「社長、休日は最近、何処に行かれているんですか・・・」

休日に外出がちな和真を案じて、日下は昼の休み時間に訊いてくる。仕事の事で携帯に連絡すると

書類は部屋にあり、今、外出先だと言うことが近頃よくあるのだ。

「ああ・・訳あって、武田の家に・・・」

「社長!」

日下は感激のあまり和真の手をとって涙ぐむ。

「とうとう、甲斐の虎捕獲に乗り出されましたか!」

(え・・・違うんだけど・・・)

なんと言うべきか、和真は言葉に困る。休日、夕食をご馳走になるためだけに武田の家に通っているなど

少し変に思われはしないか・・・

「というか、成り行きで、武田ん家でメシ食ってる。近所だったし」

恐る恐る説明する和真の心配をよそに、日下は大まかにざっくりと理解する。確かに和真のマンションと

史朗のマンションは向かい合っていて、バッタリ出会って、自炊している史朗が、食生活破綻状態の和真を

自宅に呼び、食事をさせるというストーリーは想像しやすい。

「でも、誘ってるんでしょ?武田を」

え・・・どうしてそう言い切るのだろうか・・・和真はさっぱり日下の思考が読めない。立ち上がり、コーヒーを入れると

日下は和真に差し出す。

「社長は、武田に関心大有りと見ました。まあ、見る目はありますね」

和真も日下が退職した後、後見人なしでは、不安がないと言えば嘘になる。独り立ちするべきなのも判ってはいるが・・・・

「お父上である先代が引退された今、社長を守る懐刀無しでは、今後、難しいです。それを案じて先代は私に

社長を任したと仰って・・・」

はあ・・・和真はため息をつく。守られなければ、やってゆけない自分に嫌気がさす。そんな、自信喪失気味の社長に

日下はなんと言えばいいのか悩む。日下は自分が退職した後、和真を任せられるのは武田史郎しかいないと思っている。

それほど、甲斐の虎を信頼していた。

「社長、社長はお若いので、重役達の色んな攻撃は仕方の無い事です。しかし、有能なサポーターさえいれば、その能力を

充分に生かして、名実共に頂点に立てると信じています」

青二才・・・今現在、そう軽蔑している重役達も遠くない未来、退職してゆく。若い新世代がくれば和真の能力は評価されるはずだ。

「俺は・・・武田さんに依存しかけている、日下に対してもそうだったが。そして独り立ちできないでいるのはどうだろうか・・・」

「いいんですよ頼っても。武田は私と違ってサポートしつつ、育てていける、そんな能力を持つ男です。

だから、貴方を彼に任せたいんです」

日下は、武田が自分の部下を立派に育てていた事を知っている。自ら仕事をこなし、更に部下を立派に教育した。

まさに甲斐の虎であったのだ。しかし、和真自身が史朗に認められなければ、史朗は動かない事も、日下は知っている。

それは逆に言えば、史朗が和真に惚れさえすれば、反対してもついてくるという事なのだ。金や地位では動かない

自らの主人は自らが選ぶ。武田史朗はそういう男なのだ。

「それはそうと日下、秘書2課の相田美菜子を1課に呼びたいんだけど」

午後のプレゼンの資料を確認しながら、和真はそう提案する。

「相田ですか・・・彼女は以前、海外向けの資料の翻訳に一役かいましたね。語学は堪能、英語、ドイツ語、イタリア語

フランス語・・・何でも来いの才女ではありますが」

支倉カンパニーが海外進出を始めた頃、大量の資料の翻訳を、和真一人がしていたが、間に合わず、社長室に

お茶を運んできた美菜子が、デスクの上の翻訳資料を見て、恐れながら・・・と申し出たのが事の始まり。聞けば

4ヶ国語を習得し、更に今現在スペイン語を習い始めたと言っている。秘書2課のオブジェの中で唯一、使い物になる人材だった。

「なんで彼女、大奥なんかに入れたんだ?もったいない気がするぞ」

確かに・・・なんで大奥に入ったんだろうと日下も思っていた。和真と別の意味で・・・と言うのは、この美菜子

身長175センチ、背は高いが地味な顔立ちの痩せぎすな外見で、年より老けて見える、まるで人目をひかない女だった。

どれだけバカでも、モデル体型で美人なら入れると言う秘書2課にはふさわしくなかった。

「当時、女性という理由で秘書1課から外されたんだと思いますよ。なら、秘書2課でなくてもよかったんですがねえ」

大奥にいるため、余計に美菜子はコンプレックスを感じていただろう。普通に、仕事のできる社員として認められるべきなのに

顔だけの、頭脳の足りない女性達の中で自分の価値を見失っていったに違いない。

「今からでも遅くない、彼女を1課に移動させろ。いくら俺でも、サポートなしに外交は負担だ。それに彼女は語学に関しては

俺よりエキスパートだから」

「そうですね・・・」

日下も頷く。が、あまり乗り気ではない。

「何か?」

「いえ、能力は買いますけど、外交に連れ歩くのは・・・」

外見の事である。それを察して和真はため息をつく。

「見てくれがいいけど中身がバカよりましだと思うけど?それに彼女の容姿の何処がまずいんだ?大奥にいるから

見劣りするだけで、磨けば何とかなる。高身長は外交にもってこいだし、化粧を変えれば、そんなに地味でなくなる。

痩せ過ぎは服でカバーできるし、太っているよりは、はるかにいい。能力を発揮する場さえ与えてやれば、彼女も

