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 「若旦那、起きてください」

悠太の声で、誠次郎は目覚める。

「今日はこちらでお食事しましょう」

重箱と、雑煮の椀を乗せた盆を抱えて入ってきた。

去年までは、身寄りが無くて里帰りしない手代がいて、一緒に台所で食事していたのだが、今年は二人っきりだった。

「そうか、あいつ家、持ったんだよな〜出世したなあ・・・」

と起き上がる誠次郎。

「そのうち所帯持つんじゃないですか?」

ふうん・・・・

住み込みの者たちは入れ替わる。結局、誠次郎は一人残される・・・・

「若旦那、私が来る前はお正月、一人だったんですか?」

いつもにぎやかな結城屋は今日は、あまりりにも静か過ぎる。

「でも、平次も恭介も源さんも気を利かせて来てくれてたし・・・つーか、なんか、悠太が来るまでは一人が寂しいと思わなかったし」

「今は、寂しいですか?」

ああ・・・

力なく笑う誠次郎。大勢の中にいても、悠太が傍にいないと寂しい・・・

「二人になってから、一人になると寂しいものなんだよ」

しかし、悠太と二人っきりとなると、全世界を手に入れたような気になる。

「お峰さんが、お雑煮も作っておいてくれたから助かりますね」

部屋の奥から膳を持ってきて椀を並べる

「でも、こういうとき、奥さんがいたらいいなあと、思うんじゃないですか?」

箸を並べつつ言う雄太の冗談に、誠次郎は苦笑する。

「飯の仕度させるために嫁もらうのかい?なんか酷いよなあ・・・あ、もしかして、悠太、私の世話焼くの飽きたかい?」

「いいえ・・・」

誠次郎の世話など喜んでできる。しかし、ずっとこのままで良いのか・・・そんな疑問もある。平次の家庭を見るたびに。

妻と子供のいる人生、それが人並みだろうに。

「いればいいってもんじゃないんだよ。嫁さんなんてもんは〜」

誠次郎の心に影を落とす冨美の記憶・・・・

「幸せな家庭なんて、そう無いんだよ現実は」

確かに、身分制度のせいで添い遂げられない男女が心中する事件は少なくない。

すべてが報われるとは思わないが、しかし、悠太はそれでも報われるものもあると信じたかった。

「さ、雑煮が冷めるから早く食べよう」

 誠次郎に促されて悠太も箸を取る。

 

「今日は何しますか?」

「ももじと遊ぶ」

本当に何もしたくないらしい・・・・・

「なんか・・・昔話でもするかい?」

雑煮の椀を手に誠次郎は微笑む。

「暴露話じゃなくて?」

黒豆をつつきつつ、悠太もつられて微笑む

「毎年、数の子ついてて、豪華ですよね」

結城屋の御節には毎年、数の子が付いている

「先代が好きだったんだ。小さい頃は私の口にゃ入らなかったけどね」

母が亡くなってからは、正月はいつも一人で過ごした・・・家族の中には入れず部屋にこもっていた。

親子3人で初詣に出かけるときに、父が向ける、すまなさそうな視線、腹違いの兄の勝ち誇ったような顔・・・・

愛したいのに、正妻に気を使って息子を愛する事すらできない、可哀想な父親の後ろ姿・・・

今はもう、そんなしがらみから開放されて、せいせいしている。

悠太一人いるだけで、あの頃、想像もできなかった程の安堵感を感じる。

「じゃ、思う存分、召し上がってください」

そう言って悠太は数の子を箸でとり、差し出す。

「若旦那、あ〜んしてください」

「・・・照れるよ・・・それ・・」

「平気、平気、誰もいませんから・・・」

母親なのか、嫁なのかわからないが、悠太は、なりきっている。

苦笑しながら悠太の箸から数の子を食べ、誠次郎は悠太のテンションの高さに驚く。

「源さんが見たらまた、馬鹿旦那とかいうよ〜」

それが、昨日は添い遂げろと言い出した・・・

「源さん諦めたのかな?私が嫁もらうの」

「無理強いはしたくないと仰っていましたよ。先代や、若旦那の事があるから・・・」

お茶を入れて悠太は差し出す。

「心配かけてるんだね。今さらだけどさ〜」

源蔵は本当に、誠次郎の事を思っていると、悠太は確信する。

店のために縁談を無理強いする事もできるが、そうしたところで、あちこちでほころびが出てくる・・・

「大番頭さんには、若旦那が一番大事なんですね。」

 

 

