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2.3日後、事前に使いをよこして、お藤の方はお忍びで、結城屋にやって来た。
客間に通して、悠太に茶を運ぶように言うと、誠次郎は源蔵に話が済むまでは、誰が尋ねて来ても待たせるようにと告げる。
どこの誰かは判らないが、かなり高貴な御婦人の来店に皆、緊張していた。
「お茶でございます・・・」
悠太が客室に来たと同時に、誠次郎は口を開いた。
「この手代は、私が家族同様に思っている者でございます。同席をお許しください」
お藤は 悠太を見て頷く
「この者が悠太と申す、そちの最愛か」
「はい、私は肉親の愛情に恵まれませんでしたが、これは肉親以上に私に、よう尽くしてくれます」
ふっー静かにお藤は笑う
「それは良い伴侶を得たのう・・で、結城屋の顔の広さ、情報網を見込んで頼みがある・・・」
「私に出来る事なら、何なりと・・・」
「私は、ある謀を企てている、それを成就させるために、桐島様を味方につけねばならない。それで・・・・」
かなり言いにくい話のようだ。回りくどく、迷いが見えた。
「弱みを握って、手中に収めろと申されますか?」
にこやかに笑って誠次郎は茶をすする。
「いや、話し合って解決するなら、それに越した事はないが・・・早い話が・・・そうなる。」
言葉を濁しながら、お藤は肯定する。
「訳をお聞きしない事には、お返事がいたしかねますが・・・」
ああ・・・お藤は観念したように頭巾をとる。
「私は、男の身で奥におる・・・」
「やはり、そうでしたか・・・ここにいる悠太に、先日、確認させたところでした。」
「そうか・・・」
結城屋の悠太は、過去に、女装の強請を見抜いた実績を持っていると聞いた。いづれは、ばれると思っていた。
「もちろん他言はいたしません。事情がおありのようですから」
「かたじけない、私は山上藤志朗。上様の乳母の息子、つまり上様とは乳兄弟の間柄である。上様は、御正室がお産みになった、ただ一人の若君じゃ。しかし、そちも聞いておると思うが、先代様には側室が多かった。むろん、お子も多い。
そんな中で、幼い上様は、いつも狙われていた」
大奥の権力争いはハンパではない。将軍の子を産めば、女達は自分の子をお世継ぎにしたいと夢見るだろう・・・・
若君暗殺など、日常茶飯事な世界だった・・・
「上様は文武両道、政を行うには申し分ないお方ではあるが、お子をなすことができぬ。それを知られては、将軍の座が危なくなる」
「お子がなせない・・・というのは、幼い頃、ご病気か何か・・・」
誠次郎の言葉に、お藤は首を振る。
「衆道は武家の風習・・・しかし、それも度が過ぎるとお家が滅ぶ・・・」
「上様は、女には興味がないと・・・」
「仕方の無い事じゃ。幼い頃より、側室達から殺意の目で見られ、殺されかけたとあっては、おなごがおぞましく思えない方が
おかしいではないか」
これは他人事じゃないな・・・誠次郎はため息をつく。かなりのトラウマだろう。
「その事実を隠すために、山上様は女として、大奥に入られたというのですね・・・」
悠太の言葉に頷きつつ、お藤は話を続ける
「2歳上の姉が18で病死した。私が16のときじゃ。ちょうど、何者かが上様に向けて放った矢を、かわりに私が受け、
怪我を負ったそのときに。」
「入れ替わったと言う事ですか・・・」
「その通りじゃ。側室一人だけを寵愛して、正室にも見向きもしない・・・それならば問題はあるまい」
最愛の側室をカムフラージュするために・・・いくら乳兄弟でもそこまでやるか・・・誠次郎は眉間に皺を寄せる。
「おかしいか・・私がそこまでするのが?私が上様をお慕いし、また、ご寵愛を受けているとしたら?」
やはり・・・すべて話のつじつまが合う。
「私は幼い頃より、上様とは寝所を共にしていた。布団を並べて・・・子供のころは眠るまでじゃれあっていた事もある。」