自分を磨く努力をすると思うし。専門のファッションアドバイザーをつけれてやれ」

そこまで和真が考えていた事に、日下は驚く。経営者として成長してきたということだろう・・・ 後は、自分が

定年退職した後、任せられる人材を探すだけだ。

「個人的に話してみます。確かに彼女のやる気次第で、どうにでもなると思いますし」

できるだけ一人で総てをこなそうとギチギチだった和真が、人を使う事を覚えた。これは進歩だと日下は思う。

いい部下を選び、育て、傍に置き、その能力を充分に利用してこそ社長である。自分だけの能力では限界があると

和真がそれを知っただけで百人力なのだ。

「だんだん、社長らしくなってきましたね・・・・」

日下の言葉に不満げに和真は反論する。

「俺、元々社長だから」

世襲制の産物と言われようが、青二才と言われようが、和真は 社長という二文字を背負って今まで来た。

それが自らの運命であるかのように、重みにも耐え、持ち前以上の威厳を纏ってそこにいた。周りが羨むほど

彼は社長の座を望んではいなかった。ただ与えられた位置を守る事に必死だった。そんな中で、心を許せる部下を

作ることもなく、政略結婚とはいえ、最初の結婚で散々な目にあった。しかし、何があっても、支倉カンパニーの社長という位置を

変わらず守ってきた。そんな自負心を持っている。

「ですよね。すみませんでした」

日下は自分の非を詫びる。反面、そう言い返してくる和真が頼もしい。

(武田なら、もっと社長を立派に育ててくれるだろうに・・・)

そんな思いがよぎる。

午後6時、庶務課の事務所の鍵を締めて帰ろうとしていた史朗を背後から呼び止める女の声がした。振り返ると

秘書2課の相田美菜子だった。

「あ、相田さんお久しぶりです。お元気でしたか」

にっこりと微笑みつつ、史朗は美菜子とともに歩き出す。

「武田さん、私、秘書1課に移動になりました」

地味な彼女の顔立ちが、今は花が咲いたように明るく輝いている。それが史朗の心を明るくした。

「そうですか、返り咲きましたか。おめでとう」

後ろに束ねただけの長い髪を揺らしつつ、笑う彼女の本質的な美しさに史朗は見とれていた。

「武田さんのおかげです。2課に追いやられて退職しょうかと落ち込んでいた私をあの時、励ましてくださったでしょう?

スキルの向上に努めなさい。いつか役立つ日が来ますよって」

昔、新入社員だった美菜子を秘書1課に配属したのは史朗だった。外交のために語学堪能な美菜子を指導養成している途中に

史朗自身が庶務課に追いやられ、管理職が大幅に人事異動の末、美菜子の実力を見抜けない上司が女は2課に・・・と秘書2課に

追いやったのだ。

「いいえ、私のせいで申し訳ない事をしました。これなら最初から、営業や開発部に配属するべきだったと後悔しましたよ」

「いいえ、嬉しかったですよ。当時、武田さんが私の実力をかって大事に育ててくださった事、忘れません。

だから今まで頑張れたんです」

あの頃が懐かしく思い出された。甲斐がいて、活気に満ちていた良き時代・・・もうあの頃には戻れない事が史朗の心を痛めた。

「だから、今日は私の奢りで夕食ご一緒しませんか?」

「いいえ、昇進のお祝いに、私がご馳走しますよ」

ダメダメ・・・美菜子は手を振る。

「今までのお礼も兼ねてるんですから、私が」

そう言って史朗の腕を引いて近くのビルの食堂街を目指す。

2人が向かい合って座った店は、お昼にOLたちがよく利用するレストランで、価格は手頃で、味はなかなかとの評判のイタリアンだった。

「高級フランス料理とかじゃなくてすみません。でもここ、美味しいですよ」

「ええ、私も昔よく来ました」

あまりの懐かしさに史朗は笑いが漏れる。経理にいた頃、甲斐と遅くまで残業して、ここで食事したのだ。またあの頃の思い出が蘇る。

「若社長が私を抜擢してくださったんですって、日下さんがそうおっしゃっていたわ。社長、実力主義なのね。そのうち武田さんも

抜擢されるかもですよ?」

え・・・メニューに目を通していた史朗は顔を上げた。

「社長がですか」

「ええ、、前に海外向けの資料の翻訳をお手伝いしたことがあったんです。社長お一人でされていたので、恐れ多くも申し出たんですけど。

きっとその時の事、覚えていてくださったんだわ」

(なかなかやるじゃないか、見る目あるな)

ただの若造ではないらしい事は感じてはいたが、これほどまでに先入観もなく実力だけを見て即、人事に移す実行力を和真が持っていた事に

史朗は驚く。そして、この起用は限りなく正解だ。なぜなら、彼女は史朗が、のちのちの外交に備えて育てていた、大事な要員だったのだから。

自らが都落ちしてしまい、育てても取り立ててもやれなくなって、彼女の才能を埋もれさせてしまう事だけが心残りだったのだ。

「関ヶ原からもう、この会社は世襲制の保身主義になってしまったと思っていたんですが、若社長って実力主義だったんですね。

なんだか、甲斐さんのいた頃に戻ったみたい」

甲斐は年齢や勤務年数に関係なく、実力のある者を起用した。それが重役たちに疎まれたが、あの頃は社内が活気に満ちていた。

史朗は寂しく微笑んだ。

ー甲斐はもういないー

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