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慎吾が職場に泊まり込んで1ヶ月半になる。大きなヤマを抱えてもいるが、北条由紀緒対策でもある。
(大丈夫かな・・・慎吾さん)
しょっちゅうメールを交わし合ってはいるが、俊介は心配でたまらない。一日の職務を終えて頭の中で色々と思い巡らせながら、駐車場で
自分の車のドアに手をかけたとき・・・
「稲葉俊介さん、初めまして」
声がして振り返ると、スーツ姿の凛々しい女と、メイド服のシニヨンを結い上げた小柄な女が立っている。一目で例の北条由紀緒であると
予想がついた。慎吾から聞かされていたそのままの姿だったのだ。
「北条由紀緒様ですよね?」
とても緊張した。何か余計な事を言って、慎吾の不利になりはしないか、そんなことばかりが頭をよぎる。
「あら、さすがキャリアね、お察しがいいこと。でも警戒なさらないで、悪意があって稲葉さんの職場に押しかけた訳ではないのです」
乗ってきた北条家の車の運転手に帰るように告げると、由紀緒とメイドは俊介の車に乗り、慎吾のマンションに向かう事になった。
「あの・・・本当に、三浦先輩は泊まり込みで、帰ってきてないんですよ・・・」
慎吾のマンションに連れて行けと言われて、断れず向かってはいるが、俊介は彼女の意図がつかめず、困り果てている。
「承知しております。慎吾さんは、もう私と会ってもくださらないのよ。 天照大神よろしく天岩戸にお隠れになったわ。助けていただきたいの。
とにかく、マンションについてから詳しいお話を致しましょう」
何故、由紀緒は自分のところに来たのか、どこまで自分と慎吾のつながりを知っているのか・・・ハンドルを握りつつ俊介は、後部座席の2人の女に
神経を集中させていた。
「ここなのね、稲葉さんと慎吾さんのお住まいは」
マンションの部屋の中に入ると、由紀緒はあたりを見回し微笑んだ。お付きのメイドは持参した大きな風呂式包みを抱えキッチンに向かう。
「キッチンをお借りしますね、お夕食を用意してまいりましたので準備させます。それまで、稲葉さんは私とお付き合いください」
由紀緒がそう話す間に、メイドは持参したハーブティーを温め直し、スコーンを添えてソファーのテーブルに運んできた。
「まずは、お茶を飲みながら・・・」
俊介は覚悟を決めてソファーを勧め、自らも座る。かえって慎吾の見合い相手を見極めるいい機会ではないだろうかと、開き直った。
「私が、三浦慎吾さんのお見合いの相手だという事はご存知ですわね」
はい、俊介は頷く。
「高級エステサロンを経営しておられる事も、お家柄がやんごとない事も存じております」
ふふふ・・・ティーカップを持ち上げて由紀緒は笑う。
「それは私の表の情報。稲葉さんには私の裏の情報までも知っていただきたいと思いまして・・・慎吾さんの事も、稲葉さんの事も調べさせて
いただきましたから、お二人には私の事も知っていただかなくては、不公平でしょ?」
「それは・・・」
(知っているというのか・・・慎吾さんとの関係を?)
