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 大奥への納品を終えて帰る途中で、誠次郎と悠太は偶然に平次にばったり出会った。

 「こんなところで会うなんて、珍しいな」

「ああ、昼間あんまりうろつかないけど、野外活動は昼間にしか出来ないからな」

夜は郭にいて、店を見ていなければならない平次は、昼間に雑用をこなす。

「思えば、お前って24時間働いてるんだねえ・・・可哀想な」

何を今さら・・・平次は苦笑しながら、誠次郎と肩を並べて歩き出した。

「家ほったらかしかい?嫁に逃げられるよ?」

「ちょくちょく帰ってるし、特別水揚げや大物のお客の予約の無い時は、店を諭吉に任せて家にいる事もある。

まじ、俺一人じゃ手がまわらんしな」

諭吉は平次の腹違いの弟で、雪花楼の先代の後妻の産んだ子だ。

 真面目で、働き者だが世渡りが下手なタイプで、海千山千の郭の主人には向かない。

本人も自覚していて、平次の補佐役を指示通りこなすだけにとどまっている。

背は高くなく、ひょろっとしていて、どこが公家のような品があるが、華やかさは無く、影が薄い。

寺小屋でも優等生でありながら、存在を忘れられがちという特技の持ち主で、それが幸いして彼は、平次のような

いじめを受ける事は無かった。

「あんなスレてない奴に郭を手伝わせるのは心苦しいんだがな。よそに奉公に出すのも、こき使われそうで不安だから」

誠次郎も、かなり久しぶりに平次に弟がいた事を思い出した。

それほど存在感が無かった。が、妾の子が人目を避けるように暮らすのとは訳が違う。

れっきとした後妻の子で、更に平次は5歳の時、実母と死別し、7歳の時から後妻に育てられた。

諭吉が生まれた後も、後妻は偏愛することなく平次を育てた。

誠次郎のような、複雑な愛憎入り混じった家族関係ではないのだ。

「いい奴なんだけど、どうしてああ影が薄いのかねえ・・・」

すっかり諭吉を忘れていた自分に苦笑しつつ、誠次郎はそう呟く。

「俺とお前の、あまりのアクの強さに翳んだんだろうな」

おい・・・呆れつつも、誠次郎は通りがかった飯屋に平次を誘う。

「昼飯奢るよ」

ちょうど昼食時だった。

 

