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流水御殿からの帰り道、喜八が元気そうだったので、誠次郎は安心して足取りが軽い。
「流水さん、人見知りと聞いていたんですが、そうでもなさそうですね」
少なくとも、お町に会いに城に行きたそうだった。
「喜八ともうまくやっているようだねえ。と言うか、喜八が嬉しそうに世話を焼いているだけのようでもあるけど」
流水が、黙って喜八に世話を焼かせている事実だけでも、凄い事ではないかと悠太は思った。
何処か、流水は昔の誠次郎に似ている。喜八が流水の凍りついた心を溶かすことが出来るように祈りたい気がした。
「お町さんは、流水さん宛の文になんと書いたのでしょうね」
さあ・・・誠次郎には想像もつかない。しかし、お町は人の心を癒す不思議な力を持っている。恐らく、流水の心をを解放させるための
言葉だろうと、ぼんやりと誠次郎は思う。
「ああ見えて、平次もお紺も心配してるんだよ。お店に奉公に出てるようなもんだからねえ」
親とはいつも子供の心配をしているものなのだろう、などと考えていると、後ろから声をかけられ、振り向くと平次がいた。
「誠次、何ぼんやり歩いてるんだい?」
集金の外回りの途中のようだ。見習いの少年を1人連れている。
7歳くらいの利発そうな子で、可愛いというよりも静かな冴えた佇まいをしていた。
「新しい子連れてるねぇ、新入りかい?」
「ああ、見習いで凪というんだ。浪人だった親父さんを亡くして、訳あってうちに来たんだ」
やはり・・・誠次郎は頷いた。武士の出である悠太に似ていたので、もしやと思っていたのだ。
「ああ、そうだ。流水御殿に行ってきたんだが、喜八は元気だったよ」
誠次郎の言葉に平次は怪訝な顔をする。
「本当かい?流水は人嫌いだとか聞くけど、陰でいじめられてやしないかね?うちの夕華はあれから流水に惚れて、大変だよ。
人騒がせなやつだ」
流水は夕華の絵を描きに雪花楼に来ただけで客としてきたわけではない、なのに夕華は流水に客として来てくれる事を望んで待ち続けているのだ。
夕華の錦絵が出回り、一躍有名人となったはいいが、流水に心奪われ、上の空では平次は楼主としてどうしていいかわからない。
「ああ〜あの人嫌いが喜八だけは傍に置いてるんだから、相性いいんじゃないかぃ?」
肩を並べて平次と歩き出した誠次郎は、そう言って笑う。
「しかし、あいつは冷たい氷の人形だとか言われてるぞ?」
確かに、愛想は微塵もないが・・・悠太は複雑な顔で頷く。
「いや、むしろただの絵師馬鹿だろう。絵を描き出すと寝食忘れて没頭して、訪ねてきた師匠に餓死寸前で発見され、身の回りの
世話をしてくれる内弟子を早く取れと言われてたらしい。おはぎが主食のお子様だよ」
それは・・・平次は溜息をつく、別の意味で、喜八が苦労していそうだからだ。
「大丈夫だよ、喜八はとても嬉しそうに流水の世話を焼いていたんだから。ありゃあ、かなりのファンだね」
確かに、喜八はお町の本の挿絵に一目ぼれし、それ以来、それを描いた絵師に弟子入りする事しか頭に無かった。
「でも、お町さんの本の挿絵を見てファンになったって言うことは、喜八さんはお町さんの本読んだんですか?」
素朴な疑問を悠太は投げかける。
「さあ、お町が家に新刊を置いて行ってたのは事実だが、いつあいつが、それを読んだかは謎だ。もしかして、字は読まずに挿絵だけ見た
可能性もある。しかし、どっちにしろ18歳以上閲覧禁止の本なんだよな?」
誠次郎と悠太は頷く。流水の挿絵は巷の春画よりは、かなり健全だが、それでもお子様が見てもOKがどうかは怪しい。
喜八は一体・・・そんな沈黙が流れた。
「もしかして、あいつそうなのか?なあ?誠次・・・もしかして本気で流水に惚れてんじゃないだろうな?」
そこのところは何とも言えない誠次郎と悠太である。先ほど見た喜八のあの甲斐甲斐しさは、どう理解していいものやら・・・
