抱きしめられた身体
朝になると、ハギノが来て私の夜衣を振袖に着替えさせた。
何かディスプレイ用のスタンドのようなもので私を支えて、立った状態にして着替えは、なされた。
このスタンドもあの青年の所から持ってきたものらしい。
手伝ってもらわなければ着替えすら出来ない身・・・
しかし昔、数人の女たちが私の着替えや沐浴を手伝っていた記憶がかすかにある。
私は貴族か華族のお嬢様でおおくの使用人達に囲まれこうして暮らしてきたらしい。
しかし・・・・私には、もともと自由がなかったのか?
それとも、何かのきっかけで自由の無い身となってしまったのか?
使用人達は、私の過去を知っている。しかし私はそれを尋ねる言葉を持たない・・・
こうして、過去を持たないまま生きてゆかなければならないのか?
それとも、いつかは使用人達の話を途切れ途切れに聞きつつ、パズルを合わせるように過去を取り戻してゆくのか?
なんにしても、私は受身でしかない・・・・
着替えを終えて、ハギノは私をソファーに座らせ、正面にかがんでまっすぐ見つめた。
哀しい色をした眼差しだった・・・
「お嬢様、おいたわしい・・・・」
そう言って、私の肩を引き寄せ抱きしめて泣いた。
私は哀れな存在なのだろうか?確かに今現在、身体の自由のきかない身である。
そうなってしまった私を憐れんでいるのか?
「亡くなった奥様に、なんとお詫びしたらいいか・・・・」
どうやら、私の母は亡くなっているらしい。父も・・・姿が見えないということは亡くなっているのかもしれない・・・・・
となると、私の家族はトウジョウのみとなる・・・
「罪はあの世で償いましょう・・・」
罪?ハギノはどんな罪を犯したというのか?それは私にかかわる事なのか?
訊く言葉を持たない自分がもどかしい。私には見え、聞こえ、そして意思があるというのに、それを伝える術が無い。
ひとしきり泣いて、ハギノは持ってきた朝食を少し食べ、食器をかたずけて出て行った。
私には食事を与えずに・・・・・
不思議な事に、私には空腹感がまったく無い。疲労感も眠りさえ無いのだ。
どうやら、食物摂取しないで生きていける身体になったらしい。
・・・・まるで・・・置物のようだ・・・
意思はあるというのに・・・・・
昼に、ハギノはもう一度、昼食を持ってきて食して出て行った。彼女は私の部屋で食事をするらしい。
それからの永い時間、私はソファーの上で過ごした。じっと日が暮れ夜の帳が下りるのを空っぽの心で待ち続けた。
夕食をハギノが持ってきて、トウジョウは帰りが少し遅くなるそうだと私に話した。
そして辛そうに食事をし、また出て行った。
別に私はトウジョウを待っているわけでは無いのに、彼女はトウジョウが遅くに帰ることを告げた・・・
以前の私は、トウジョウを待っていたのか?確かにたった一人の家族である。
両親を亡くしているなら、彼は私の保護者という事になるだろう。・・それだけなのか?
別の誰かを待っていたような気がしてならない。が、思い出せない・・・
しばらくして、トウジョウは私の部屋に来た。おそらく帰って真っ先に。
黒い背広の、背の高い男が私の隣に座った。
「待たせてすまない。仕事で遅れたんだ」
そして私の髪を撫でた。
「早くお前に逢いたくて、急いで帰ってきたんだ。もう何処へも行くな、ずっと俺と暮らすんだ」
もう何処へも行くな。とは?私は何処かへ行こうとしていたのか?
彼は父が娘にするように、膝に私を座らせた。私は彼の懐に抱かれた。
温かい温もりの中、安堵感を感じる。愛されている実感。
彼の手が頬に触れ唇をなぞった。やがて口中に指先は侵入してきた。
「歯も舌もそのまま元通りなのに・・・なぜあの美しい声はだせないのだ」
目の前に迫るトウジョウの憂いに満ちた顔・・・意思の強さを顕にしたはっきりした顔立ち、高貴さを醸し出す白い肌。
あの青年とは違ったタイプの美男子だった。
「一言、お兄様と呼んでくれたら・・・・」
そう言いつつ、私を胸にかき抱いて涙を流した。永い永い間・・・・
この人は私を愛してくれているのだ。そう確信した。
私は? 私は・・この人を愛していたのか?
分からない・・・・しかし、彼の懐は温かかった・・・・・・・
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