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その日は珍しく、お紺が結城屋を訪ねた。

「聞きましたよ、永井のお殿様の事・・・」

客間に入るなりそう切り出したお紺に、悠太は笑って湯飲みを差し出す。

「お町から聞いたのかい?それとも、平次から?」

相変わらず、へらへら笑うこの結城屋の主人に、お紺はいらつきながら詰め寄る。

「若旦那はどうお考えですか?」

「まあ・・・バカでも不細工でもないし、真面目な殿様だから、いいんじゃないかぃ?問題はお町だろう?

お町はなんと言ってるんだい」

確かに、お紺は永井虎汰朗とお町の事は、出逢いから今までの一部始終を把握している。

しかし、不安は拭えず、こうして結城屋に押しかけているのだ。

「若旦那、永井のお殿様に呼ばれたって聞いたんですけど、何を聞かれたんですか?」

ああ・・・頷いて、誠次郎は永井虎汰朗と交わした会話を、お紺に伝えた。

「あと、次の日ご家老がやってきて、宜しく頼むとまで言われたよ」

お紺は頷いて考え込む。

昨日、お町は永井の城に招かれ、妹の綾姫とも話してきたと言う。

 話も弾み、和気藹々と楽しい時間を過ごしてきた事も聞いた。

「あまり、とんとん拍子で、不安なんです」

確かに、お町に比べて、お紺は精神年齢が高い。現実的に物事を考える慎重派ではあるが。

「考えすぎじゃないかい?」

そうかもしれない・・・お紺は誠次郎の言葉に頷く。

「女将さんは、お町さんのお母さん代わりなんですね・・・」

悠太がそう言って微笑む。母とは子供の事を異常にに心配するものなのだ・・・

それも仕方ないのだろう。お紺とお町は昔からセットだった。双子みたいなものだったのだ。

「しかし、普通の感覚をしたお紺ちゃんが、どうしてあのぶっ飛んだお町と気が合うのか不思議だったんだけど・・・」

それは・・・と、お紺は昔話を始めた。

 

両親を、はやり病で一度に亡くし、お紺の家に引き取られてきた当時、お町は笑顔をなくしていた。

もともと、物静かで、いつも本ばかり読んでいる子供ではあったが、当時は何か物思いにふけっていた。

肉親の死を目の当たりにして、自分の死を見つめているお町に、お紺は物語の空想の世界へ彼女を導いた。

お姫様ごっこや、男装の女剣士・・・楽しいと思える全てをお町に植え付け、物語を書くことを勧めた。

雪花楼の顔見世に、お町の書いた脚本で芝居をする事を平次に勧め、お町を流行作家にし、同時に

雪花楼の陰間をスターに仕立て上げたのもお紺だった。

その後、お町は新しいジャンルを開拓し、菊モノの第一人者となった。

その時、お紺は”お江戸の女流作家”としての、お町のキャラクターを作成する。

奇抜なファッションで、人懐っこい天下無敵の明るい性格のはっちゃけ娘を・・・

 

「つまり、あのヘンな衣装は、お紺ちゃんのアイデアって事かい?」

「そうです。お町は本当になりきったわ。もう今じゃ板について、昔の引っ込み思案はどこへやら・・・」

そこまでしてきたのなら、お紺が究極的に心配するのも判る気がした。

「でもね。若旦那、私・・・お町ちゃんが心配とか言いながら、本当はお町ちゃんを取られるような気がして

寂しいのかも知れません」

そういう事もあるだろう・・・誠次郎は頷く。

「でも、大丈夫だよ。お前さんはお町の姉代わり、母代わりなんだから、逢いたい時は、いつでも面会可能だと思うよ?

 何も変わらないさ。私達はお町を失いはしないんだよ。むしろ永井の殿様をファミリーに迎えるぐらいに思っときな」

そうか・・・お紺はようやく笑顔になった。

「実際、結城屋は永井藩ご用達になりましたよ。これからは妹姫様や、お城のお女中の簪は皆、結城屋でご購入くださるそうで

定期的に若旦那も御用聞きに伺っているんですから」

悠太の言葉にお紺は微笑む。

「お町が嫁いだ暁には、御用聞きに私も同行させていただけますか?」

「ああ、恭介や平次も誘って行こうねえ〜」

(野次馬同伴ってどうなんですか?)

