5歳の初夏

 ある初夏の朝、13目檜山夢幻斎は5歳になった孫、史也(ふみや)を書斎に呼んだ。

「史也、今日わしは世を去ることになる。同時にお前の母は14代目檜山夢幻斎を襲名する。

お前も15代目候補として、母とは親子の縁を切り師弟とならねばならん・・・・・わずか5歳で

過酷な修行の数々をこなさねばならんが、これも檜山の家に生まれた運命。こらえてくれ。」

弟子が檜山夢幻斎を襲名する時、師は他界せねばならない。

今日、祖父は他界する。

史也は何度も聞かされてきた檜山家のしきたりを思い出した。

檜山家は平安時代、陰陽師ご用達の人形(ひとがた)作りの一族だった。

災厄を代わりに受け流す身代わり人形や、高度な式神の器としての人形を作ってきた一族である。

それは単なる職人ではなく術師としての仕事だった。

序々に陰陽師が影を潜めるようになってくると人形師として頭角を表し始め、

裏では死人の魂を呼び寄せ人形に籠めるという、再生術を施していた。

死人の骨、皮膚、髪などを使って人形を作るのが主で、代々、檜山夢幻斎の襲名儀式は

師の人形作りとされていた。

受け継いだ総ての技術を駆使して、弟子は師の人形を処女作として作成し、檜山夢幻斎を継承する。

よって人形の材料として、師は身体を弟子に提供しなければならない。

今夜、祖父は母に身体を人形の材料として提供する為に他界するというのだ・・・

「お祖父様・・・私は人形師以外の職業には就けないのですか・・・」

少女のような白い肌と長いまつげの瞳を持つ少年、史也・・・・

「檜山に生を受けたものの運命じゃ。特にお前は100年に一度出るかどうかの逸材。

お前は必ず、この家を継がねばならぬ。」

この齢60の夢幻斎は孫の手を取り哀願した。

「お前は東西の術者の結集。歴代当主の頂点に立つものとなる人形師・・・精進せい・・・・」

「東西?」

「お前の母、来栖ミサは西洋カトリックの悪魔退治の一族なのだ。江戸時代、宣教師について日本に

渡って来て棲みついたもの。代々祭司を司っているらしい。その一族には必ず3人の娘がおり、

巫女として教会を守っていると言われている。紅薔薇の巫女、白薔薇のの巫女、黄薔薇の巫女。

お前の母はその紅薔薇の巫女だったんじゃ・・・代々由緒正しい血筋を守ってきた檜山家にとっても、

薔薇巫女は生涯未通女として生きる掟の来栖家にとってもこの婚姻は異端中の異端だった・・・・

しかし・・・神託は両家に現れた。お前をこの世に送り出す為に・・・・」

初めて明かされる母の出身に史也は驚きを隠せない。

「お前の母も並々ならぬ能力を持っておる。その力で起こるべき世の災いを封ずるであろう。

来栖と檜山の力の合体・・・世が望んだそれは来たるべく魔の来襲に備えられてのこと。

その防御の為、彼女は檜山に嫁いだ。そして、双方の力を備えた救世主をこの世に送った。

お前だ・・・史也。檜山の血を受け継ぎつつ、来栖の力を備えた者。これがその証。」

夢幻斎は文也の両の手首を掴んで内側を上にかざした。十字の傷跡が左右両の手首に刻まれていた。

「これは・・・生まれた時からあった痣・・・」

「キリスト教では聖痕と呼ばれている。キリストが十字架に架かったときに受けた傷跡じゃ。

聖人と呼ばれるものの中にはキリストの霊が宿り、聖痕が現れる者もいると言われている。

来栖家でも100年に一度現れる特殊能力者だそうだ。来栖の語源はクロス、十字架にある

救いをもたらす者そして犠牲となる者を意味する。

この先、どのような災いがこの世が襲われるのか想像もつかぬ。しかし、こうしてお前を世に送り

聖痕を授けた”神”と呼ばれるものが存在するなら・・・・お前はそれに殉ずるしかないのだ。

強くなれ、己に負けぬよう。賢くなれ、魔に惑わされぬよう・・・・もっと話したいことはあるが

時がそれを許さぬようだ。出来る事なら、もう少しお前が成長してからにしたかった・・・

これから5歳の子供には過酷な運命が待っている・・・しかし、賽は投げられたのだ・・・・」

「御義父様・・・」

ミサの呼ぶ声に夢幻斎は立ち上がった。

「史也、お前は檜山の誇りだ。お前をわが家に迎えられた事を誇りに思う」

書斎かれ出てゆく後ろ姿が祖父との最期の別れとなった・・・・

洋館の二階の寝室で夢幻斎は目覚めた。

5歳の頃の夢を久しぶりに見た。

あれから母は師となり、自らは普通の子供とはかけ離れた生活が

待っていた。

起き上がると彼はガウンを羽織り、奥の部屋へむかう。

無性に祖父に会いたかった。そして・・・母に。

暗い部屋にはいると、まっすぐ先々代檜山夢幻斎の前に立つ。

ここにいるのは総て檜山夢幻斎・・・・檜山家の運命に殉じて人としての名を失った者達・・・・

「夢の中では檜山史也であることを許して下さるのですね・・・」

とうの昔に失くした名前・・・・捨てる為に付けられた名前・・・・

先代夢幻斎のほうを見た・・・

・・・涙を流していた・・・・

「母さん・・もう・・来栖ミサに戻っていいんですよ・・・私が檜山夢幻斎。夢幻斎は世にただ一人。

あの時流せなかった涙すべて流したらいい・・・・」

(ここは、己の宿命に殉じた者たちの安息所・・・・そして・・・私は墓守なのだ・・・・)

彼は左手にかけたロザリオを外し手のひらにかけると跪き祈りを捧げた。

死してもなお、人型の器に囚われし者の魂の安息のために・・・・

そして常にこの部屋を紅薔薇で満たすのだ・・・・

紅薔薇の巫女であった母のために・・・・

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