46
ようやく俊介が職場復帰して、田山はほっとしていた。
犯人逮捕の際に怪我をした俊介の事を上司の不始末だと、慎吾は叱る事は無かったが、なぜか申し訳ない思いが
ふつふつと湧いてくる。
慎吾の、田山に対する表情は淡々としていて、責める風でもなく、怒ってもいないが、だからこそ鬼気迫るものがあった。
ほかの部下なら、こんな思いにはならなかっただろう。それほど俊介は慎吾のお気に入りだということを田山は
どこかで認識してしまっていたのだ。
「稲葉、今日は無理するな。当分は書類整理でもしてるか?」
以前の小馬鹿にしたような態度も、今はどこかに行ってしまっている。
「大丈夫ですよ〜課長。もう、ちゃんと腕は治りましたから」
ギブスのとれた腕を曲げ伸ばししつつ、俊介は笑って白石と聞き込みに行こうとする。
「え〜また怪我なんかするなよ」
「気をつけます」
苦笑しつつ、俊介は廊下に出た。
「課長、相当まいってたぞ?お前が怪我して。なんだか署長にあわせる顔ないって感じで」
署の廊下を歩きつつ白石がつぶやく。
「それは申し訳ないことをしました」
頭に手をやり、俊介は困った顔をする。
「別にさ、署長はお前の怪我の件で課長を責めてはいないんだ。事務的な会話を淡々としているだけなのにさ
それなのになんかこう・・・威圧的なのは何だったんだろうなぁ〜」
え・・・一瞬、俊介の表情がこわばる。
(慎吾さん、ポーカーフェイスが見破られるほど動揺してたのかな?あの時)
職場に私情などは一切持ち込まない慎吾が、そんなに感情見え見えだった事を聞くと、俊介は改めて慎吾の中の自分の位置
というものを確認させられる。
「無茶はするなよ?あの時、席外してた俺が言うのもなんだけどさ」
駐車場の車に乗り込みつつ、白石は微笑む。
「はい」
頷きながら、深呼吸をして、俊介も助手席に乗り込んだ。
もう長い間、部屋にこもりっきりで体が鈍っていないか心配だった。
職場でも同僚に追い越されてしまうような気がして、正直、復帰一日目は肩に力が入りすぎていたようだ。
「ギブスしてる間、三浦署長に介護されてたのか?」
運転しながら白石は、気になっていた事を訊き始めた。
「はい、恐れ多い事ですけど」
「へえ〜なんか想像つかないなあ・・・」
だろうなあ・・・と俊介は頷く。
恐らく、他の誰にも、あんな事はしてこなかっただろうし、これからもしないだろうと思われた。
「物凄くご迷惑をおかけしたので、僕も困っているんですよ」
ははは・・・白石は笑いながら俊介を見る。
「でも、稲葉だから世話焼きたくなるんだろうな〜俺だったら、きっと無視されてるさ。こう、母性本能掻き立てられる
というか・・・」
「母性本能ですか!?」
俊介は呆れて言葉も出ない。
「あ、父性本能か?」
白石は首をかしげて考え込んだ。
確かに・・・と思える点もなくはない。食事の時も食べさせてくれたり、シャンプーや全身洗ってもらったりもした・・・
とそこまで考えて、浴室での痴態を思い出し、俊介は俯く。
とにかく、慎吾とは色々な意味で進展を遂げた。怪我がなければ、変わらない毎日だっただろうに。
それがいい事なのか、どうかはわからないが、心が近づいたような気もする。
人には決して晒さない部分を晒し合う事は親密感を増す。それも2人の恋愛の過程なのだろう、などとぼんやり考えてみたりした。
そんなこんなで復帰第一日目を無事に終えて、慎吾と共に帰宅できる幸福を俊介はひしひしと感じる。
「いいですよね〜こうして出勤も退勤も一緒なんて〜」