大笑いしながら、とんでもない事を言う誠次郎に悠太は心の中で突っ込む。

「とにかく、若殿が健気なもんだから、私は上手くいけばいいと本気で思うよ」

誠次郎の、少しずれたコメントを背に、お紺は結城屋を後にした。

 

虎汰朗は夕方、お町の家を訪れた。夕食に招待されたのだ。

「こたちゃん・・・いらっしゃい。大体出来たから、食べましょうか」

居間に置いた膳に焼き魚や煮物、味噌汁などが並んでいた。

そして、飯をよそっているお町は・・・なんと髷を結い、普通の着物姿だった。

「お町殿・・・」

「驚いた?素の私は地味なのよ」

「いや、地味なのではなく、それが普通なのではないだろうか・・・」

と虎汰朗は膳の前に座る。

「お殿様をもてなすのに、こんな 質素なものですみません。でも、一度だけでも私の手料理を食べて欲しかったの」

「男は、おなごの手料理には弱いと聞くからのう・・・」

茶椀を差し出し、お町は笑う。

「そんな事どこで習ったのよ〜というかね・・・こたちゃんはお殿様だから、もし私達、結婚してもこんな風には

暮らせないでしょ?だから」

確かに・・・虎汰朗は産みの母の手料理など、一度も食べた事はなかった。

城には料理師がいて、毎日、顔も知らない誰かが作った料理を当たり前のように食べてきた。

「お町殿は、このような普通の暮らしがしたかったのではないか?私が貴女を城に閉じ込めるのは間違いなのかも知れぬ」

虎汰朗は突然、箸をおいた。

「お町殿は華やかで社交的で、とても輝いて見えた。それがお町殿だと思うておったが・・・本当のお町殿は穏やかで、つつましく

素朴なのだと今気づいた。そんなお町殿を、私は城に連れ出していいものか・・・」

こたちゃん・・・お町は虎汰朗の横に座ると膝に置かれた虎汰朗の手に自分の手を重ねた。

「私ね、引きこもりだったの。全然社交的なんかじゃない、一人で本読んで暮らすような子だった。

だから、綾ちゃんに会った時も、本当の妹みたいな気がした。そんな私を明るいところに連れ出してくれたのは幼馴染の

お紺ちゃんだったの。お町ルックは一種のコスプレ、明るく元気な女流作家を演じるための・・・あの服装の時は

私、怖いものが無いのよ。不思議でしょう?自己暗示なのね。で、だんだん怖くなったの、こたちゃんが

本当の地味で暗い私を見たら、どう思うかなって。だから、思い切って・・・晒して見る事にしたの・・・」

虎汰朗の手がお町の手を握った。

「妹は・・・綾は、地味で暗いとお思いか?」

「いいえ、誰といるよりも安らげたわ。正直、こたちゃんといるよりも・・・」

虎汰朗は笑って頷く。

「それでなくてはならかった。私は、綾を私よりも大事に思うてくれるおなごを妻に娶る事に決めたのだから」

そして、今までどの女もその条件に叶わず、虎汰朗は嫁を貰う事をしなかったのだ。

「父亡き今、私が綾の保護者だ。私に妻が出来たからと、もし綾が寂しい思いをするのなら、妻を娶る意味がないではないか・・・

お町殿には感謝している。華やかでも、地味でも、お町殿はお町殿だ。私はうわべだけを観て、お町殿を好きになったのではない

しかし、むしろ今のお町殿は、とても自然でくつろいで見える。惚れ直したくらいだ」

お町は虎汰朗の肩にもたれて涙を零した。ずっと、真実の自分を受け入れてくれる誰かを探していたのだ。

(やっと・・・見つけた・・・)

 

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