転勤2
夕食後、書斎で明日の打ち合わせを龍之介としていた伊吹は、ふと思い出したようにつぶやいた。
「組長、ぼんが最後に上京したの、いつでしたか?」
え・・・顔をあげた龍之介は首をかしげる。思い出せない・・・それほど長い間、鬼頭組にいたということになる。
「ぼんは襲名の事もあるから、うろうろしてたらあかんと思って、我慢してるんとちゃいますか?でもそろそろ
限界かと思いますけど」
ああ、限界の辛さは、龍之介が一番よく知っている。
「なんか理由つけて、近いうちに鬼頭商事東京支店の視察に送るか」
「そうですね。遠距離は大変ですねぇ、襲名後が思いやられます」
ため息混じりに伊吹は書類をファイルにしまい、脇に抱えて立ち上がる。
「あいつ、俺には本音を吐かんさかい、お前が聞いてやってくれへんか?」
立ち上がりつつ、龍之介はため息混じりにそう言う。言葉には出さないが、色々と心配はしている。
しかし、弱音を吐かずに頑張っている優希を、父としては黙って見守るしかない。
「そうですね、時々ウチにぼん泊めてもええですか?」
ドアを開けようとする伊吹の手をいきなり止めて、龍之介は伊吹に耳打ちする。
「ええけどな、今晩は俺が泊まるで?」
はいー頷くと伊吹はドアを開けて廊下に出る。
最近、忙しくて伊吹宅のお泊りが遠のいていたため、龍之介も限界が来ていたのだ。
「こんだけ一緒におっても限界が来るのに、ぼんは、ほんまに我慢強いですね・・・」
「おい」
階段を降りながら龍之介は突っ込みを入れる。
「それはあてつけか?」
「そういうわけでは・・・」
と言いつつ、伊吹の口元が緩んでいる。満面の笑顔を見せないこの側近は、笑う時は口元を緩ませるのだ。
ふうんー頷きつつ、すねる龍之介の肩を伊吹は追い越しざまに抱きしめて囁く。
「駐車場でお待ちしてますから、はよ来て下さいね」
一緒に鬼頭を抜け出すのは周囲の目があるので、伊吹はいつも先に車で待っており、龍之介がこっそり後で抜け出して
駐車場まで来る事になっていた。
最愛の人の背中を見つめつつ、いつの間にか機嫌はなおっている。いつもそうだ、龍之介は伊吹の一言一言に一喜一憂するのだ。
伊吹への想いは、幼い頃から今まで何一つ変わらない。40を過ぎた今でも伊吹の事を思うと、どきどきする自分にあきれる。
「親父、俺ちょっと出かけるぞ」
キッチンを通り過ぎたところで、私服で出かける優希に出会った。
「こんな夜中にどこ行くんや」
訊くや否や、龍之介は優希に部屋の隅に連れ込まれた。
「実はなあ、達彦さんから連絡があってな、すぐ近くに来てるんやて」
「出張かなにかか?まあ、よかったなあ。さっきも伊吹とお前の限界について話してたとこやったんや」
「なんや?それ」
顔をしかめて龍之介を見つめる優希の背中を、龍之介はぽんと叩いた。
「気ぃつけてな。車使うか?」
「いや、近くのコンビ二で落ち合って達彦さんの車で達彦さんの部屋に行って泊まる。朝、電話するから車よこしてくれるか?」
ああー自然と口元が緩む龍之介。息子が幸せそうなのが嬉しかったりした。
「もしかして、親父もこれから抜け出して伊吹んとこ・・・」
機嫌のいい父を見つめつつ優希もニヤニヤしている。
「ええから、はよ行け」
優希の背中を押して、無理やり仏頂面を作る龍之介を振り返りつつ、優希は出て行った。
ーまあ、これで俺も優希に遠慮せず、堂々と伊吹といちゃつけるなあー
苦笑しながら、龍之介は鬼頭組の駐車場にむかった。
鬼頭を出た優希が、指定されたコンビ二に向かって歩いていると、夜道にひときわ明るい店の前に、夢にまで見た
いとしい人が佇んでいた。
「達彦さん」
優希の声に、達彦はにっこり笑って振り返った。
「すみませんこんな遅くに。歓迎会という名の宴会を抜け出すの大変だったんですよ。最近のコンビニスイーツって高級ですね。
待っている間に色々買ってしまいました」
と手にした袋を持ち上げる。そして道路の脇に停めた車に優希を乗るように薦めた後、自分も乗り込む。
「とりあえず、話は私の部屋でしましょう。いい知らせがあるんですよ」
いつもの達彦の笑顔が嬉しくて、優希は助手席で運転する達彦の顔をずっと見つめていた。
着いたのはビジネスホテルではなく、マンションだった。その一室のドアを開けて、達彦は優希を招きいれる。