ー悠太、お前は生涯、若旦那だけを愛しぬく覚悟があるのか?そのうち、女見つけて嫁貰うつもりなら出て行ってくれ。

若旦那だけ見て、若旦那だけに尽くせるならここにいろ。やっと見つけた唯一無二を、あの人が失うとこ見たくねえんだー

 

ーおまえがいなきゃ、あの人はまた、どうでもいい人生送ることになる。嫁貰う事も跡取りも諦めた。

お前とどんな関係になろうとも反対しない。いや、むしろ誰も愛せないあの人が、誰かを愛せるのなら祝ってやりたいくらいだ。

だから・・・・若旦那を頼んだよー

 

 

 結城屋に来て早々、源蔵にそう詰め寄られた悠太は、結城屋で誠次郎を一番心配して、愛しているのが源蔵だという事を知った。

「私に、若旦那だけを愛しぬけと、嫁も貰うなと、大番頭さんはそういったんです」

「悠太にそんな事を?源さん、あんまりだなあ・・・」

「まあ、大金出して買われてきたんですから、それくらいは当たり前なんじゃないんですか?」

「悠太!」

少し怒った誠次郎に微笑んで、悠太は膳を片付ける。

「でも、そんな事、あんな事、関係なく、私は一生、若旦那に付きまとうつもりですから。」

そういい残して、悠太は重箱と茶碗を盆に載せて台所に去っていった。

 

息がつまりそうだったこの家、恨みつらみ、罪悪感・・・そんなものであふれていたこの家も、

もう誰も残ってはいない。あんなにうんざりだったのに、いざ去られると寂しいものだった。

(愛していたんだ・・・それでも・・)

たった一人の父。たった一人の兄・・・・・

 数の子を貰って、夢中で食べていたももじは、空腹を満たして誠次郎に擦り寄ってきた。

 

 

ー誠次、この猫もらうぞー

母と、子猫の時から育てていた桃太郎を、誠太郎はある日、持ち去った。

ー誠太郎、猫なら、もっといい猫を買ってやるから、誠次郎に返しなさいー

さすがに東五郎も見かねてそういった。

ーなんですか・・・猫一匹でぎゃあぎゃあ・・・誠次郎も、兄さんにそれくらい譲りなさいー

冨美がそう言うと東五郎は何も言えなくなる。

母と暮らした思い出を、唯一共有する友だった。桃太郎がいなくなると、誠次郎は一人ぼっちになる・・・

それなのに、”それくらい”なのか・・・

そのうち結城屋から桃太郎は消えた。

ーあの猫?飽きたからお袖にやったー

兄は猫が欲しかったのではない。弟から大事なものを奪う事が目的だったのだ。

 奪われないためには持たない事。大事なものなど持つまい。

どうでもいい日々を生きて、どうでもいい人生を送るしかない。からっぽな日々にふと現れた悠太・・・・

一目で自分と同じ匂いを感じた。そして、自分に無い強さも。

 

 

誠次郎は、ももじを抱き上げる

大事なものは永遠に残りはしない。しかし思い出は残る。

思い出を紡ぎながら、生きてゆくのが人生なのだと今ならわかる。

 

「若旦那・・・」

悠太が入ってくる。

それでも思い出にしたくないものがある。永遠を望んでしまう、ただひとつの最愛。

 「悠太」

ももじを畳に置くと、誠次郎は悠太を後ろから抱きしめる

「ひとつだけ我侭を聞いてもらえるなら、お前の傍に永遠にいる事を私は望むよ」

「それは、私も同じ事ですよ」

 「そうか、よかった。少なくても逃げられる事は無いみたいだ」

「どうしたんですか?」

誠次郎の方に向き直ると悠太は顔を上げる。

「いや、最近、昔の事がよく思い出されてねえ・・・」

無理矢理封印したものが溢れ出している。もう一度、それらを消化する時期が来たのかも知れない。

悠太は誠次郎の背に腕をまわして、そっと抱きしめる。

「私達の今までのいきさつは総て、二人が出会うための道のりだったんですよ。だから信じてください。

乗り越えられると、変われると。」

「どうしてお前は強いんだろう・・・鳴沢公の血筋なのかい?」

「私は父ほど強くありません。でも、見苦しい生き方はすまいと努力してきました。」

悠太が母に似ているのは、そういうところなのかも知れない。

もともと武家の娘だったが、郭に流れた志乃・・・・

しかしその運命を嘆くことなく、生き抜いて東五郎と添い遂げた。

その、潔い母の背中を見つめつつ、誠次郎は育った。

悠太が母に似ているのは、面立ちだけではない、そう感じた。

 

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