「ああ・・・そうやってるうちについ、一線越えちゃったんですね」
「・・・結城屋・・」
言葉の悪さに、たしなめられる誠次郎・・・
名実共に、お藤の方は上様の愛妾なのだ。
「山上藤志朗を、自分自身を殺した夜、私は上様にお誓い申した。必ず上様を守ると。そして、衆道の事実を隠したまま
上様は将軍となられ、弟の死後、上様にお仕えしていた姉のお藤は奥に入り、側室となった。」
幼馴染で初恋の女、それを一途に思い続けている・・・そう言う筋書きなら誰も何もいえない。
しかし、問題は世継ぎ。
「それで、謀とは・・・お子の事ですか?」
ああ・・・誠次郎の言葉にお藤は頷く
「私は、偽装して子を産む」
重い沈黙が流れる。
「実は先代の御落胤がおってな・・・髪結いをしておるのだが・・・」
「女ですか?」
「男だ。」
男の髪結い・・・お妙から聞いたことがある。腕のいい髪結いが、女で一つで育てたという一人息子。
父親に関しては何も語らず、どこかの御落胤と噂されていた。
母について回っているうちに息子も髪結いの技術を身につけ、母親同様、いい腕をしているらしい。
「ああ、新吉さんですか・・・確か、あそこは奥さんが身重で・・」
「その子を貰い受ける事にした」
え・・・・
「身篭ったことにして、腹に晒を巻いて十月十日過ぎたら、私の子として引き取り、お世継ぎにする」
なんと膨大な謀だろうか・・・誠次郎は声も出ない。
「新吉さんと奥さんは、承知されたのですか・・・」
その中で、悠太は冷めた頭で考える
「その髪結いは、先代将軍が、事あるごとにめんどうを見ていた最愛の人だったらしい。大奥に入って苦労させたくないと
わざとお傍に置く事はなかった。先代が亡くなられた後は、上様に託していかれた。ご遺言を守り、私が時々様子を見に通い、
仕送りもしていた。母親が亡くなった折には、葬儀にも参席した。引き続き、今も定期訪問をしておる。新吉殿も、
巷で囁かれているお世継ぎ問題の事で、私の事を案じてくださっていたので、事情を話すと承知してくれたのだ。」
「でも、大博打ですね。腹の子は女かも知れない・・・」
誠次郎はため息をつきつつ、腕を組む
「それでも、お世継ぎになれずとも、お子が欲しい。」
「桐島の局が側室をあてがおうとするのを辞めさせたいんですね」
「それさえ、上様には大きなストレスなのだ。桐島様だけではない、上様の失脚を狙うものが多すぎる・・・とにかく、
桐島様は上様派なので、味方につけたい」
「報酬は。菊モノ流通の黙認・・・ですか?」
「それのみでは足らぬか?」
「いいえ、構いませんよ。私も、桐島様に関して、ひっかかる事があるので、調査してみます」
「頼んだぞ。結城屋」
そう言って、経費にと、袱紗に包んだ小判、数枚を置いて、頭巾に顔を隠し、お藤は帰っていった。
「大変な事になりましたね・・・」
悠太は事の重大さに途方にくれている。
「うん。でも、何とかなりそうだ」
何か、切ない思いが二人の間を通り過ぎる。
「明日は雪花楼に行くよ」
そういい残して、誠次郎は店に入る。
将軍様も楽ではないらしい。
八方が敵の江戸城で、一人で、懸命に上様を守ろうとしているお藤が健気だった。
「まあ、私としては、大奥の大物二人を手中に収めるチャンスだから。」
それだけではない・・・悠太は知っている。
将軍様の過去に、誠次郎は自分の過去を重ねている事を・・・
絶対、ほうってはおけない事を・・・・
お藤は勘でそれを悟ったのだろう。
そして、腹黒といわれているが、実はおせっかいやきな、誠次郎の本質を見抜いていたのだろう・・・
(しかし・・・雪花楼とは・・若旦那は一体何を探ろうとしているのだろう・・・)
悠太には、誠次郎の意図がつかめない。
どこか、つかみどころの無い主人である。
頼もしかったり、不安だったり・・・誠次郎の傍にいるとハラハラドキドキで退屈しない悠太だった。
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