運命の始まり 8
出勤第一日目の夜、鬼頭商事は新しい支店長を迎えて宴会が開かれていた。
「あ〜こ〜んな小さかったぼんが、支店長かあ・・・年取るはずだ・・・」
井上は嬉しそうに酒を優希に注ぐ
「井上さん、よろしゅうお願いします。色々教えてくださいね」
伊吹がいた頃に比べると、従業員も増えて、家族的な感覚はなくなってしまったのが少し寂しいが、
井上は多くの部下を持つ責任者として、やりがいを感じつつ過ごしてもいる。
「金居ちゃんも結婚しても、出産しても、辞めずに生き残ってくれて・・・ありがたいなあ・・・」
久美子にも酒を注ぐ・・・
「ここ好きだから、辞められないんですよ。安田さんの後継者に選ばれちゃったしねえ・・・」
安田女史が引退して、大阪の息子の元に行ってしまい、もともとのメンバーは、今では井上と金居のみになった。
「にしても・・・藤島さん、年取ったら、もっとかっこよくなりましたね〜渋いと言うか・・・」
金居は伊吹がお気に入りである・・・・
「8代目も40超えたか・・落ち着いて渋くなって・・・昔の可愛いぼんの面影ないよな」
「ああ、20代のころは鬼頭社長ってスタイリッシュで、ちょっとホストっぽかったけど・・・今は貫禄ついてナイス・ミドルってとこですか」
「その言い方古すぎる・・・」
はははははは・・・・・
昔からよく知っている仲・・・井上と金居の間には入れない気がした。
父も伊吹も、長い長い年月を変わらない愛情で紡いできたという事。
やはり、自分は2人の間に割り込む余地が無いという事・・・
「朝のうちに大阪に帰えられたんですって?組長と兄さんの為に、宴会準備したのになあ・・・」
井上は残念そうに言う
「ええ・・・井上さんと金居女史には、くれぐれもよろしくと言うてました」
「組長も、ぼんが立派に育ってくれたから安心ですねえ・・・」
自分の息子を見るように、井上は目を細める。
(俺は・・・親父を越えなあかん・・・)
それが優希のプレッシャーだった。以前はどうであれ、今では鬼頭龍之介といえば極道界のカオである。
その父よりも出来のいい息子・・・そう認識され、期待されている優希・・・
問題は起せない。起してはいけない。
ーお手柄でしたねえ、八神警部ー
ーさすがです。まさか女子高生にまでなるとは・・・でも似合ってましたよー
ーもうその話は・・・−
隣の座敷から聴こえてくる声が、優希には非常に気になる。
(今、八神警部って言った・・・)
あまりに達彦の事を考えすぎて、幻聴でも聴こえて来るのかとも思った。
しかし・・・最後に聴こえた声は紛れも無く達彦の声だった。
「ぼん?」
井上が、上の空の優希を不思議そうに見つめる。
ああ・・・・ごまかし笑いをしながら優希は井上の酌を受ける。が・・・気になるものは気になる。
ー警部・・・−
ーすみません・・・用がありますんで・・私につけといてください。ごゆっくり・・−
立ち上がって出てゆく気配がした。
「井上さん・・・急に用事思い出して、帰らなあかん。すみません、明日から宜しくお願いいたします」
優希は急いで立ち上がる。
「ぼん、タクシー呼びましょうか?」
「いえ、車あるから、運転手つきで」
車は店の駐車場で待機していた。会釈して立ち去る優希を、呆然と井上は見つめていた。
「達彦・・・送っていくよ」
外で三浦慎吾の声がした。優希は思わず物陰に隠れる。
「いいですよ、信吾君も飲んだでしょう?飲酒運転になりますよ。それに、もう少し宴会に参加したら?」
「でも・・」
「タクシー拾って帰りますから。私、酒の席苦手だから・・」
心配だが、達彦について帰ると、また色々言われかねないので慎吾は諦めたようにため息をつく。
「気をつけてな・・・」
「はい」
再び店に入る慎吾を確認して、優希は達彦に近づく。
「先輩・・・」
振返った達彦の顔が驚きに変わる。
「鬼頭君・・・」
会いたいと思いつつも、諦めていたその人が目の前にいた・・・
「送りますよ。」
もう拒めなかった。会うまいとしても会ってしまうのだ・・・諦めたように達彦は頷く。
会いたかった、あの優しい笑顔が目の前にある・・・それだけで幸せだった。
慎吾は小さい頃から達彦を守ってくれていた。しかし、彼には友達以上の感情が湧かない。
優希は不思議な吸引力で達彦を見虜していた。
携帯で駐車場から車を呼んだ後、優希は達彦に笑いかける。
「やっとあえた・・・会いたかったですよ」
そんなに素直に言われると期待してしまう・・・
慎吾は優しいが、何処か本心でないものが見え隠れした。
下心のようなもの・・・計画的に会話を交わし、人の気持ちを誘導するような・・・
