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その後、2日間は誠次郎は悠太を連れて外回りに出ていた。
「大番頭さん、若旦那、なんかあったんですか?」
昼食を摂りに台所に来た源蔵の給仕をしながら、お峰が訊いた。
「ああ、悠太の事で悩んでるらしいが、私にすりゃ大した事ないと思うんだがね・・・」
「普段ポーカーフェイスの人が、ああ、あからさまに落ち込んでりゃ、気になりますよ?」
皆、対処のしようが無く、困っていた。そして、傍にいる悠太自身も、この現状をもてあましていた。
膳の前に座り、食事を始めた源蔵にお茶を差し出しつつ、お峰は源蔵を覗き込む。
「悠太と、もめてるとかじゃないんですよね?」
「もめると言うより・・・独占欲が災いしてと言うか・・・若旦那が悠太にくっつきすぎなんだよ」
「悠太に振られたら、若旦那立ち直れないでしょ?心配だわ・・・」
まさか・・・源蔵は苦笑する。
「悠太は浮気しないし、若旦那から離れる事も無いよ。それが判らない若旦那が問題なんだよ」
複雑な少年時代を送って、情緒不安定なのは判らなくも無いが、源蔵は誠次郎がだんだん心配になる。
「悠太も、よくやってますもんねえ・・・」
「ありゃ、二人の問題だから、ほっとけ」
第3者が入ると余計ややこしくなる気がした。
(なんかおかしい・・・)
雪花楼に納品した帰り道、誠次郎の背中を見つめつつ、悠太は首を傾げる。
いつもと同じように振舞ってはいるが、誠次郎は元気が無い。落ち込んでいる。
平次もそんな誠次郎をもてあましていたようだった。
「若旦那、大奥の納品はいつですか?」
気を取り直して訊いてみる。
「ああ・・・明日・・・」
会話が続かない。
2,3日前から誠次郎は、布団に入ると一人悶々と思い悩み、悩んだ挙句に眠りに就くという事を繰り返している。
何をそんなに悩んでいるのかさっぱり判らない。
「あ、今晩は寄り合いで遅くなるから、先に休んでなさい」
商人組合の寄り合い・・・またの名を飲み会・・・
あまり飲めない誠次郎には嬉しくない行事であるが、情報をいち早く入手するには、こまめにこういう席に出て行かなくてはいけない。
一旦店に帰ると、夕刻に誠次郎は出かけて言った・・・
「大番頭さん・・・」
在庫整理で帰りが遅れて、夕食を結城屋で食べている源蔵に悠太は話しかける。
「お前もこれから夕飯かい?遅くまでご苦労だね」
ええ・・・苦笑しながら、茶碗と箸、味噌汁の椀、焼き秋刀魚などをのせた盆を源蔵の前に置く。
「ご一緒していいですか・・・」
何か相談があるらしい事はすぐ判る。となると・・・・誠次郎の事だろう。
「うん、若旦那の事で聞きたいことでもあるのかい?」
「はい・・・ここ数日の間、様子が変なんですが・・・」
それは店の皆が気づいている。
「原因は何なんでしょうか・・・」
やはり・・・と源蔵は思う。悠太には自覚が無い。
もし、誠次郎に対して裏切りがあったなら、うすうす感づくはずだ。
自分のしている事になんら落ち度が無いから、原因がわからないのだろう。源蔵は頷く。
「お前の古い知り合いの事で、若旦那は色々疑っているらしいよ」
はあ・・・・まだ判らない様子だった。
「団子屋で仲良く話してるところを、目撃されたみたいでねえ・・・お前が浮気してるんじゃないかって・・・」
え?!
