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午後、秘書の日下の訪問を受けた武田史朗は、寿司の出前を取り、茶とともに差し出した。

「すまない、かえって迷惑かけたな」

日下は銀座の有名な店のチーズケーキを土産に持ってきたが、時間的に昼食をご馳走になるハメになってしまった。

「いいえ、それ私の好物なんで、ありがたいですよ。それに私も昼食、食べるところでしたから」

人のいいおじさん・・・怒ったり怒鳴ったりしなさそうな、やわらかい史朗。この穏やかさが、かえって日下を追い詰める。

「いいのか?お前。このままで?」

日下は入社当時の史朗を知っている。史朗は、当時の社長秘書であった甲斐義之が見込んでスカウトしてきた

秘密兵器だった。口数少なく、ポーカー・フェイスの甲斐の虎。その穏やかさに、つかみどころの無い脅威を感じていた。

目立たずひっそりと、仕事は俊敏確実。経理課きっての切れ者だった。しかし、8年前の社長引退による後継者争い

通称、関が原の合戦により、外腹の息子についた甲斐は破れ、甲斐軍は左遷と人員削減の一途をたどる。

甲斐は自ら辞職したが、史朗は庶務課に残された。敵軍の側近であった史朗を重要な位置に置く事は出来ない。

が、他社に鞍替えされる事も惜しい能力だった。その能力で、外から牙をむかれては、ひとたまりも無い。

辞職を申し出た史朗を、社は引き止めた。恐らくどこも引く手、数多であったろうに。

庶務課で能力を腐らせてしまう代価として、史朗には経理課勤務と同じだけの給料が月々支払われている。

そうまでして引きとめておかなければならない存在・・・しかし、雑用をさせておくという能力の無駄遣い・・・

こうして、甲斐の虎は牙を抜かれたまま地味な、たそがれたおじさんに成り下がってしまったのだ。

「もうあれから8年経った。関が原も過去の事、経理課に戻ってくれないか?それとも秘書課でもいい」

時々、日下は声をかけてきた。しかし、いつも返事は否。

「お前にした仕打ちは怒って当然だ。しかし、お前の辞表は今後も受理されない。ならば、支倉で

頂上目指すのはどうなんだ?」

和真の用向きをすっかり忘れて、日下は史朗を口説きにかかる。

「出世なんてどうでもいいんですよ。もともと、甲斐さんに惚れてついてきたんです。甲斐さんをなくした今

私はもう・・・」

そう言う史朗には、恨みつらみも、卑屈さも、絶望の影さえも無かった。

「どうして・・・」

何故、そんなに無欲でいられるのか・・・日下には判らない。確かに、関が原の真っ最中は、仕事一途に

頑張った彼である。そして敗北・・・燃え尽きたという事もあろう。しかし、史朗は能力のある、支倉の重鎮だった

もう一度その能力を発揮できる場を求めてもいいのではないか? 食が進まないまま、ぼそぼそと日下は

寿司を食している。どうにかしてやりたくても、どうにも出来ない。

「ところで、その件で来たんじゃないんでしょう?」

ああ・・・日下は本題を思い出した。しかし、どう訊けばいいものか・・・・

「昨日の事、もうご存知なんでしょう?電話で話している時から、どこか深刻さが伝わって来ましたからね」

相変わらずの穏やかなニコニコ顔でそういうが、騙されてはいけない、これは甲斐の虎の手練手管なのだ。

「判ってるのなら聞かせてくれないか?本人には言いにくい事もあったんだろうけど、このままだと社長が

情緒不安定になってしまう。お前は、社内で見る社長のイメージしかないと思うが、ウチの社長は

人間関係が苦手なんだ。不器用で強引で、駆け引きというものを知らない。女性関係一切無いしな」

そういわれると余計に言いにくい史朗である。

「社長、結婚してたけど何も無かったんだ。」

東西商社の社長令嬢と政略結婚したが、その1年後、離婚し、その令嬢は赤石コーポの、ふたまわりも離れた

社長の後妻に納まった。社内で囁かれている噂は、もともと令嬢は赤石の社長とデキていて、癌でいくばくも無い

社長夫人の亡くなるのを、偽装結婚しながら待っていた。そのため、支倉社長は結婚期間の1年間、妻に指一本

触れさせてはもらえなかったというものだ。

「噂は、本当だったんですか・・・」

うんー 日下は頷く。あまりのイタさに史朗は声も出ない。確かに和真の俺様な態度は、ただのはったりである事は

見抜いてはいた。しかし、そこまで人間関係が破綻していたとは。

「その上、婚姻届な・・・・女の方で提出しとくとか言って持っていったんだが、届けていなかった。東西は支倉に

融資だけさせて横っ面ひっぱたいていきやがった。どんだけウチの社長、ストレスきてるか判らないんだぞ?

