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 悠太は縁側に立ち、月を仰ぐ。

立派な日本庭園だが、今は暗闇に隠されている。

「湯あたりしちゃいました・・・・」

火照る頬に手を当て、夜風に涼む。

「長いこと湯に入りすぎなんだよ。まったく・・・恥ずかしがりやだねえ・・・」

手ぬぐいを肩に掛けて、誠次郎は悠太の横にたたずむ。

「でも・・・皆じろじろ見るんですよ?」

「まあねえ、遠目に見ると、悠太って女と間違えるくらい華奢な色白だから・・・

皆、見ちまうよ。もう、使用人用の湯殿使うのはやめなさい」

え・・・・

意味が判らず、悠太は振り返る

「他の丁稚なんかと一緒に入ってみなさい・・・襲われるよ〜なんで早く気がつかなかったんだろう」

またそう言うことを・・・悠太は苦笑する。

「ねえ、悠太?私は、どういう存在なんだろう?その・・・水揚げの時に、私に買ってもらいたかったっていう話は、本当?」

「大旦那さんは、申し出てみろって仰いましたけど、言えませんでした。若旦那は衆道じゃないし、ましてや私なんか・・」

「すまなかったねえ。買ってやれなくて。怖かったんだ、大事なものを作ってしまうことが」

そんな事をしても、結局は手に入れないではいられないというのに・・・

「嫌だったかい?加納屋のオヤジに決まった時?」

「いいえ、誰でもよかったんです。若旦那でなければ、誰でも同じです」

そう言うと、悠太は誠次郎に向き直る。

「だから、今、最高に幸せです。他の誰のものにも、ならずにすんだから・・・・」

「私だけのものに、なってくれるかい?」

悠太は優しく笑う

「出会った時から、私は若旦那だけのものですよ」

たとえ、誰に買われても、心は渡さないと誓っていた。

ひょいー

誠次郎は、悠太を抱きかかえて奥の間に連れてゆく

「それって、こういう事なんだけど・・・平気かい?後でキャンセルはきかないよ?」

 「若旦那は、大丈夫なんですか?」

極度に人と接触する事を嫌っていた誠次郎を、悠太は気遣う

「私の心の病も、お前となら治せる気がするんだ」

そっと悠太を布団の上に降ろす。

「今回の事で、思い知ったよ。私は、お前を手に入れなければ後悔するって。

こうして傍においているだけじゃ満足できないんだって・・・」

苦笑して、悠太は誠次郎を見上げる

「本当に・・・今更ですね。私がどれだけ、その言葉を待っていたか、ご存じないでしょう?」

「まさか・・・」

「そんな素振り見せたら、はしたないって嫌われるのが嫌で、隠してたんですよ」

拗ねるような仕草が愛しくて、誠次郎は悠太を抱き上げて自分の膝に乗せる。

「小さい頃は、こうして私の膝に座ってたよねえ・・・」

よく、悠太を子ども扱いして膝に座らせて、平次と話し込んだものだった。

「水揚げ前になると、なんだか、遠い存在になって、抱っこも、はばかれるようになったけどねえ・・・」

大人になるーという事は、誠次郎と遠ざかる事・・・あの頃はそんな現実に苦しんだ。

「あの・・恥ずかしいです。降ろしてください」

顔が至近距離にある、身体は密着している・・・

「これで恥ずかしがってたら、どうするんだい?これから、もっと色々な事するよ?」

えっ・・・・

困って俯く姿がかなり色っぽい

「マジで、加納屋のオヤジにはこういう姿、見せたくないねえ・・・」

「もう、加納屋さんの話題は出さないでください。私には若旦那だけなんですから」

「若旦那じゃなくて、誠次さんってお呼びなさい。お前は手代から、私の嫁に昇格したんだから〜」

そんな、呼びなれない名を急には呼べない・・・悠太は困り果てる。

「それから、二人だけのときは冬馬と呼ぶよ。悠太だと二人の間に、お前の乳兄弟が割り込んでくる気がして、むかつくんだ」

誠次郎は、兄、誠太郎を、悠太は乳兄弟の悠太郎を、それぞれ切り捨てなければならない・・・

その儀式のような気がした。

「誠・・・次・・・さん?」

 悠太にそう呼ばれると、心が温かくなる気がした。

結城屋の店主という肩書きの元での人間関係しか持たない誠次郎が、今、解放された

思えば、誠次と呼ぶのは、限られており、彼らは利害関係の外にあった。

つまり、身内・・・・

「そう、よく出来ました。これで私達は他人じゃなくなれるねえ」

自分に一番近い人。自分の分身・・・・そんなものになれる

「誠次さん」

悠太が、もう一度呼ぶ。その響きのなんと甘美なことか。

ふと、誠次郎の顔から笑顔が消えた。

「本当に、覚悟できてるかい?」

ゆっくり ゆっくり、悠太の腕が誠次郎の首をかき抱く。

「ずっと、誠次さんと、こうなりたいと思ってました・・・・」

そうして近づいてゆく顔・・・・重なる唇・・・

(悠太?)

傷付けはしないか・・・そんな不安が薄れてゆく・・・

触れ合って、必ずしも傷つくのではない。そう思えた。

触れてくる悠太の唇は柔らかく優しい・・・

昔、義兄に侵食される嫌悪感しかなかったくちづけは、いま、誠次郎を包み込む。

愛するものとの行為が、これほど、心満たされるものとは思わなかった。

侵食されたいとさえ思う・・・・溶け込んで、一つになってしまいたい・・・

2つの固体である事自体がもどかしい。

「冬馬・・・」

悠太の背を支えながら横たえると、誠次郎は覆いかぶさる

「お前を決して傷つけないよ」

うなづくように笑う悠太に、誠次郎はもう一度くちづける・・・・

 「恐れないでください。私たちは傷つく事など無いんですよ。」

傷ならもう、今まで充分受けてきたではないか。

「もう傷つかないでください・・・」

そう言って、背にまわされた悠太の腕が心地いい

 

雪花楼にいた陰間の見習いの少年は、いつの間にか自分の中に住み込み、自分を占領し始めた。

不幸な事故の後、運命に導かれるように、自分のものになった少年は今、腕の中にいる。

遠ざかろうとしてもなお、近づき、ためらいながらも手折らずにはいられない華は紅に染まる。

もう、これは運命なのだ・・・・父が母と出会ったように。

「お前に捕まっちまったねえ・・・・」

若い子に入れ込むオヤジみたいで、情けなかったりした。

「ここに来るまで10年かかりましたよ」

つかみどころの無い若旦那を独占するのは、至難の業・・・

悠太も過去の想いに浸る

「まさか、お前とこうなろうとは、出会った時は想像もつかなかった」

「そうなんですか?私なんか運命を感じていたんですけど?!」

ははははは・・・・誠次郎は笑う

あの頃は心を閉ざしていた。

その心を開いてくれたのは、悠太だった。

 

「もう逃がさない・・・」

そうつぶやいて、悠太は誠次郎の首筋に顔を埋めて、古傷に唇をあてがう

隣でやすみながらも、触れる事を恐れて、ただ、悠太の寝顔を見つめていた。

触れてしまえば、終わる気がした。失いたくなかった。

そんな自分を見守り、待っていた悠太がいた・・・

「待たせたね、長い間・・・」

誠次郎は決意したように、悠太の寝衣の帯を解いた。

 

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