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その次の日の午後。
椿の内掛けが仕上がり、誠次郎の持ってきた特注の恭介ブランドの簪と笄を、2階で浅葱がコーディネイトしてやっていた。
「恭介さん、ホント腕がいいねえ・・・内掛けの色と柄を伝えただけで、まるで出来上がりを見たようにぴったりだ・・・」
誠次郎は今まで、何度も、雪花楼の陰間の水揚げの支度を見てきた。
その度に、悠太の時のあの言い知れない脱力感を甦らせる。
悠太が自分の手の届かないところに行ってしまう・・・・
いつも一緒にいて、一番近い存在になった今でも、あの時の想いは心に影を落としている。
「加納屋さんにお願いしたよ・・・」
平次が安心しろとばかりに、誠次郎にそう言う。
「あ、お茶入れてきますね・・・」
勝手を知っている悠太はそう言って1階に下りてゆく。
雪花楼では、水揚げの衣装合わせの時には緑茶ではなく、昆布茶を入れて皆で飲むことになっている。
喜ぶの”こぶ”をもじった、門出の祝いの儀式なのだ。
鏡に映る自分の姿を見つめつつ、椿は浮かない表情をしていた。
「若旦那・・・本当に、ダメなんですか・・・・」
最後の悪あがきのような、断末魔のような、静かだが必死な声だった。
「悠太の時のも、私は平次に水揚げの件、断ったんだ」
え・・・椿は顔を上げて、誠次郎を見上げた。
「悠太の時も、周りが悠太の想いを汲み取って、結城屋にお願いしろと言った・・・・・でも、悠太は私にそんな事を一言も
言わなかったよ」
長い沈黙が流れた・・・・
お茶を盆に載せて2階に上がってきた悠太が、部屋に入ろうとして、誠次郎の話し声に入る事をためらった。
「悠太は、心は私一人に捧げると、誰にも渡さないと、そう誓って加納屋の水揚げを受け入れたんだ。
この事は、かなり後になって聞かされた。私はそれまで、悠太のそんな決意さえ知らずにいたんだ・・・・
それがどれだけ絶望的で、しかも強い想いだったか、お前に解るかい?一方、その時、私にはただ勇気がなくて
それだけで悠太を拒んだ・・・・私は、そんな悠太を裏切ることは出来ない。いつかお前にも、それが解る時が来る事を祈るよ」
再び長い沈黙が流れた・・・・
あまり、本音を明かさない誠次郎の、必死の椿への餞の言葉だった。
いつも適当にはぐらかす誠次郎が、こんなに真剣に誰かに本音を話すところを、平次も、浅葱も見たことがなかった。
沈黙のさなか、一呼吸置いて悠太がたった今、やってきたかのように、声をかけて部屋に入ってきた。
「すみません・・・ちょっと遅くなりました・・・昆布茶がどこにあったのか探しちゃって・・・」
「じゃ、お茶にしよう。あ、紅白饅頭あるから・・・」
平次が準備した紅白饅頭を受け取ると、悠太は膳を並べて、お茶と饅頭をセッティングした。
浅葱は椿の装束を解いて、膳の前に座るように促す。
「椿、これからも精進するんだよ」
平次がそう締めくくると、茶話会が始まった。
「浅葱さん・・・」
夕刻、浅葱の支度を手伝っている椿がふと呟いた。
うん?
「私には、悠太さんのように激しく、強い愛情で、誰かを愛することは無理です・・・・」
「お前は、悠太にならなくてもいいんだよ。真似しなくていい。でもね、結城屋の若旦那が言うように
いつかお前もそんな風に愛せる人が出来る事を、私も祈るよ。その為には、お客さんには真摯な態度で
ちゃんと向き合う事。いいね」
はい。そう言って笑う椿の笑顔は、少し大人びて見えた。
そして、浅葱は誠次郎の変化を不思議な気持ちで思いおこしていた。
(若旦那が悠太を変えたんじゃない。悠太が若旦那を変えたのだ・・・・)
「椿、今日も頑張るんだよ・・・」
そう言うと浅葱は立ち上がった。
同じような日々の繰り返しでも、人は徐々に変わっていける。
誠次郎の未来が今よりも、もっと明るい事を、浅葱は願っていた。
はくしょん・・・・
店仕舞いしていた誠次郎はくしゃみをした。
「若旦那・・・大丈夫ですか?風邪ひかないでくださいよ・・・」
帰り支度の源蔵にそう言われ、苦笑すると誠次郎はため息をつく。
「雪花楼で私の噂でもしてるんだろう?」
「何でですか?」
「私は陰間に結構モテるんだよ?」
ああ・・・そうですか・・・・源蔵はその言葉をスルーして台帳をしまい鍵をかける。
「信じてないねえ・・・」
「信じてますよ・・・でも、今更浮気とかしないでくださいよ・・・・痴話喧嘩の仲裁なんてわたしゃご免ですから・・・」
それでなくても、先日の悠太と行商人との疑惑事件で、神経をすり減らしていた源蔵だった・・・
「え?浮気って・・・何のお話ですか?」
在庫チェックをしていた悠太が、二人の話に興味を示してやってきた・・・
「悠太も・・・そんなのに反応しなくていいからね・・・」
困り顔の誠次郎に、さらに詰め寄る悠太・・・
「怪しいですね・・・まさか・・・まだ椿の件、解決してないとか?」
知りながらも知らん振りで、誠次郎をいじめてみる・・・
え?椿?源蔵は具体的に陰間の名前が出てきた事に驚く。
「まさか・・・若旦那・・・本当に・・・」
「違うって・・・マジ、無理だから・・悠太以外無理だから」
え?
内緒話のはずが大声を出してしまい、店の皆に注目を浴びてしまった誠次郎は、小さくなる。
ーえ・・今の若旦那の宣言何?−
ーやはり、悠太さんとはそういう仲なのかな・・・−
ーだよね・・・人前であんなにベタベタしてるんだもの・・・寝室で何があっても不思議じゃないよねー
店内を掃除していた丁稚達が、コソコソと噂話をはじめた・・・
「若旦那!店で大声出さないでください」
悠太に睨まれて、さらに小さくなる誠次郎。
「お前ら、コソコソしてないでさっさと片付けて、晩飯食え」
源蔵の言葉に皆、再び掃除を始める。
「本当に辞めてくださいよ、店内で痴話喧嘩は・・・いくら私でも、フォローしきれませんからね」
誠次郎を一睨みして源蔵は店を出て家路につく。そんな源蔵の後姿を見つめつつ、誠次郎は言葉をなくしたまま、佇む。
隣では悠太が、少しやりすぎたかなあ・・・と反省していた。
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