「椿もあれから、吹っ切れたというか・・・まあ、頑張ってるよ。今回は色々お前と悠太に横槍入れるような事になってすまなかった。

俺がどうかしてたんだ。浅葱や宗吾にも色々言われちまった」

そういいながら、平次は白飯を味噌汁の椀に入れてかきこんだ。

「もしかして・・・急いでたのかい?」

「いや、癖だ。すまない。せわしいだろ?」

寺子屋時代は、そうでは無かったが、雪花楼を継いでから平次は、ゆっくり食事が出来ない体質になってしまった。

悠太は、雪花楼にいた頃、平次が何故かいつも、食事中に厄介事が起きては呼び出されていた事を思い出した。

いつもそうだと言うわけではないが、ありえない確立でそれは起こった。

「大旦那さんも、大変なんですね・・・」

結城屋でも、丁稚達は追い立てられるように食事をして、早々に仕事に就くが、雪花楼の主人がそれでは、あんまりではないか。

「もう少し、楽に暮らせないのかねえ・・・お前さんも苦労性と言うか・・・」

子供の頃、砂を噛むような食事をしてきた誠次郎さえ、平次のこれには同情する。

「それはそうと、もう悠太を不安にさせるような事はするんじゃないよ。何気なく危機だったんだからねえ・・・」

「いい刺激だろう?ぬるま湯はいかんからな」

何言ってるんだ・・・誠次郎は呆れる。こんなふてぶてしさが平次の魅力なのだろうか・・・

悠太は急須から湯飲みにお茶を注ぐと、早々に食事を終えた平次に差し出す。

せめて、食後のお茶くらいはゆっくり飲んでもらいたかった。

「なあ、お前にとって、俺は何なんだ?俺にとってお前は何なんだ?」

いきなり深刻な表情で、悠太の入れた茶をすすりつつ、平次はそんな事を訊いてきた。

「たった一人しかいないダチだよ。それ以下でもそれ以上でもない」

ふっー 開放されたような笑みを漏らし、平次は俯いた。かすかに滲んだ涙を隠すために。

「お前は私が、いやいやお前とダチやってると思ってるんじゃないだろうねぇ?当時の私は一人が慣れっこで、誰かとつるむのが

下手で、どうしていいか判らなかっただけなんだよ。確かに、お前がよくしてくれるほどには、私はお前に

よくしてやれなかったかもしれないけど、一番大変だった時に、支えてくれた事は感謝しているよ」

ああ・・・平次は立ち上がる。

「お前にそんな事、改まって言われると、こそばくてしょうがねえ」

俯いたまま去ってゆく平次の後姿が、悠太には幸せそうに見えた。

言わなくても判るだろうーそういうダチの間柄でも、時々本音を明かしてみる事も必要なのだ。

長い年月の中、言わずに埋もれ、見えなくなった色々な感情達、言いそびれた感謝の言葉達に癒される事もある。

 

「大旦那さんも、なんだか吹っ切れた感じしましたねえ」

夜、寝室で売り上げの計算をしている誠次郎の後ろで、悠太は布団を敷いている。

「私が不義理してたから、いけなかったのかもしれないねえ・・・依存したり、されたり、何気にそんな仲だよ。

でも、心配しなくてもいいから、私と悠太は一番近い仲だから」

そう、平次に嫉妬してみても仕方ない事は、悠太も知っている。

「はい」

微笑んで、悠太は誠次郎を後ろから抱きしめた。

「誰よりも、一番近いから」

算盤をしまうと誠次郎は悠太に向き直る。

 「と言っても私も時々、私よりも悠太よりも、悠太の生い立ちに詳しい恭介に嫉妬するけれど・・・」

「でも、一番近い事だけは事実ですよね」

そっと、誠次郎の首に腕を回し、悠太はくちづける。

「そう。だって、平次とも、恭介とも、こんな事はしないんだからねえ」

平次や恭介の知らない誠次郎を、悠太は知っているーそれだけで少し優越感に浸れた。

「私達は他人じゃないって事・・・」

誠次郎は悠太を抱き上げ、布団の上に降ろす。

「自信持っていいんだよ?私もお前も」

 「それでも自信無いのは、欲張りだからなんでしょうか・・・」

静かに身を横たえつつ、悠太は苦笑する。

「欲張っていいよ・・・というか、飽きられたら終わりだからね」

 飽きられないか・・・そんな心配なら悠太もしている。そんなお互い様の二人なのだろう。

「こうして、毎日傍で眠る事が当たり前になっていたところに、色んな事が起こった。初心に戻れたと感謝しないといけないのかねえ」

当たり前が、どれだけ幸せな事か思い知らされた。

「でも、失う事を恐れていたばかりの誠次さんが、当たり前の幸せにどっぷり浸かっていたなんて、快挙ですよね」

ああ・・・笑いながら、誠次郎は悠太に腕枕をした。

「そうだねえ。私も人並みになれたという事かな」

悠太の傍でぬくぬくと幸せに埋もれて来れた事が不思議でもあり、希望でもあった。

「私の傍で、誠次さんが幸せだったのなら、嬉しいです。もっと誠次さんを癒せたらいいなあと思っています」

17の十も年下の恋人に依存する格好悪さも、もう気にならない。

「あ、悠太、あと何日かで18だねえ」

「もう、そうなりますか・・・年明けから慌しかったですね」

 16歳で元服した頃は、誠次郎に添い寝をさせられていた・・・あの頃がもう遠い昔になってしまったようだ。

「2年前は蛇の生殺し状態だったなんて、今思えば、いい思い出ですね」

「ええ?添い寝時代の話?悠太が?まさか・・・」

やはり、と悠太はため息をつく。誠次郎は自覚無しであったようだ。

「よくも隣で、すやすやと眠ってくれましたね。今でも、すやすや眠れますか?」

悠太の反撃に、誠次郎は言葉も無い。

「ああ・・・じゃあ、今夜は添い寝で我慢してみようか?」

天然?本気で言っているのか罠なのか?悠太は理解に困る。

「誠次さん!」

「ああ、我慢出来なかったら、遠慮なく襲っていいからね〜」

こういう主人に仕えると苦労するなあと思いつつも、こんな主人が好きなのだからしょうがない。

苦笑して悠太は誠次郎の背に腕を回した。

 

 

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