転勤 1
退勤後、達彦は父、孝也に呼ばれて自宅に向う。
優希と遠距離恋愛になってからは、母、美和子に心配をかけっぱなしで、自宅に行くのも気が引けて自宅から遠ざかっていた。
和やかな夕食の後、達彦は書斎に呼ばれた。
「実は・・・すまないんだが、大阪の吹田署の署長に空きが出てな・・・行ってくれないだろうか」
以前、慎吾が持ってきたのは大阪府警の空きだったが、今回は吹田署とは・・・
「大阪に送られて、左遷などとは思わないで欲しいんだ。適任がいなくてな・・・」
達彦には願っても無い事だった。おそらく、わざわざ達彦に回してくれたのだろう。
「周りも反対したんだが・・・」
「私は、構いませんよ。むしろ喜んで行きます」
たとえ、東京に戻れなくても本望だ。出世より、優希の傍にいられる事のほうが達彦には大切だった。
「お父さん、配慮感謝します」
「いいのか?それで・・・」
ははは・・・達彦は大笑いした。
「自分から言っといて、なんですか?慎吾君と稲葉君にトップを譲って、私は脱落しますよ」
昔から競争心や、名誉欲がまるで無かった達彦・・・変に目立って七光りだの八光りだのと言われるよりは、マイペースに
生きたほうが達彦のためかも知れないと、孝也も考えていた。
「脱落するのに、やけに嬉しそうだな」
(そんなに、美和子の話していた鬼頭組の跡取りが大事なのか・・・・)
孝也は苦笑する。
やくざと交流するなら、下手に上りつめない方がいい。打たれないように出ない杭であるべきだ・・・・
「しょうのないやつだ・・・」
そういいながらも、今までに無い、生き生きした達彦の表情に孝也は安堵する。
自分から何かを欲しがった事も、駄々をこねた事も無い達彦。
ただ、警察官の家に生まれたから、警察官になり、キャリアになったからエリートコースを歩んできた・・・
そこに達彦の意志は、何も無かった。
そんな達彦が強く望んだのは、やくざの一人息子・・・そのうち襲名すると言う。苦労するとは知りつつも、力になってやりたかった。
「来月から、頼む。それまでは引継ぎや、挨拶などで色々忙しいと思うが・・・」
達彦は頷く。出来るなら、明日にでも飛んで生きたい気分だった。
「ありがとうございます」
そういって部屋を出ようとする達彦の背に、孝也はつけたした。
「辞令は明後日出る。それまでは署長にも内緒だぞ・・・」
その明後日・・・辞令が出た。
「八神警視・・・これは抗議したほうがいいですよ。あんまりです」
署長の今居が憤慨していた。
「どうしてですか?」
笑顔の達彦に、今居は返す言葉が無い。
「どこにいても、警察官の仕事は同じで、重要性には変わりありません」
でも・・・今居は納得できない。
彼自身、達彦に頼りきっていた部分が無くも無い・・・
「後任は、明日から来るんですよね。明日から引継ぎですね」
必要以上に嬉しそうな達彦に、今居は首をかしげる。
達彦は、来月までは上京の予定の無い優希には転勤の事を内緒にして、いきなり大阪に現れて、びっくりさせるつもりでいた。
その事を思うと、いたずらする子供のようにわくわくした。
「嬉しそうですね・・・」
寂しげに言う今居を達彦は振り返り、笑って言った。
「ええ、本場のお好み焼きが毎日食べられると思うと、ウキウキしますね」
お好み焼き・・・それはまんざら嘘ではなかった。
ーほんまはこれ、鉄板で焼くのがええんですけどね・・・−
そういいながら優希は時々、伊吹が伝授したお好み焼きを、フライパンで焼いては夕食に出した。
優希のいない今、妙にその時のお好み焼きが恋しかったりした。
他のメニューは飲食店で食べる事が出来ても、東京でお好み焼きは難しい。
専門店を見つけても、優希無しで独りで食べても味気ない気がして、素通りしていた。
「大丈夫ですよ。後任の人も優秀な人ですから」
今居の事情など、少しも考えていない達彦が笑顔でそう言う。
「八神警視より優秀な人なんていないでしょう」
そんな事無いですよ〜と軽く受け流して、デスクの整理を始める達彦に、今居は何も言えずに仕事に就く。
前々からどこかズレていると思っていたが、やはり大きくズレている。
そこが頼もしいとも思えたが、なんとなく、ついていけないものも感じた。
「達ちゃん、よかったね〜」
部屋に帰ると、美和子が夕食を作って待っていた。
多忙のため、あまり来れないが、時々は達彦の栄養摂取事情を案じて、こうして訪れる母、美和子・・・
「それ・・・・何回目ですか?」
顔を見るたびに言われている・・・
「達也は怒ってたけどね。お父さんは達彦には厳しすぎだって」
兄は事情を知らないので、父の今回の人事は左遷にしか見えないのだろう。
ダイニングの食卓に、あれこれとおかずを並べる美和子、着替えて出てきた達彦は母を手伝い、ご飯を茶碗によそう。
「署長も抗議しろとか言ってましたけど・・・」
「普通はねえ・・・そうよね」
その後、無言で二人は食卓に付き、夕食をとり始めた・・・
「あのね・・・家族としては、寂しいのよね」
食後のお茶をすすりつつ、美和子はポツリと言う。
同じ家にいても顔を見るのが難しい八神家。達彦が一人暮らしを始めた当時も寂しかったが、それでもこうして時々訪問する事は
出来た。それが・・・
「そうですね」
優希の事しか頭に無く、家族と遠く離れる事を意識しなかった自分を悔い改める。
「子供は巣立っていくものなんだけど・・・」
それでも寂しさは、どうしょうもないのだ。
「すみません、お母さん・・・」
「元気でね・・・」
笑って、カラの茶碗を持って美和子は流し台に向う。
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