結婚早々、体不調で初夜拒否、一年間あれこれ理由つけて寝室別だ・・・・・なのに、おかしいとも思わないで

嫁の体調気遣って・・・そういうバカなんだよ。」

IQの高いバカ・・・・・・世間知らずとも言う。そんな上司は嫌いではないが、手に負えない事を史朗は知っている。

しかし、愛すべきバカではあった。

「不器用なんですね・・・生き方が」

「でさ、そんな状態の人が酔って、おやじをお持ち帰りして一夜明かしたって、おかしくないか?」

はあ・・・・・史朗は頭を抱え込む。色々聞いてしまって、余計に言いにくい・・・

「何も無いよな?」

そう信じたいが・・・なら、何故、全裸でベッドにいたのか・・・日下は史朗にその辺をスッキリと解き明かして

欲しかった。すがるように自分を見つめてくる日下に、史朗はにっこりと微笑む。

「何もありませんよ」

あっさり言われて、日下は不安が最大級にはねあがった。なんの弁解もなく、何も無かったでは納得がいかない。

「お前が、あそこに泊まったいきさつを聞かせてくれ。」

ああ・・・・逃げられないと史朗は観念する。

「社長を寝室に運んで、帰ろうとしたら、引き止められて泣かれまして・・・今思うと、その訳も理解できますが」

昨日のパーティに赤石の社長も参席していた。夫人同伴で・・・外野はこのキャスティングを放置することなく

コソコソと噂し始める。ストレスがマックスになった和真が、つい飲みすぎたのも仕方の無い事だ。そして・・・・・・

「一人にしないでくれと言われて、捨てていけなくて・・・」

だからといって、添い寝したというのか・・・日下は無言で史朗を見る。大体は見えてきたが、まだはっきりしない。

肝心な所が霞んでいる。

「だから、しがみついて泣かれたから、ずっと抱えてた・・・それは判った、が・・・」

なぜそれで、二人全裸でベッドに横たわり朝を迎えるハメになるのか?史朗の説明はどこか不十分だ。明らかに

何かを隠している。

「それだけです。皺になるから、服脱いだだけですし」

史朗の嘘に日下は気づいていた。皺になるからと他人の家で、しかも自分の会社の社長の家で、服を脱ぐような史朗ではない。

ましてや、和真に関してはなおさらそうだ。家に一人でいても、いくら暑い夏でも、服装を崩さない和真が、人前で

裸で寝るはずが無い。いくら酔っていてもだ・・・しかし、それ以上は訊けないと感じた、史朗は断固として真実を言うまい。

穏やかな笑顔がそう告げている。

(言えない真実って・・・・言えないほどの事があったのか・・・・)

日下は最悪の事態を思う。

「誰かに傍にいて欲しい時は誰にでもあります。弱いとか、へタレとか決して思いませんので、庶務課の雑用のおじさんの事なんか

忘れてくださいとお伝えください。まあ、もう直接お会いする事も無いと思いますが」

そうか・・・日下には頷く事しかできない。

「俺は、お前を信じて社長を送らせた。今も、お前を信じている。それでいいんだな」

はい・・・・穏やかな笑顔で史朗は頷く。

和真が甘えたくなったのは頷ける。史朗は何でも受け入れて、包み込む器を持っている、昔からそうだった。

若くして甲斐に取り立てられて、特別扱いの彼に、まわりは嫉妬の嵐だった。しかし、謙虚に黙々と自分のする事をこなし

周りを緩和させていった。

(中身は昔と、ちっとも変わらないな・・・)

苦笑しつつ、日下は席を立った。

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