女と手をつないだこともない」
「男とは?」
史朗の問いに勢いよく和真は振り返る。そして、大きな瞳で史朗を大真面目に見つめつつ訴えかけるように乗り出してきた。
「男とも無いですか」
はあ?今度は氷のように凍りつく和真。それを見て史朗は自らの失言を悔いた。もう全て終わってしまった、後ろで何かがガラガラと
崩れ落ちる音さえしてきた。
「社長、さっきお兄様には心を開いていて、愛してくださっていたと」
史朗の言葉に和真は脱力して崩れ落ちた。
「武田、それ近親相姦だろ?なんて想像するんだ。じゃ何か?俺と兄さんはキスしたり、それ以上なあれこれな関係だったと思ってたのか」
すみません・・・思ったより自分が腐っていた事を史朗は恥じた。自分がそうだからと、相手までそうだとは限らないというお手本だった。
「確かに、小さい時は、でこチューとか、添い寝とかしてくれてたけどな、そういう邪な気持ちで兄さんは俺に近付きはしなかった。
だって、おふくろは違うけど、親父はおんなじなんだぞ」
史朗は頷く。口を開けば失敗しそうで、もう何も言えない。が、ならなんで、あの夜、和真は史朗にキスしてきたのか?経験の無い事を
酒に酔ったからといってできるものなのか・・・しかし、いよいよ、あの夜の事は墓場まで持って行くしかなくなった。史朗は静かに悩み始める。
「いい、悩むな〜お前の事を変態だとか、異常性愛者とか思わないから、そういう誤解はあるよ、うん。俺だって、あの時、おじさん襲ったのかと
ひやっとしたし、童貞のままで処女無くしたとか、洒落にならんしな」
ははは・・・強がって笑う和真に、史朗はさらに深刻になる。もう、真実は闇に葬るしかないかもしれない。
(社長、処女は無くしてませんが、童貞は無くしてます・・・)
いや、記憶が無いのだから、これはカウントするべきではないと史朗は自分に言い聞かせた。今更ながらにあの夜の過ちの重大さに胸が痛む。
「早く、恋人つくった方がいいですよ社長」
女でもできれば、少しは罪が軽くなるかもしれないと、史朗は一縷の望みを託す。
「じゃ、武田、恋人になってくれ」
はあっ!迷走を続ける童貞を持て余すおじさん、武田史朗。和真のこの言葉の意図がつかめないまま、固まってしまった。
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