57

 

「悠太さん・・・ご存知ですか?内山様のこと・・・」

寡輔がこっそり耳打ちしてきた。朝食の席でのことである。

「昨日、お店に来た呉服問屋の中番頭さんと、若旦那がこっそり話してるの聞いたんです」

悠太は用心深く辺りを見回す。幸い、近くに源蔵も誠次郎もいない。

「その話は、後で聞く」

石山藩の話が出た時点で、悠太は店にも、外回りにも、出ることを禁止されて、

もっぱら蔵の在庫管理を任されていた。世間で何が起ころうと、何の情報も入らない状態だった。

さらに、源蔵と誠次郎が、皆が悠太に余計な事を悠太に話さないよう目を光らせていた。

しかし、勘のいい寡輔は悠太に何の情報も入っていないのを察して、わざわざ教えに来た・・・

「一番奥の蔵に来い」

そういい残して、悠太は先に立ち上がった。

 

「さっきの話だけど・・・」

薄暗い蔵に入った寡輔は、自分に背を向けている悠太に緊張感を覚える。

こんな悠太は初めてだ・・・・

いつも穏やかに笑っていた悠太。怒った顔など観た事も無い。

それが・・・・・一振りの刀のように鋭い

「だから・・・・石山藩のものが、内山様を、石山藩江戸屋敷に連れ込んだのを、呉服問屋の中番頭が見たらしいんです」

こんな日は来ると、予想はしていた。だから、何の感情も無い。

異様なのは、こんな事件が起こっていながらも、平常心を保っている源蔵と誠次郎だ。

悠太に悟られないように、かなりの気を使っている。

それだけ悠太を守ることに必死なのだ。

「判った。俺に話したということ、若旦那にも大番頭さんにも言ってはいけないよ。お前の立場が悪くなるからね」

そういい残して、悠太は寡輔の横を通り過ぎて蔵を出て行った。

(悠太さん・・・・)

自分の知らないところで起こっている事件の重大さに気づかないまま、寡輔は不安を隠せずにいた。

何よりも、悠太の様子が一変してしまったことに戸惑いを感じる。

蔵を出ると、夏の日差しの眩しさにめまいがした。

 

 

「悠太!?」

いきなり訪ねてきた悠太に、宗吾は戸惑う。

結城屋では、悠太は外出禁止になっているはずだった。その悠太が・・・

「ダメだよ、悠太。外出歩いちゃあ・・・若旦那に、ことわってきたの?すぐ帰りなさい」

そう言う宗吾は、かなりやつれて憔悴していた。

「そんな事、言っている場合なんですか?」

いつもと違う悠太の姿がある。宗吾は戸惑った

「悠太・・・」

「恭介さん、いますか?話があってきました」

探るような瞳が宗吾を射る

「ちょっと・・・金造さんのところに行ってて・・・・」

ー俺が捕まっても絶対、悠太には知らせるな。そんな事したら、もう二度とお前とは会わねえー

恭介から毎日聞かされていた言葉・・・・

宗吾とて、いくら恭介が大事でも、そのために悠太を差し出すことなど出来ない。

ましてや悠太は、この事を知ると、石山藩に乗り込んでいくだろうことは目に見えている。

「帰るまで待たせてください」

「今日は・・・帰らないよ」

「判りました」

「悠太!」

出て行こうとする悠太を、宗吾は引き止める。

「若旦那の事を考えなさい、悠太に、もしもの事があったらあの人は・・・・」

「それは宗吾さんも同じ事・・・」

振り返った悠太の瞳が刃のように光る

「行かせないよ」

「何言ってるんですか?私は結城屋の手代ですよ?店に帰らなきゃ・・・」

「店に帰るんじゃないだろ?」

長い沈黙が流れる・・・・・宗吾の、悠太をつかむ手が震える。

 恭介のために、悠太に助けを請いたいのは山々だ・・・

このままでは、自分はもう二度と恭介に会えない。

しかし、悠太に助けを請う事は、悠太に死にに行けという事だ・・・・

「離してください。私は宗吾さんから何も聞かなかった。恭介さんは金造さんのところにいるんでしょう?」

助けてくれとは言ってはいけない・・・悠太は無言で、宗吾にそう告げる。

もしものときに、誰にも心に負債を負わせてはいけない。

「店に帰ります」

強い意志を携えた悠太の口調に、宗吾は唇を噛んで涙を流す。

「宗吾さん、私は後で後悔したくないんです」

そう言って、自分の腕をつかんでいる宗吾の腕を握る

「恭介さんのためになど死にませんよ。私は、若旦那のために生きます。信じてください」

宗吾の手がするりと外れた

「約束だよ、若旦那のために生きるって・・・」

出てゆく悠太の後姿を、宗吾はただ見つめた。愛しい人が、ただひたすらに守ろうとした大切な若君を。

それを送らなければいけない自分・・・・・

「何もしてあげられ無くてごめん・・・」

悠太の背負った運命の重さ、恭介の想いの重さ・・・・・

なすすべのない自分の無力さに絶望しながら、宗吾はただ、悠太の無事を祈るだけだった。

 

そして、する事は一つ・・・

 

 「若旦那・・・」

結城屋に訪れた、深刻な面持ちの宗吾を、誠次郎は無言で奥の間に通す。

朝から悠太の姿が見えない、丁稚の一人が朝、寡輔が悠太に蔵に呼び出されていたと言っていた・・・・

来るべき時がきたのだろう・・・・

 

「すみません・・・」

奥の間に入るなり、宗吾は誠次郎に土下座した。

「バレちまったらしいね・・・・悠太は行ったのかい?」

「すみません、私のせいです・・・」

いいや・・・誠次郎は首を振る

「恐らく、お前さんは何も言わなかったろう?」

「でも・・・止められなかった・・・」

止められやしないさ・・・・誠次郎は苦笑する。

「あいつを止める資格なんざあ、私らにゃあねえのさ。ある意味、過去の落とし前つける良い機会なのかもねえ・・・」

「若旦那・・・・」

自分を見上げる宗吾の前に、誠次郎はかがむ

「私だって、じっとしてやしないよ。すぐ動くつもりだ」

「お願いします、悠太を連れて帰って来てください」

ふっー

誠次郎は吹きだした

「恭介を連れて帰って来い。とは言わないのかい?」

「あの人は帰って来ますよ・・・私のところに」

惚れ惚れするような強い笑みだった。これが恭介の愛した強さなのだ。

 「安心しなさい。結城屋に不可能は無い。」

子供の時のように、もう大事なものを奪われないために、誠次郎は今まで、結城屋を父の代よりも大きくしてきた。

力がすべてだ。そう信じてやってきた。

悠太を結城屋に置くようになってからは、なおさらそう感じた。

「帰って、恭介の晩飯の支度して待ってなさい」

そう言って立ち上がると、支度するために誠次郎は寝室に向かう。

迷いの無い、確かな足取りだった。戦場に向かう武将のようだと宗吾は感じていた。

 

 TOP     NEXT

 

ヒトコト感想フォーム
ご感想をひとことどうぞ。作者にメールで送られます。
お名前
ヒトコト

 

 

inserted by FC2 system