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数日後、結城屋に桐島は現れた。
お藤の時のように客室に通し、誠次郎と悠太、桐島は対座した。
「わざわざお出向きくださり、お手数をおかけしました。実は、お藤様の事でお話がありまして・・・」
誠次郎の言葉に、桐島は頷く。予想はしていた。
「お藤様の事はどこまでご存知じゃ?」
「総て打ち明けられました」
桐島は顔を上げて誠次郎を見つめた。
「それほどまでに、お藤様はそちを信じておられるというのか・・・」
「桐島様も、ご存知でしたか?」
桐島は、将軍家の主治医である長谷川順庵がある夜、そっと打ち明けた事件を思い出した。
ー「桐島さま、お藤の事ですが・・・・」
将軍継承の事で忙殺されていた当時である。
「あの方は、実は、若君の乳兄弟の山上藤志朗でございます」
「知っておる。」
勘づいてはいた。
「奥にお入れください」
お藤を山上藤志朗だと言いつつ、奥に入れろという順庵の意図がつかめないまま、桐島は混乱した。
「何をおっしゃる・・・」
「山上藤志朗は、それなりに覚悟しております。これは、若君のために言う言葉・・・・」
それは重々承知だった。しかし・・・・
「それでは、山上藤志朗には一つせねばならぬ事があります・・・女子にはなれずとも、せめて・・・」
「男でなくなれと?」
「中国でも、後宮に使える宦官は去勢されるという事を、どこかの書物で読んだことがあります。後々、ありもしない疑いを
山上藤志朗が受けぬためにも」
「実は、昨夜その事で山上藤志朗が、私のところに参りました」
え・・・桐島は言葉をなくした。
自分より先に、彼は行動に移したのだ。
「で、どうされました・・・」
「去勢して欲しいという話を持ち出したとたん、異変を察した若君がこられて、山上藤志朗に傷の一つでもつけたら
手打ちにすると、たいそうお怒りで・・・」
「若君も、藤志朗の胸のうち、ご存知であったと?」
そして、止めたのだ。若君の立場はそうだろう・・・自身を殺し、姉として生きる事になっただけでも不憫なのに
去勢させて傍に置くなどできるはずが無い。
しかも、若君への愛情だけで、それらを甘んじて受けようとする、最愛の山上藤志朗に、そのような仕打ちは出来るはずがない。
袖で顔を覆い、桐島はさめざめと泣いた・・・・
「すみませんでした、私は鬼か畜生のような事を申しました・・・」
「いいえ、桐島様のお立場からすれば、仕方ありません。しかし、もう、これ以上、山上藤志朗を傷つけることなく
奥に送ってやっては下さりませぬか?
あやつの背にはまだ、若君を庇って受けた矢の痕が残っております・・・もう、これ以上は・・・」
「出来ましょうか・・・」
ばれずに終わる事は難しい。
「だから、桐島様がお守りくださりませ・・・」ー
「知りつつ、お藤様を奥に送ったのは私です。あの方の覚悟に免じて、私が送りました。」
「では、話は早いですね。お藤様は偽装出産をご計画中です」
はあ・・・・桐島は訳がわからず、誠次郎をただ見つめる。
「先代様の御落胤をご存知でしょうか」
桐島は頷く。先代の将軍の指示で、何度か足を運んだ。
「髪結いであろう?内密に世話をしていたが・・・」
今は、お藤が折に触れて面倒を見ている。
「御落胤にお子が生まれるのです、3人目でしたか・・・」
「まさか、その子を?」
はい、誠次郎は頷く。
「腹にさらしを巻いて十月十日過ごし、その子を貰いうけ、実母に乳母として奥に滞在していただくと・・・」
そんな壮大な、大それた話が可能かどうか、桐島は考える・・・
「生まれるのが男の子か、女の子かは判りません。しかし、お藤様と、上様をお守りするには、とりあえずお子が必要では
ありませんか?」
それはそうだが・・・・