「お茶入れますね。チーズケーキとか、モンブランとか色々あるんで好きなの選んでいいですよ」
と先ほどのコンビニの袋をダイニングのテーブルに置き、達彦はコーヒーを入れ始める。
「ここは、誰が住んでるんですか?」
椅子に腰掛けつつ、優希は達彦の背中に問いかける。
部屋に自分と達彦以外の誰かがいる気配はない。見回したところ、家具は最小限のものしかない。事情がつかめないまま
優希は首をかしげた。
「私がこれから住む部屋です。優君を時々呼ぶために、ワンルームじゃなく少し広い部屋探しましたよ〜」
え、何で?首をかしげる優希に、笑いつつコーヒーカップを差し出す達彦。
「寝室には、やはりダブルベッド置かないといけないし、もしもの来客の時、優君が隠れる部屋がないとまずいし・・・
というのは冗談ですけど。でも、知り合いを泊めたとか、言い訳できないとねえ?」
話がまるで見えない優希はぽかんとしている。
「ああ、チーズケーキ食べてくださいねーはい、フォーク」
袋から出したチーズケーキにフォークをつけて差し出すと達彦は自分のミルフィーユを取り出し、席に着いた。
「達彦さん、もしかして・・・警察辞めたんですか?」
最悪の事態が優希の脳裏をかすめる。
「いいえ、人事移動で吹田署に派遣されたんです。だから署と鬼頭の真ん中くらいの所に部屋借りて・・・」
知り合いに会わないようにするためだろう。頷きつつ優希はケーキを食べ始める。
「もう遠距離を脱出したんですよ私達」
でも・・・優希は一つ心配事がある。
「もしかして、それ、左遷とちゃうんですか?」
「左遷かもしれませんね・・・でもかまいませんよ。一応、父が気を利かせて私を送ってくれたんです。
回りは皆、左遷だ、酷いって怒ってましたけどね〜」
はははは・・・・笑い事にならない事を笑い事にしている達彦に、優希は呆れる。
「達彦さん・・・」
「私は、優君の傍にいるのが一番幸せですよ」
喜んでいいのか、心配するべきなのか複雑な優希に、達彦はそう言って微笑みかける。
「優君をびっくりさせたくて、転勤後に突然、じゃ〜んと現れようと計画してたんですけどね、転勤したらしたで引継ぎとか
会議とかで、会いに行く時間も無くて、今日も歓迎会、なかなか抜けさせてくれなくて。一応署長なんで前みたいに
コッソリ抜ける訳にはいかなくてね」
「え?署長なんですか?」
自分の知らないところで、達彦に色々な事が起こっていた事を知り、優希は唖然とする。
「一応は・・・ね」
そういって笑う達彦にはもう、初めて鬼頭に来て土下座した時の初々しさはなく、すでに吹田署の署長としての貫禄が垣間見えた。
そんな時、優希はふと達彦は年上なのだと改めて実感する。
社会で管理職として働く達彦。それに引きかえ自分はまだ襲名前の見習いである。
自分はこの人にふさわしい人間なのか・・・そこまで考えて、やくざを襲名しようとしている時点で実はアウトなのではないかと
苦笑した。
しかし、しばらく会わないうちに、達彦は男としての強さ、しなやかさを身に着けていた。
どこか、優希に寄り添うような、頼るような儚さは薄れ、包容力が垣間見えるような気がした。
ー達彦さんは、だんだん伊吹に似てきたー
そんな想いにひたる優希を、達彦は怪訝そうに覗き込む。
「どうしたんですか?物思いに耽って・・・」
「いえ。達彦さんはだんだん男らしくなってくるなあと思うて」
照れ隠しに笑いつつ、優希は頭をかきながらそう言った。
「それって、がっかりされたって事ですか?」
いえ・・・優希は立ち上がり、テーブルに身を乗り出す。
「前は清純派やったのに、今は男の色気が出てきたって・・・」
男らしいは優希の代名詞だった。しかし硬派な乾いたイメージの男らしさとは別の”男”を優希は達彦の中に見る。
憂いのあるしっとりとしたけだるさ。見るたびに変わる笑顔の色・・・
「つーか、エロ過ぎます」
優希を見つめていた達彦の唇に、テーブル越しに自らの唇を重ねる優希。
「実はコンビニの前で達彦さん見た瞬間から、我慢限界やったんですよ」
「じらしてすみませんでした、でも、宴会帰りなんで、シャワーはさせてくださいね」
そういうと達彦は立ち上がった。
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