俊介は身構えた。これからこの女は自分を脅しにかかるかもしれない。慎吾と別れるように強要してくるかもしれない・・・・
「お二人が恋人同士だという事。そして、これが私にとって都合がいいという事・・・」
何が言いたいのか、話の先が見えないまま、俊介は言葉をなくす。
「単刀直入にお話しますと、私にも恋人がいますの、でも決して成就しない恋なのです」
「身分違い・・・という事でしょうか?それで、カムフラージュ結婚を?」
由紀緒は頷く。
「慎吾さんにも悪い話ではないでしょう?稲葉さんと一緒にいても疑われる心配はないんですから。ご心配なさらないで、私、男嫌いなんです
だから慎吾さんとは間違いなど起きませんわ。稲葉さんは安心てくださってよろしいのですよ」
男嫌い・・・彼女の服装、ヘアスタイルが男っぽいのは、そこから来ているのだろうか。女性として生まれたが、心は男性・・・そんな葛藤を抱えた人が
この世には存在すると、何かの本で読んだが彼女はそのタイプなのだろうか。
「その、由紀緒様が愛しておられる方というのは、もしかして女性・・・なのですか?」
俊介の問いに臆することなく、彼女は頷いた。
「そうです。私も同じ穴のむじな・・・だから、稲葉さんと慎吾さんとの事は決して口外いたしませんし、私の事も口外無用です」
なるほど、これでようやく理解できた。俊介は一息ついてお茶を飲む。
「安心していただけましたか?もし、私と慎吾さんが結婚しても、稲葉さんは一緒に住んでいただけます。間借りという形で同居していただいていいですし
もちろん、寝室も同じで」
「私が同居なんて・・・とんでもありません。北条氏が何とおっしゃるか・・・」
「それも、交渉済みなのよ。お父様は、よほど私を嫁に出したかったのね、あらゆる条件をのんでくださったわ。というのも、兄が近々結婚する事になったから
なんですけど政略結婚で、とてもいい条件なのよ。でも、あちらの令嬢が夫の両親との同居はOKだけど、妹は早く嫁に出して欲しいなんていうものだから」
それは由紀緒自身、切羽詰まった選択だったろう。たどり着いた結論が、同性愛者と結婚することだったのか。
「候補者を極秘に調査して、慎吾さんに白羽の矢が立ったという事。苦労したわ、慎吾さんたら完璧に性癖を隠しているんですもの。それに、話を持ちかけようにも
避けて、会おうともしないし」
「だから、私のところに?」
「稲葉さんの方が物分り良さそうだし、それに、稲葉さんって感じいいから一緒に暮らしてもうまくいくと思うわ。恋愛感情はないけど、お友達としては
慎吾さんも稲葉さんも、私は好きですわ。お父様が二世帯住宅形式の家を建てて下さるというから、そこに慎吾さんと、稲葉さん、そして私と・・・
そちらにいるメイドの麻里子が住む事になります。ご承諾いただけるかしら?」
「いいのですか?本当に」
自分が新婚の新居に間借りとは、かなり不自然な気がしてならない。
「問題はありませんわ、全て丸く収まります」
その時、メイド・・・麻里子がやって来た。
「お嬢様、稲葉様、お食事のご用意が整いました」
由紀緒と俊介はダイニングに移動し、席についた。
「いつもは稲葉さんがお料理されているのですか?」
北条家の食事は洋食らしい、高価なステーキや、スープ、サラダなどが並べられている。
「はい、慎吾さんは実は和食派で、しかも家庭料理が好きで、だから家で食べてるんです」
「大丈夫よ、麻里子は和食、洋食、中華、なんでも得意なんです」
そう言って微笑むと、由紀緒は横に立っている麻里子の腰のあたりに手をかけて引き寄せた。その仕草がとても艶かしく感じた。
「あの・・・由紀緒さんの恋人という方は・・・もしかして」
「そう、麻里子。私専属のメイドで私の最愛の恋人」
令嬢が専属のメイドを連れて嫁いでも不思議はないし、専属のメイドが令嬢の寝室に出入りしても不思議はない。二人の密会は完璧だ。
「稲葉さんから慎吾さんに、この事を伝えて縁談をまとめていただきたいの。稲葉さんは、反対なさらないでしょう?」
「そうですね、慎吾さんにとっても悪くないお話だと思いますし説得してみます。それに、私のことは俊介とお呼び下さい」
一旦話は完了し、二人は食事をはじめた・・・その時・・・・
「俊介!!無事か?」
血相を変えて慎吾が飛び込んできた。
「あら?天岩戸が開いて天照大神のお出ましね」
クスクス笑う由紀緒の前で、優雅なディナー中の俊介を見て、慎吾はきょとんとする。
「慎吾さんもいかが?いやだわ・・・別に俊介さんに危害を加えたり致しませんわよ?人を誘拐犯みたいに・・・」
「何言ってるんだ!携帯にー稲葉さんはお預かりいたしました。至急マンションにお戻りくださいーなんていうメッセージ入れて、誘拐か何かだと
思わない方がおかしいだろう」
確かに・・・俊介も頷いた。しかし、そんな人騒がせなおちゃめな由紀緒に少し魅力を感じ始めた俊介だった。
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