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年が明けた頃、誠次郎は平次に呼ばれて雪花楼を訪ねた。
「誠次、頼む、凪を身請けしてくれ」
悠太なしで一人で来いと言われて来たら、開口一番にそう言われ、誠次郎は途方にくれた。
「お前の考えている事はなんとなくわかるが、あの子は悠太と同じじゃないよ。悠太が誤解するような行動は
取れないし、いくら同情したからといって私は慈善事業はしないよ」
「でも気になるだろう?」
だからどうしろというのだ・・・誠次郎は困った顔を平次に向ける。
聞けば、陰間になりたくないばかりに、近頃、自傷行為を続けているらしい。顔を切りつけたり、焼き鏝を押し当てようとしたりするのだそうだ。
「お前、廓の主人だろ?しっかりしろ」
「今はとりあえず、家に戻ってきたお紺の育児の手伝いをさせてるんだ、あの年で、赤子の世話うまいんだぞ?あいつ絶対使えるって」
いや、うちには赤子いないし・・・凪が使える子だという事はわかったが、物じゃあるまいし、金を出して結城屋に連れてきて、奉公させて・・・
凪の人生の責任は誰が持つのだ?奴隷のような扱いはしたくなかった。
「すまないが、これは私が一人で決める事じゃないよ、悠太と源さんの許可がいる」
なんで源さん?きょとんとしている平次に誠次郎は畳み掛ける。
「身請けの金は源さんから貰わなきゃなんないからだよ、悠太の時も散々怪しまれたんだからね」
なんで・・・結城屋の主人がなんで、店の金を大番頭から貰わなきゃならないのかわからない。
「源さんは、おとっつあんの代わりだからさ。遺言なんだよ、誠次を頼むって言われて、それで・・・」
もうそろそろ独立してもいいと平次は思う、店を継いだ当時、誠次郎は確かに若造で、後見人が必要だった。が、今はもう三十路のおっさんではないか。
確かにまだ皆に若旦那と呼ばせているところからして精神的に独立していないようではあるが。
「じゃあ、悠太と源さんと相談しておくれ」
はあ?平次のしつこさに誠次郎は舌を巻いた。
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「という事なんだが・・・」
結城屋に帰って源蔵と悠太を前に、誠次郎はそう打ち明けた。
「変な了見ですね、ただの平次さんの無茶ぶりではありませんか?」
源蔵はそういって完結したが、悠太はじっと平次の提案の意味を考えている。
「若旦那は凪の事、どう思っておられるんですか?」
妙に気にして金平糖あげたり、構っている事が気になる。
「正直、他人のような気がしないんだ。悠太みたいでもあり、私みたいで、放っては置けないが、だからといって・・・」
悠太にはよくわかる、ここぞという時の誠次郎は決断力がない。悠太を他のものに渡すのは嫌なくせに、水揚げも身請けもためらった
挙句に火傷して、売り物にならなくなって初めて動いた・・・今も多分そうだ。
「どうしたいですか?」
「と言われても・・・嫁はもういるし・・・」
「では次は息子、跡取りですね」
源蔵の何気ない言葉に、悠太は全てを悟る。
「そうだ、養子です。養子をとるんです」
養子・・・イマイチ誠次郎にはピンと来ない。
「私にも、若旦那にも似ている子、身寄りのない天涯孤独、ある程度育っていて育児の必要なし、そしてなかなかできる子らしい・・・
これはもう、結城屋の跡取りにするしかないじゃありませんか」
ええ・・・誠次郎は頭が混乱した。が、源蔵はポンと手を叩く。
「いい考えです、一度私が会って吟味致しましょう、お店潰すようなバカ息子じゃいけませんからね。ほら、若旦那、どうせもうこれから
女を孕ます予定はないんでしょう?」
「源さんなんてことを!下品な事お言いでないよ、悠太が産むんだよ・・・」
いいえ、産めませんから・・・森羅万象全て間違っている誠次郎の言葉に悠太は苦笑する。
「悠太はそれでいいのかい?自分の産んだ子じゃない子が結城屋を継ぐんだよ?」
自分は子は産めないと何度言えばわかるのか・・・この冗談なのか本気なのか解らないこだわりに悠太は言葉をなくす。
「これは運命ですよ、きっと前世からの縁です、すぐ面接しましょう。大丈夫です、金の事はご心配なく。若旦那は酒も女も博打もしないので
全然使ってませんから、儲かった分まるまる蓄えてありますし」
善は急げと、ばかりに使いをよこして平次に凪を連れてこさせた。平次も時を逃がしてはいけないとばかりに急いで結城屋に足を運んだ。
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「この子ですか」
源蔵は納得した、何処か、誠次郎と悠太を足して2で割ったようなオーラを醸し出している。
「お初にお目にかかります、凪と申します」
貧乏浪人の息子とはいえ、武家の潔さを漂わせていた。
「あ、おまえさん、名はなんて言うんだい?親が付けた本当の名だよ」
結城屋の3人に囲まれて緊張しながら凪は背筋を伸ばして答える。
「姓は山形、名は志乃と申します」
