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「誠次、いろいろあったんだってな〜お前んとこ」
久しぶりに雪花楼に納品に行くと平次が開口一番にそう言った。
「笑い事じゃないよ、悠太を盗られかけたんだから、それにあいつ、私の事ボロクソに貶すんだよ?」
ああ・・・なんとなく何と言われたか、わかる気がする平次は、口元を緩ませて誠次郎を見つめた。
「平次、なにニヤついてんだい?」
「いや、大体何を言われたか、わかるなあと・・・」
わからなくていい!誠次郎は拗ねる。
「まあ、解決したので、その話は・・」
悠太に優しく威嚇されて、平次は話題を変えた。
「大奥の方は順調かい?」
バレることもなく、お藤の方は順調に臨月を迎えていた。たまに御用聞きに誠次郎は行くが、あまり姿を見せなくなったお藤様の安産を
皆で祈願している。上様は他の誰もお召にならないので、お世継ぎ争いも、女たちの嫉妬もない。綺麗さっぱりなものだ。
「順調だよ。上様も桐島様も過保護すぎて、お部屋からは一歩もお出しにならず、何人もお近づけにならないそうだけどねえ」
それでいい、無事に子供が生まれれば全て解決する。後は生まれてくる子が男の子なら、なおいいのだが・・・
「実はな、うちも3人目が生まれるんだ」
平次の言葉に、誠次郎と悠太は言葉をなくした。上の子2人とはだいぶ年が離れているので、少し違和感があったのだ。
「お前さんは、いつそんなもの作る時間があったんだい?いつも夜は廓にいるのに・・・」
誠次郎のつっこみに平次はお茶を濁す。
「それは大人の事情で・・・嫁のいないお前にゃわからないだろうがなあ」
「嫁はいるよ?ここに」
悠太を指して誠次郎は拗ねる。
「まあ、それでさ、お町のご懐妊と重なっちまって、産前産後の世話はしてやれなさそうなんだ」
「え、お町さんも・・・」
ベビーラッシュではないか、悠太は何か不思議な気持ちになる。
「お町は城に世話する女中がいっぱいいるだろう、心配するな」
と、お茶を飲む誠次郎に、平次はため息で返す。
「いやいや、お紺は今、お町のとこにいるんだ。お町はつわりがひどくてな〜お紺が付き添ってる。子供の頃、お紺のところで
食べてた飯の味付けでないと食えないから、お紺がレシピ伝授したり、話し相手になったり・・・下手するとお城で産んじまうかもな」
なんだそれは・・・誠次郎も悠太も言葉がない。
確かに初産のお町には不安がつきものだ、マタニティーブルーにもなるだろう、唯一の家族が傍に居てくれると心強い。
が、妊婦を助っ人に呼ぶとはどこかが間違っている。
「若殿は、お町に甘いな・・・お紺も災難だねぇ」
「いや、申し出たのはお紺なんだ、お城の方もむちゃむちゃ喜んでな、遠慮して頼めなかったんだと。お紺って、お町バカだよな」
平次の言葉に再び、誠次郎と悠太は言葉を無くす。森羅万象全ておかしい気がした。しかし、男の子が生まれれば。大事なお世継ぎだ
しかも長いあいだ諦めていた後継者が、ようやく生まれるかもしれないのだ。御家老も殿様も平常心ではいられないのだろう。
お町も実の母親は無く、城の中で出産とは心細いことだろうし、お紺もそんなお町が心配でたまらないのだ。
「まあ、お産てのは大変なんだね・・・」
と自己完結した誠次郎に、平次は呆れたようにため息をつく。
「直面したこともないお前に何がわかるんだ、もう、地獄を見るぞ。父親はああいう時、無力だけどな」
自分の知らないところで、お産の修羅場を見てきたらしい平次が、急に立派に思えてきた誠次郎である。
「で、上のお子さんたちはお紺さんの留守を守っているという事ですか」
最近とんと姿を見なくなった平次の長男の喜八と、お卯乃の事が悠太は、ふと気になる。
「いや、喜八は15になったから雪花楼継がせるつもりでまず、経理の仕事を教えてたんだが、いきなり早川流水に弟子入りしちまって
家にはいねえよ」
早川流水は、江戸一番の美人画の絵師である早川風霞の愛弟子で、見習い時代から既にお町の本の挿絵を描いて、菊娘達からは
神扱いされていた。役者絵や、花魁と美人がいるところには、必ず流水有りと言われていて、流水のモデルになる事は、美人の称号を持つ
事と同様であった。決して、依頼を受けて描く事はせず、自らの美的感覚だけを頼りに美しい人を描き続けていた。
師も認める百年に一度出るか、出ないかの天才絵師である。
「あー喜八は寺子屋にいる頃から、よく似顔絵とか書いてたよな〜まあまあ上手かったな。でも、いきなり流水かい」
そういえば、流水が近頃、雪花楼に現れて、今一番人気の夕華という陰間をモデルに、絵を描き出したという噂があった事を
誠次郎は思い出した。
「もしかして雪花楼に流水が来て、その絵に惚れて喜八は・・・てことかい」
「絵に惚れたのか、師に惚れたのかわからないけど、夕華を描いてる流水のところに、自分の絵を持って行って弟子にしてくれとか言ってさ・・・