昼間は白石の車の助手席、今は、慎吾の車の助手席にいる俊介はご機嫌だった。
「でも、お前、昇進したら配置替えだぞ?この幸福もあとわずかだろうな」
楽しげな俊介とは裏腹に、慎吾はしみじみとそう呟く。
配置替えは寂しいが、俊介にはちゃんと昇進してもらわなければ困るのだ。
「まだまだ先の事でしょう?」
さあ・・・それも上の事情。なんとも言えない。
「でも、帰れば毎日会えますから」
「だよな〜」
あまりにも近づきすぎたのだ。ほとんど、自分の一部ではないかと思うほどに・・・
だからもう離れられなくなってしまった。
「あ、ダメですよ?うちの課長に圧力かけちゃあ」
え?覚えのない慎吾は眉をしかめた。
「僕が怪我した時・・・慎吾さん知らず知らずのうちにそういうオーラ出てたみたいで、今日なんて課長
妙に慎重な扱いするんですよ僕に」
「それはまずいなあ。かなりあの時は動揺したからな、まあそういう事もあるだろうけど」
深刻に考え込む慎吾の横顔を見つめつつ、俊介はもし、立場が逆だったら・・・とふと考える。
やはり動揺するだろう。いや、あの時の慎吾以上に、見苦しく取り乱すかもしれない。
「お互いのため、気をつけなきゃいけませんね。今回の事で慎吾さんに大きく迷惑かけちゃったし、反省してますよ」
今回は同じ部署だったから、すぐに駆け付ける事も出来たが、配置替えになったら、そうはいかないだろう。
そう思うと先が思いやられる。
ふうーため息とともに慎吾は車を降りてマンションに向かうと、エレベーターの前で、父である三浦副総監に出くわした。
「親父・・・」
「今日たまたま早く上がれたから、一緒に飯でも食おうと思って寄ったんだが・・・アポ無しで押しかけて悪かったな」
ダメもと的な感覚で立ち寄ったらしい事は伺えるが、先日の件もあり、慎吾は強く出ることができない。
「別に、父親が息子の部屋を訪ねるのにアポなんかいらないだろ?」
「あ、僕の事はお構いなく・・・」
なんとなくぎこちない親子に気を使って、俊介は言葉を添える。
「違うだろ?親父はお前の快気祝いに来たんだろ?なあ?」
ああ・・・笑って三浦進はドアの開いたエレベーターに乗り込む。
「介護は慎吾に任せきりで、その間、一度も来れなくて申し訳ないと思っているよ」
「そんな事・・・」
俊介は苦笑する。
5階でドアが開き、3人はエレベーターを降り、慎吾の部屋に向かう。
「まさか、俊介が副総監殿に飯食わせてもらったり、風呂に入れてもらったりとかできると思うか?」
部屋の鍵を開けて中に入りつつ、慎吾は呆れる。
「でも、小さい時は風呂にも一緒に入ったんだぞ?」
慎吾に続いて部屋に入りつつ三浦進は、むっとして言い返す。
「でも、今はおじ様は僕の上司ですし・・・子供の時とは事情が違いますよ」
最後に部屋に入った俊介が、ドアを閉めながら困り顔でそういう。
「まあな、洋子さんも、慎吾に任せるのが俊ちゃんも一番気兼ねないんじゃないかって言ってたから
ほっといたんだけどねえ〜」
(判ってんじゃないか、俊介のおふくろさん)
上着を脱いでハンガーに掛けつつ慎吾は苦笑する。
「ということで、今回は寿司でもとって、ここで飯食うのもいいかなあと思ってな。寿司でいいか?」
と携帯を出して出前を取る準備を始める三浦進・・・
「俺は洋食より、寿司の方が嬉しいけど?」
「僕も寿司は嬉しいです」
意見が揃ったところで寿司パーティーが始まる事となった。
ヒトコト感想フォーム |
ご感想をひとことどうぞ。作者にメールで送られます。 |