源蔵は驚いて紙と筆を渡し、書くように命じた。
貧乏な浪人の子ではあるが、読み書きはちゃんと習っていたらしい、美しい字で山形志乃と書いて差し出した。それを見て誠次郎と源蔵は驚いた。
「女子のような名で、お恥ずかしいです」
恐縮する凪を制して、源蔵は静かに微笑む。
「違うんだ、この若旦那を産んだ方の名前が志乃で、漢字まで同じなんだ。やはり武家の出でね、浪人をされていたお父上の死後
廓に身を落とされ、この結城屋の先代に身請けされ、若旦那をお産みになられた。お前さんは、お志乃さんの生まれ変わりじゃないかと思うくらいだ」
女のような名を付けられ、人からいろいろと茶化されてきたが、初めて何か運命めいたことを言われ、凪自身も神妙な気持ちになる。
「じゃあ、読み書き算盤、やってもらうよ。お前さんの未来がかかってるんだ、真剣にやるんだよ」
と誠次郎は源蔵に凪を任せて別室に送った。
「誠次、凪を身請けしてどうする気だ?ただの奉公人の試験にしては厳しすぎやしないかい?」
凪が出て行くと、平次はそう訊いた。先ほどの源蔵も、なにか大げさな気がしてならない。
「養子にするんだ、私と悠太の子だよ」
ふうん・・・と平次は暫く黙り込んだ後に、悪くねえなとつぶやいた。
「気にしてなかったが、あいつお志乃さんと同じ字なんだな。すげえ因縁だな」
「おっかさんに縁のある子だ、おとっつあんも文句言うまいよ」
誠次郎は心を決めたようだ。
「悠太はどうなんだい?お前おっかさんになるんだろう?」
平次は先程から、なにも言わない悠太が気になる。
「確信しました、あの子しかいません。名前まで縁があるとは思いませんでしたが」
「しかし、試験に合格するかどうかはわからないよ?」
誠次郎の言葉に平次は鼻で笑う。
「合格するよ〜店の勘定最近はあいつにやらせてるんだ。子守手伝ってから寝る前に店に来て会計、陰間やらない条件でな」
ほう・・・誠次郎は感心する。
「正直俺も、あの頭使わないで、身売りさせるのは勿体無いと思ってたんだ。親父が浪人してたんだろ?きっと籠編んだり草鞋こさえたり
傘貼りもうまいと思うぞ?」
まあ、苦労は人一倍していそうだった。そうこうしているうちに、源蔵がホクホク顔でやってきた。
「若旦那!この子完璧です、是非養子にしましょう」
「いや、待ちなさい、源さん。志乃の考えもあるだろうから、本人に聞いてみないと」
そう言って誠次郎は、遅れて入ってきた凪に説明し始めた。
「呼び出して色々させてすまなかったね。結論から言うよ、お前さん身請けされて私の養子にならないか?」
凪は一瞬なんの話かわからなくなり、耳を疑う。世間一般では誠次郎の年頃だと、自分くらいの年の子供がいてもおかしくはないだろう
しかし、彼は独身で、子供を諦めるような老齢でもない。これからいくらでも妻を娶り、子供を儲けることは可能だと思われる。
事実、自分を養子にしてから、誠次郎に子ができたりしたらどうするつもりなのだろう。それとも、可哀想な身の上だからと憐れまれているのか?
「養子ですか?若旦那の養子とは・・・あのう、若旦那はまだご結婚されていないのでは」
確かに、少しの想像力と思慮があれば、そういう疑問が出て当たり前だ。ただ単純に大店の養子になり、将来店を継ぐという目先の利益に飛びつくほど
凪は愚かではない。
「話は長くなるんだがね、この若旦那は継母から虐待されて育ったから女の人が苦手なんだ。嫁も貰わないし後継ぎがない。でも結城屋は潰すわけに
いかないからね、優秀な後継者が必要なんだ」
源蔵の説明に凪は納得した。
「あ、ちなみに誠次はお稚児趣味ねえから安心しな、あと、この悠太は誠次の嫁みたいなもんで、悠太以外にゃ見向きもしないから、お前がセクハラされる事は
断じてない。この2人はイチャついててもスルーしてくれ。周りにゃ迷惑かけないから」
平次の言葉はかなりの説得力があった。いつも誠次郎は悠太を連れていて、自分に金平糖を誠次郎がくれた時も、かすかに悠太はヤキモチを焼いていた。
男同士であるにも関わらず、その光景はまるで新婚の夫婦のようで会った事の訳が理解できた。
「返事は2,3日後でもいいよ」
誠次郎がそう言うやいなや、凪は身を乗り出してきた
「いいえ、よろしくお願いいたします、ご期待に添えるよう精一杯頑張ります」
そのノリの良さに、源蔵も大喜びした。
「いいのかい?そんなにすぐ決めて。そりゃあ陰間は死ぬほど嫌だから、結城屋の跡取りは美味しい話だけど、義理の父は商人の間では腹黒の異名を持つ
誠次郎だぞ?」
平次は念を押すように諭す。覚悟させるためだ。
「私の勘ですが・・・若旦那様はいい方です。金平糖を頂いたからではなく、頭を撫でてくださった時に、父上を思い出して涙が出たのですが
こう・・・手のひらから伝わる愛情を感じられたんです。以前から、大旦那さまとお話されている所をお見かけしましたが、とても仲良さそうで
心に留めておりました」
凪の言葉を聞いて誠次郎は人の縁はやはり不思議なものだと思った、平次は安心したように笑う。
「良かったな〜両思いでさ」
こうして誠次郎はいきなり父親になることになった。