相手に言わせたい言葉を、言うように仕向ける巧妙な罠。駆け引き・・・
それが昔から嫌だった。優希にはそれが無い。そのまんまストレートなのだ。
容疑者の嘘を見抜き、真実を探り当てる職業であればあるほど、仕事以外では腹の探り合いなどはしたくない。
しかし、仕事仲間の間でも、人間関係は腹の探りあいなのだ。
だからこそ、優希の純粋さに癒された・・・・
鬼頭の優希専用自家用車に乗ると、達彦は行き先を告げた。
運転手は組の新入りだが、東京生まれの東京育ちで地理に詳しい事から、優希の専属運転手に選ばれた。
歳は22、優希と同い年だ。
「はい、判りました」
斉藤栄一。口数の少ない、真面目そうな青年だが腕は立つ。ボディーガードも兼ねている。
伊吹に憧れて鬼頭に入った高坂の二代目。しかし、高坂と違い、歳の割には落ち着いている。
コワモテで冗談が通じない感じで、優希も車の中では緊張していた。
「ここから近いんですね」
鬼頭商事の事務所とも遠くない。
「通勤に便利なように借りたマンションです。次の配置移動までの仮住まいですよ」
24時間何時でも呼び出されるため、職場の傍に住むようにとの父のお達しである。
「じゃあ、いつかは引っ越されるんですね・・・」
少し寂しかった。が・・・達彦が一人暮らしであることが判明した。
「着きました」
斉藤が車をマンションの前に横付けする。
「鬼頭君、お茶飲んで行きませんか?」
一人暮らしの達彦の部屋に上がりこむチャンスが優希に与えられた。
「ええんですか?」
「運転手さんも・・・いかがですか?」
斉藤は少し驚きつつ笑顔で辞退する
「私は運転手ですから。ぼん、駐車場で待ってます、お帰りの際には電話ください。車まわします」
「いや、これでカフェに行ってコーヒーでも飲め。どっか近いとこで」
と優希は一万円札を差し出す。
「いいえ・・結構です」
斉藤は受け取らない
「お前酒飲まれへんから、高級なコーヒーでも飲んで来いよ。つーか、じっと駐車場で待たれてると俺が気ぃ使うし」
ゆっくり話したいという優希の意図を汲み取り、斉藤は金を受け取る。
「判りました、ありがとうございます。ごゆっくり」
斉藤の声を背に、達彦と優希は車を降りる。
「真面目な運転手さんですねえ」
達彦の言葉に優希は頷く
「まあ、運転手が不真面目やと困るそうなんですが・・・あいつはガチガチで・・・」
伊吹の太鼓判つきの運転手である。
ははははは・・・
笑いながらエレベーターのボタンを押す達彦。
「部屋、狭いですよ・・」
確かに、ここはワンルームマンションだ。
二人、エレベーターに乗り込むと密室状態に優希は緊張する。
学園祭の時のメイド姿ではもちろん無い達彦。スーツ姿の警部様・・・
なのに惹かれる。
長いつややかな黒髪、シャープな銀縁の眼鏡、華奢な輪郭・・・
金居女史は若い頃の龍之介は何処かホストっぽかったといっていたが、こんな感じだったのか・・・と思う
「ん?」
視線に気付いて振り向く達彦、急いで目をそらす優希・・・
5階で降りると鍵を開けて部屋に入る・・・
きわめてシンプルな部屋・・・
折りたたみのソファーベッドと、テレビとクローゼット・・・ダイニングのテーブルに持ち込まれたノートブック、書類の山・・・
食事をするスペースというより、書斎化していた。
「すみません、テーブル散らかってるでしょ?」
「食事ちゃんと、とってますか?」
「うーん・・・食べたり食べなかったりですねえ・・・」
仕事柄仕方ないのだろうか・・・ため息をつく優希
「あ、コーヒー入れますね」
と湯を沸かし始める達彦の背中を見つつ、優希は可愛すぎて口元が緩む。
「ソファーに座っててください」
言われてソファーに腰掛ける・・・
背もたれを倒すとベッドになるソファー、狭いスペースでの活用方法ではある。
しかし・・優希はぎこちない。今の形態はソファーであるが、ベッドとしても使われている。
そこに自分が座っているのだ。
「お待たせ」
トレイにのせて持ってくる達彦の姿に、大学の学園祭のメイド姿がだぶる・・・
「鬼頭君?」
「ああ・・すみません・・・頂きます」
カップを取って微笑む優希。
達也も自分のカップを持って、優希の隣に座る。更に緊張する優希。
「鬼頭君、私に会いたかったって言ったでしょう?実は、私も鬼頭君に会いたかったんです」
笑顔でそう言われて、優希は頭の中が真っ白になってしまう
こんな密室で、そんな笑顔で、会いたかったなんて・・・反則では無いか。
我が耳を疑う・・・・
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