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その日は悠太が一人で、雪花楼の納品に現れた。
「あれ?誠次は?」
中身をあらためながら、平次は首をかしげる。
「どっか悪いのか?」
悠太を一人でよこすなどありえない事だった。
「大奥にご出頭です。私は置いて行かれました。」
ああ・・・平次はうなづいた。
何気に悠太はモテる。特に年上の女に・・・・悠太をツバメにしようと近付いてくる奥方も多い・・・
「一人で行ってもいいのはここだけなんで・・・・」
ふうん・・・呆れながら煙草をふかす平次
菊モノが大流行の大奥では、やはり、悠太は最大のターゲットになるだろう。
大江戸ベストカツプルの受けに、皆、興味津々である。
「まあ・・気をつけろよ。なんかお前、最近妙に艶っぽいからな。これじゃ男も女もイカれて当然だからな」
また・・・苦笑しつつ悠太は首を振る。
「ほんとだって。フェロモン出まくりだし〜ヤバイよ?雪花楼の店主が言うんだから信じなさい」
新婚の若妻のような初々しい色気を振りまいている・・・
「店でちょっかい出す奴いないか?」
「いませんよ。そんな命知らず」
だな・・・・平次はうなづく。いくら美人でも、主人のお気に入りに手を出してクビになどなりたくないだろう。
ましてや腹黒店主・・・・
「いいなあ・・・幸せそうで・・」
しみじみとそう言われて、悠太は言葉もない。
「お前達なんか、倦怠期もないんだろうな・・・」
「大旦那さんところは、倦怠期なんですか?」
「乗り越えて、ぐるっと一周した感じ・・・」
はあ・・・・判ったような判らないような・・・あいまいに悠太は笑う。
「ほら、お前たちは・・・つーか、特に誠次は今まで愛情に飢えて、カラカラに干乾びてたわけよ。で、やっと水貰えた!となると
際限なく吸い尽くす・・・砂に水注ぐみたいなモンで、満たされる事ないんじゃないか?」
そんな感じはしていた。言い得て妙だと悠太は思う。
「吸い尽くされて、悠太が干乾びたらどうしょう・・・」
何の話ですか・・・冗談なのか、真面目に言っているのか真意がつかめない
「でも、まだ若いもんな。これから盛りって時だし・・・」
「それはそうと・・・」
いきなり深刻な悠太に平次は身を乗り出す。
「どうした?誠次が変態な事するとか?」
「違います。跡取りのことですよ」
今のままでは、結城屋を継ぐ者を得られない。悠太の心配はそこだった。
「心配するな。養子という手もある。出来のいい貧乏人の子供貰い受けるとか・・・子沢山で養えない家もわんさかあるんだからな」
源蔵はもう、無理に結婚などさせたくはないと言った。愛情のない、憎しみの家庭に何の意味もないと・・・
それならば、血は繋がらなくても、寄り添って笑いながら、家族よりも家族らしい関係を結ぶ事だと。
「そうやって、養子にでもしてくれりゃあ、こんなところに売られてくる子供も救われるのさ・・・」
「そうですね」
なんとなく平次の言葉に救われた。
「それにしても、身分違いの恋ってやつは、やっかいだね。武家と町人は世帯持てねえ。最近心中が流行って困るよなあ・・・」
それを言えば・・・・・
悠太は俯く。悠太と誠次郎も身分違いだ。
「お前も、ここまで流れてこなければ、誠次に逢えなかったな。」
鳴沢藩が安泰なら、今頃、悠太は城で何不自由なく暮らしていた。そして、どこかの姫君を娶り・・・・
「それを言えば、誠次の親父さんとおふくろさんも・・・・」
志乃は下級武士の娘だった。廓に流れなければ東吾郎とは結ばれる事もなかった・・・
「何事にも、意味があるんですね」
人の縁とは、どこでどうなっているのか判らないものだ。
「流れ流れて、たどり着いた。そこで誠次に逢えたんなら、お前の人生も悪くないよな」
「そうですね・・・大旦那さんにもお世話になりました」
禍福はあざなえる縄の如し・・・・まさにそんな気がする。
「普通ならこうしてお前と話すことも無かったんだよな、俺たちは。」
「過ぎた事ですよ。鳴沢藩に未練はありません。」
恭介も自分の道を探して生きている・・・・
「身分の壁なんて、あるのか無いのか判らねえな・・・」
浪人が溢れて、傘貼り内職をする昨今では、本当にそんな感じだ。
「あ、石山の殿様、あれからどうしてる?」
思い出したように平次は訊いてくる。
「避けられてます。触らぬ神に祟りなしで・・・後で恭介さんが聞いてきた話ですが、あそこでは、若旦那は
過去に刃傷沙汰を起こしたと思われる、危険人物と思われているようです」
なんで?平次は呆れる。しかし、それはまったく嘘ではない。
「さすが、武家だねえ・・・そんな事までお見通しかい?」
「何がお見通しなんだい?」
突然入って来た誠次郎に、平次はびくつく。
「いやぁ〜なんでもないよ〜」
「怪しいねぇ・・・」
大奥の用を終えて、悠太を迎えに来た誠次郎は、平次を睨む。
「悠太〜無事だったかい?」
「何もしねえよ・・・・」
平次は嫌な顔をする。
「悠太は可愛いから、心配で心配で・・・」
あほか・・・・・平次は呆れて何もいえない。今に始った事ではないが。
「若旦那、帰りますか?」
悠太が立ち上がって誠次郎の横に立つ。
「ああ、帰ろう」
見詰め合う二人にあてられ平次はため息をつく。それでも、誠次郎が幸せそうなのは友人として嬉しい事ではある。
「大奥はどうでしたか?」
うん・・・微笑みながら誠次は部屋を出る。
「苦手だねえ・・・・ああいうところは・・・」
商売だから行くけれども・・・出来れば行きたくない場所である。
誠次郎の後に続く悠太の後に、平次も続く。
「でも、いいお得意様だろ?」
「まあな・・・なんだかんだ言っても、お前とお町と恭介とは一蓮托生。一心同体だからな・・・」
わかってんじゃん・・・平次から笑いが漏れる
勝ち誇った顔しやがって・・・誠次郎はそれが気に入らない。
「誠次、お前にゃあ感謝してるよ。」
真顔で平次に突然そんな事を言われて、誠次郎は戸惑う。
「なんだい?平次・・もしかして死ぬんじゃねえかぃ?」
「なんだかんだ言っても、本当は皆、お前の事好きなんだぜ?」
ふっ・・・・その時、照れ笑いのような、今まで平次が見たことの無い表情を誠次郎はした。
「腹黒なのにモテモテでいいよなあ・・・俺なんて、こんなにいい奴なのに守銭奴なんて誤解されてさあ・・・」
玄関で草履を履いて、立ち上がると誠次郎は平次を振り返った。
「私も、お前さんには感謝してるよ。助けられっぱなしだからねえ」
はあ?今まで聞いた事のない、誠次郎のそんな言葉を聞こうとは・・・・・
昔馴染み、悪友・・・・そんな平次と誠次郎の関係に少し嫉妬心を感じつつ、悠太は苦笑する。
確かに、誠次郎は変わった・・・・変えたのは悠太・・・・平次には出来なかった事を悠太は、やってのけたのだ。
「いくよ」
誠次郎の言葉に頷いた悠太の笑顔も、今まで見たことも無い艶やかさだった。
時間は、静かに静かに流れてゆく・・・・
辛い季節を乗り越えて、そっと春に咲く紅梅の紅に似た暖かさを感じつつ、平次は二人を見送った。
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