驚いて声も出ない悠太に、源蔵は同情する。
「私もね、おやじみたいな年の男と、それは無いだろうって言ったんだがねえ・・・」
「あの人は、父の家臣だった人で、恭介さん経由で私を訪ねて来た、宮沢一之進と言う薬の行商人です」
そんな事だろうとは思っていた・・・普通、想像がつくのではないかと源蔵は思う。
亡き主君の忘れ形見が生きているとすれば、会いたいのが人情だ。それで訪ねてきたのだろう。
「私がその事をはっきり言わなかったから、いけないんですね・・・」
今は結城屋の使用人だ、鳴沢関係の話は誠次郎にも憚られて、悠太はあえて隠していた。それが変な疑惑を呼んでしまったらしい・・・
「他の者と違って、若旦那は愛情に関して不安定だから、一々報告したほうがいいねえ・・・でないと後々お前が苦労することになるよ」
確かに・・・・・悠太は頷く。
「まあ、10代の少年に30近い大人が依存しまくりなのが問題なのだけど、若旦那は生い立ちが複雑だから・・・」
「私が間違っていました・・・」
若いのに悟りきったような悠太。そんな悠太に、子供のように依存している誠次郎・・・
「若旦那の、あんなにこだわる姿、初めて見たねえ・・・お前も、若旦那に甘えていいんだよ。甘えてくれないから、不安なのかも知れないしね」
誠次郎を支えたい、癒したい、悠太はそれだけで今まで来た。しかし、誠次郎は悠太に、頼られたかったのかもしれない。
お鶴を亡くしてからは頼るも者も無く、本音と建前が真逆の郭にいたためか、自分で自分を保護する癖がついた。
誰かに相談する癖が無い。そんな中でも、少しづつ平次や源蔵に頼れるようになってきた・・・
「悠太、誰かに最後に駄々をこねたのは、いつだい?一番近い人には駄々こねてもいいんだよ。それが信頼関係ってもんじゃないのか?」
悠太は、誠次郎の総てを受け止められる自信があった。しかし、自身は誠次郎に何かを受け止めてもらおうとした事は無かった気がする。
自分の総てを晒す事を恐れていた。弱い自分を見せられずにいた。それが誠次郎を不安にさせたのかも知れない。
心の壁・・・実は誠次郎より自分のほうが重症なのかも知れないと思う。
「愛する人には総てを晒してもいいんだよ。みっとも無い部分であればあるほど、愛しく思えるし、絆が深くなる。
恐れなくてもいいんだよ」
そうだった・・・
悠太は頷く。悠太にとって、誠次郎は唯一の家族なのだ。婚姻と言う形式は取れなくても、誠次郎は自分を嫁だと言ってくれる。
(なのに・・・私は何故今まで・・・)
あふれる涙を隠すために悠太は俯く。
「本当にお前も、しょうのない子だねえ・・・・そんな事も判らないなんて・・・」
袂で悠太の涙を拭いながら、源蔵は笑って言った。
「もう、つっぱらなくていいよ。お前は所詮、17の小童なんだから。爺さんに甘えてもいいんだぞ?この爺さんは伊達に
年食ってんじゃねえからな」
そう言って立ち上がって源蔵は去って行った。
誠次郎を待っていたかったけれど、明日も早いので、悠太は先に眠る事にして、布団に入った。
近頃は一人寝などめったに無かったので、何故かぎこちない。
しかも、ここ数日、隣で寝るだけだった事もあり、寂しさは何倍にもなる。
いつもベタベタしていたのは誠次郎の方だったから、気付かなかった・・・
ベタベタされなくなって気付いた・・・・
(なんだか、私はバカみたいだ)
少しのプライドの欠片を持ち続けたままの自分に気づく。惚れられていたかった・・・そんな愚かな自分。
(そんなんじゃ、誠次さんに愛想尽かされてしまう・・・)
変なプライドで、最愛を逃してしまう事ほど恐ろしい事は無い。
言わなければ・・・もう一度。伝えなければ・・・もう一度。
いや、何度でも、叫び続けるべきなのだ。
ー貴方が欲しいと・・・−
悠太の強みであった、侵略される事のない砦は、最愛の人を迎えた今、明け渡すべきだったのだ。
明日、総てを話そう。
そう決意して、悠太は瞳を閉じた。
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