”まだ風霞に弟子入りして5年も経たないのに弟子は取れない”と言われても引き下がらないでそのまま、弟子候補として流水の家で
使用人として働いている、一体どうなってるんだか、さっぱりわからないな。お卯乃は家で家事をしてるけど、菊モノ作家でデビューするとか
言いながら、なにやら書いてるよ」
皆、生きる道を見つけて邁進しているらしい。
「喜八さんにそんな才能があったなんて知りませんでした」
帰る道すがら、悠太がふと思い出したように呟く。
「昔から絵ばかり描いてたよ、でもてっきり雪花楼を継ぐとばかり思ってたのにね〜そんなにいい絵師なのかい?流水って・・・」
お町とは親しくしていたようだが、あまり一緒にいるところは見なかったので、誠次郎には早川流水は謎の人である。ただ、菊モノの
挿絵にしても、表紙にしても、上品だったことを覚えている。春画っぽくないのが娘たちの好みにマッチしていた。
「よお、誠次〜店に帰るのか?団子食っていけ奢るよ?」
茶屋の前で恭介に呼び止められて二人は暖簾をくぐると、恭介は待ったか?と笑いながら奥の座敷に上り、既に座っている
長髪を後ろで束ねた羽織姿の男の向かいに腰掛けて、誠次郎に手招きをした。
「竜之進、こいつが腹黒の結城屋誠次郎と手代だ。ちょうどそこの道歩いてたんで呼んだ」
歳は24、5くらいの涼しげな目をした鼻筋の通った美男子が、恭介の言葉に顔を上げて会釈した。
「こっちは売れっ子絵師の早川流水、お前に会いたがってたからさ、まあ座れよ」
えっ?誠次郎と悠太は顔を見合わせた。先程噂していた謎の絵師が目の前にいるのだ。しかも誠次郎に用があるらしい。
恭介は注文しに席を立った。
「美人画家とお聞きしましたが、先生ご自身、美人でいらっしゃいますね」
お世辞ではなく、心のそこから出てきた言葉だったが、誠次郎のこの言葉に流水は表情を険しくした。
「絵師には必要のないものだ、私には余計なものでしかない・・・」
気に触ったのか・・・悠太は心配そうに見守る。その美貌の故に嫌な思いをしてきたのかも知れない。
「おはぎとくず餅でいいよな?皆」
恭介が注文を終えて帰ってきた。
「私ゃ、甘けりゃなんでもいいよ、悠太も。でも恭介は辛党だろう?珍しいねえ、こんなところにいるなんて」
「ああ、竜之進がな・・・超甘党でさ、俺は付き合ってるだけ、で、お町は元気か?それが聞きたかったんだろ?」
と恭介は流水を見る、どうやら恭介と流水はかなり親しいらしい。
「お町ねえ、ご解任で今、つわりの真っ最中だ。でも、お紺が付き添っているから心配ないだろう、お城にゃあ腕のいいお匙もいるだろうし」
誠次郎の言葉に流水は安心したように微笑んだ。
「それならよかった。近頃、挿絵の仕事の依頼が来ないものだから、少し案じていたのだ」
「こんなに有名になられても、お町さんの挿絵の仕事は続けていられるのですね、とても好評らしいから、お町さんも手放せないでしょうし」
悠太の言葉に流水は頷く。
「お町は私でないとダメなんだ。私もお町がいてこそ描いていられる・・・」
少し気難しそうなこの美しい絵師は、お町と深い絆で結ばれているようだ。
「こいつの絵の才能を見出して、絵師にしたのはお町なんだ。菊モノはこいつのライフワークみたいなものなんだよ」
恭介の言葉に誠次郎が頷いた時、おはぎとくず餅を店員が運んできた。皿に盛られたものと、包装されたものが・・・
「すまない、先に行くぞ。使用人が待ってるからな」
と流水は包みを手に立ち上がって去っていった。
「あ〜愛想ねえな、相変わらず。知ってるか?使用人てのは平次のとこの息子だぜ。今弟子入りしてあいつんとこで下働きだ」
それは、先程、平次から聞いてきたばかりだったが、誠次郎は恭介と流水の関係が気になった。
「恭介、あの絵師とどういう関係だい?お前さん・・・こっそり二股とかかけてんじゃないだろうね?」
なんとなく、恭介が好きそうなタイプだった事を誠次郎は見逃さなかった。
「ちげーよ、あいつとは何もない。つーか、堕とせなかったというべきか・・・あいつは貧乏旗本の三男坊で、冷や飯食いだったんだ
で、時々お偉方に呼ばれて夜の接待をさせられてた。兄貴の出世のための枕営業だ、相手は兄の上司のおっさんだったり、身分の高い
後家さんだったり、まあ、あんまり楽しいもんじゃ無かったらしい。こういう時は美人に生まれたことが徒になる、そんなんであいつは誰も愛さないし
誰からも愛されないと思っている。唯一、お町だけがあいつの心の友だったんだ。お町はあいつの顔なんか見てねえ、心で繋がったただ一人の
友人だった。顔で稼ぐんじゃなくて、絵で稼げるようになってあいつは三上の家を出て自立した。まあ、だから喜八が身の周りの世話焼いてるんだ」
「つまり、お前さん振られたんだね」
誠次郎の一撃に恭介は大きなダメージを受けた。
「駄目なんだよ、俺なんかじゃ。本当にあいつだけを命懸けで想う奴でなきゃ・・・現れるのかねえ・・・現れたらいいけど」
恭介は遠い目をした。