危険な橋を渡る事には違いない。今までもかなり危険を冒してきた。
沐浴や着替えの時、当然つくはずの介添えが、お藤にはいない。禁止されている。
また、お藤に、むやみに身体に触れる事さえ禁じられていた。
桐島はこれを、、他の上臈が嫉妬に狂い、危害をくわえるのではと、上様が過保護になっておられるとの理由をつけた。
異常な溺愛振りではあるが、周りは納得している。
なぜなら、上様自身、命を狙われ、乳兄弟がその身代わりに命を落としたという過去があり、その事が心に深い傷を残した事は
皆が知る事実なのだ。
しかし・・・かえって、お藤様御懐妊となれば、ガードをさらに強固に出来る。
出来なくも無いのではないか・・・・桐島は、そうぼんやり考えた。
「桐島様がお味方についてくだされば、可能です」
誠次郎の言葉に、桐島は頷く。
「私とて、愛する者のために、命がけで覚悟されておられるお藤殿の想い、判らぬでもない。お二人には
添い遂げていただきたいとさえ思うておる」
自分の恋は実らないが、せめてお藤と上様だけは・・・いつもそう思っていた。
「結城屋・・・御落胤殿は、ご承知されたのか・・・」
「はい、もしもの時は上様をお守りするよう、ご母堂からおおせつかっておられた様子、さらにお藤様と上様の御事情も
お伝えしたところ・・・」
その後、誠次郎自身も、新吉に会って確認を取っていた。
「判りました、お藤様とも相談いたしましょう。しかし、お藤様も水臭い・・・直接お話下さってもいいものを・・・・・」
桐島は苦笑した。
「お藤様は、桐島様が事の真相をご存知でないと思われて、遠まわしに事を運ばれたのです。」
ふっ・・・桐島は苦笑する
「私を脅してか?」
「いいえ・・・・」
にっこり笑いつつ、誠次郎はふてぶてしく否定する。
「桐島様が潔白なのは私が百も承知。平次とはダチですから。それに、人の恋路を邪魔すると、馬に蹴られて死にますからねえ・・・
悠太?」
ずっと黙って控えていた悠太は、いきなり振られて言葉を失う。
「それに、私は、桐島様と浅葱太夫のこと、応援しているんですから」
腹黒さが最大級に全開している誠次郎を、苦笑しながら桐島は見つめる。
「そうか、かたじけない。私も、結城屋が最愛の手代と添い遂げられるよう、祈っておるぞ?」
ははははは・・・・・・・
最後は、世にも恐ろしい魑魅魍魎の闇が渦巻くブラックホールで幕が降りた。
「今日はお疲れ様でした」
余裕に見えても、桐島との駆け引きは、誠次郎を緊張させていた。
夜、布団を敷き終えて、悠太は誠次郎の肩をもむ。
「いやあ・・・覚悟はしていたけど、女だてらに凄い迫力だねえ・・・下手したら切腹もしそうだ。」
まさか・・・苦笑しながら、悠太はそれでも桐島の迫力は認めていた。
「でも、どこかでお藤様と桐島様は信頼しあっているんですねえ」
うん・・・誠次郎は頷く。多分二人は同志なのだ。上様をお守りするという一点で・・・・
「すまないねえ・・・最近いちゃつく暇も無くて・・・」
「え、そうなんですか?いつもと変わりませんけど?」
「夜はね。昼間ほら、あんまり二人でじゃれたりしてないじゃないか・・・・」
いえ・・・仕事中にじゃれてる方が問題なんですよ・・・・と悠太は言いたかった・・・
「さあ、明日も早いから、もう寝ようね〜」
と言いつつ、自分の肩をもんでいる悠太の手を握り、振り返る。
「ああ・・はい・・」
瞬間、悠太は押し倒されていた。
「あ・・・布団はあっちですよ・・・」
「ああ、そうか・・」
笑いながら抱えられて、悠太は布団の上におろされる。
「なんか最近、行動に無駄があっていけないねえ・・・・」
「お疲れなんですね・・・・」
そして・・・いつもと変わらない夜が始まる。
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