「もし、そうなら・・・反対するかい?」
途端に平次は深刻になる。陰間を扱っているが故によくわかるのだ。男女のカップルと違い、家庭を持って子供を産み育てるという事のない
男同士は添い遂げられない事を。
恭介のところはめったにない例外だという事も知っている。
「大旦那様、流水さんは昔の若旦那と同じなんです。だから、喜八さんは報われないかもしれません。でも、もし想いが叶えば、添い遂げると
思います」
悠太の言葉に少し救われて、平次は頷く。
「つまり、流水は喜八に手出ししないという事だな」
「ああ、喜八が流水を手篭めにしない限りはな。でもそんな事できねえよ、あいつぁ・・・」
誠次郎の言葉を聞いて、平次は、少し息子が不憫に思えた。流水のモデルを務めた夕華は流水に一目ぼれしてしまい、恋の病にかかって重症だ。
会いたい、来てくださいと何度懸想文を送ろうが、なしのつぶてで涙にくれている。喜八もそんな思いをするのかと考えると平次は胸が痛む。
「平次、私は喜八が私にとっての悠太のような存在になれる事を祈るよ。流水の為にも、喜八の為にもねえ」
そう言う誠次郎に笑顔で頷き、平次は雪花楼へと帰って行った。
「あいつも親なんだねえ、いっちょまえに子供の心配してるよ」
平次の背中を見つめつつ、誠次郎は愛しげに微笑む。親の愛にも、子供にも縁遠い誠次郎のその笑みは悠太には哀しく感じられた。
「若旦那、行きましょう」
そっと腕を絡めて悠太は誠次郎を見上げる。自分だけは誠次郎の傍に居続けると誓いながら。
「そうだねえ、遅くなると源さんがまた怒るからね」
おどけてそう言いながら、誠次郎は悠太を振り返り、ははは・・・と笑う。悠太がいてくれてよかったと思いながら。
「ねえ、あの新入りの子、凪とかいう・・・出会った頃の悠太に似てたよ。でも、あの子もなんだか雪花楼には不釣り合いだねぇ」
「タイプですか?」
悠太が冗談のように聞いてみると、誠次郎はくすりと笑い、腕を組む。
「いや、なんだか他人のような気がしなくてね〜」
それはそうだ、誠次郎は自分に似ているというが、あの凪という少年は、悠太的には誠次郎に似ているのだから。きっと、成長したら自分より
誠次郎に似ると思う。いや、もしかしたら、自分と誠次郎の二人共に似ているのかも知れないが。
何故、今まで雪花楼にどんな新入りが入っても、気にもしなかった誠次郎が、凪にだけ関心を持つのか、その時の悠太には分からなかった。
後で思えばこれは、運命なのだと、思い当たるのだが。
そんな話をしながら、二人は結城屋に着いた。
「若旦那、お帰りが遅いんで恭介さん、品物置いて帰っちゃいましたよ」
誠次郎は今日、恭介が来る事になっていた事をすっかり忘れていて、店先で源蔵に言われてようやく思い出した。
「ああ、もう年かねえ・・・物忘れがひどくていけない」
というより、元々、恭介の事はあまり気にも止めていないと言うことを悠太も源蔵も知っている。
「まあ、流水御殿にお町様の言伝を届けに行ったと伝えると、納得して帰りましたけどね」
と源蔵は誠次郎に恭介の持ってきたかんざしの包みを渡した。
「ねえ、源さん、恭介と流水ってどんな仲なんだろうねえ。お町の知り合い繋がりなんだろうけど、私はあの絵師にゃ会った事なかったのに
なんであいつは・・・」
包みを受け取りながら、台帳をつけている源蔵の隣りに座ると、誠次郎は丁稚の持ってきた茶を飲む。
「武士繋がりの何か・・・らしいですよ。恭介さんの元同僚が絵師さんのご実家の三上家の使用人に再就職してて、お家復興とか息巻いてた時に
そちらにも出入りして・・・そんな感じですって」
源蔵の情報網に、誠次郎は舌を巻いた。
「源さんなにげに物知りだねえ」
「商人は聞いてないフリして、ちゃんと聞き耳立ててるもんなんですよ」
こわいなあ・・・悠太は苦笑しながら店の奥に入って行った。