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「藤若、奥の間、掃除しておくように大旦那が言ってたよ」

廊下を雑巾掛けしている悠太に、牡丹がそう告げた。

平次は、出がけに廊下を拭いておけとだけ言っていたが・・・

「はい」

返事をして悠太は奥の間に向かう。

あまり、いい予感はしなかった。あれから白梅のいじめは強烈になっていて、事あるごとに悠太を罵倒する。

白梅の客に気に入られても迷惑なだけだった。

それでも、今までのさまざまな出来事に比べれば、こんなことはなんでもなかったが。

乳兄弟を目の前で斬られ、乳母のお鶴も、追っ手の手によって命を奪われた悠太には、ここが落ち着く。

自分の身分がバレなければ、もう誰も命を落とすこともないだろう。

鳴沢の嫡子が陰間になっているなどとは、誰も思うまい。

心のどこかで、もう、どうでもよくなっていた。悠太郎を失い、お鶴を失った今、生きる糧は何もない。

誰かの為にも、自分の為にも生きる事ができない悠太は、身体的苦痛も精神的苦痛も感じなくなっていた。

ただ、自分に似た、結城屋の若旦那に会うことだけが生き甲斐だった。

許されるなら、この人の為に生きてゆきたい、この人の傍でこの人を守りたい・・・

そんな儚い願いを、かすかに抱いているだけ・・・

 

奥の間には、白梅と数人の陰間がいた。

(ああ・・・やはり・・・)

察しはついていた。

「寒いだろうから、火鉢に火をおこしといてあげたよ」

後ろで戸が閉まり、2人の陰間が立ちはだかった。

両脇を押さえられ、動きがとれなくなった悠太に、白梅は近づく。

「ちょっと若いからって、いい気になるなよ。かわいこぶって、腹ん中真っ黒だって知ってるんだぞ」

何を言っても動揺しない、怒りさえ表さない、そんな悠太に、白梅はあせりを感じていた。

「平次にどうやって取り入ったか知らないけど、あいつが店継ぐ前から、俺はここにいたんだぜ」

主従関係が破綻している白梅の思想は、悠太には理解できない。

”若君”ただそれだけの理由で、悠太郎もお鶴も自分に忠誠を誓い、命を捧げたのだ。

年齢も、経歴も飛び越える身分、というものは存在する。

その身分には責任が付いてまわる・・・・捧げられた命を背負って生きる悠太は、死ぬわけにはいかない。

どうにでもなれと思う一方で、悠太郎の分まで生きなければ・・・という思いもある。

「傷物になってもらうよ。どこ焼いて欲しい?」

傷の中でも、火傷の痕が一番醜いと判断してのことらしい。

もともと、売り物になど、なりたくはない、鳴沢の嫡子が陰間に堕ちる事自体、情けなくてたまらないのに。

白梅は、悠太のあごに手をかけて持ち上げる。

「やはり、顔か?もったいないなあ・・・いい肌してるのに・・」

物色するような白梅の目に、吐き気を催す。襟元から進入する白梅の指先に鳥肌が立つ。

(こいつ!)

暴力は百歩譲っても、凌辱は許せない。悠太はきっと白梅を見据える。

「醜くなる前に、可愛がってやるよ」

胸元までもぐりこみ、まさぐる手に怒りが込み上げ、悠太は、つかまれた腕を払いのけ、白梅を払いのける。

「無礼者!」

一瞬、悠太の気迫に白梅は寒気がした。

「何者だ・・・お前・・・」

彼も、なんとなく感じていた、悠太の奥に潜む血の匂いを・・・

 いつも笑いながらも、目は笑ってはいない。どこか物騒な印象を与える悠太。

 再び腕を捕らえられ、自由を奪われた悠太を、白梅は見つめる。

適わない・・・そんな気がした。

「しっかり抑えてろ」

そう言うと着物の襟を広げる。

 「顔を焼くのはやめとこう、顔やると、雨月楼にも行けなくなるからな」

腕を押さえている陰間達も、間近に現れた雪の肌に目を見張る

「太夫・・・」

「心配するな、こいつ威勢がよすぎるから、焼いて弱らせてからマワそう。早くしねえと平次が帰ってくるしな・・・」

火鉢から焼き鏝をとり、白梅は悠太に歩み寄る。

「ちったあ怯えろよ・・・」

どうして泣き叫ばない・・・たかが12歳のガキが・・・白梅はすでに敗北感を感じていた。

「壁際に押し付けろ、動かねえように・・・」

頭と肩を押さえつけられ、悠太の頬は壁に押し付けられた。

「背中、焼いてやるからじっとしてろ」

まもなく、強烈な痛みと熱さと、肉のこげた臭いが悠太を包む

(これくらい、なんともない。悠太郎が目の前で斬られた時の痛みに比べれば・・・・)

悠太の目の前で、乳兄弟は身代わりとなって、首を斬られて持ち去られた・・・

あの時も肩を強い力で抑えられていた。

ー若様・・・こらえてくださいー

そういいながら、肩を掴んでいるお鶴の手が震えていた

お鶴が耐えているのだから、自分も耐えなければならない・・・・

気絶しそうな精神的な痛みの中で、その後は覚えていない・・・

身体の痛みより、精神の痛みのほうが遥かに痛かった。

「悠太郎・・・」

かすれてゆく意識の中で乳兄弟の幻が浮かぶ

ー若君・・・生きてくださいー

生きなければならない、業を背負って生きなければならない・・・

もう、二度と、何者をも犠牲にはしない。

鳴沢の嫡子というだけで、自分の代わりに多くの者の命を奪うことは、父も望んではいまい・・・

(背中の傷は、今まで、自分の為に命を落とした家臣達への償いだ。彼らを背負って私は生きるのだ)

忘れない・・・忘れてはいけない・・・だから・・・この傷も消えてはならない。

 

朦朧とする中で、必死に意識を保っている悠太の耳に、誠次郎と葵の声がする・・・

しばらくして、平次の声も・・・・

 

「藤若・・・しっかりしろ。もう大丈夫だから・・・」

気づけば、誠次郎の胸に抱かれていた。

(若旦那・・・)

気が緩んで涙が出た・・・

そして、安心してそのまま気を失った・・・・

 

 

 

はっー

目覚めれば、結城屋の誠次郎の寝室。あたりはまだ暗い。

そして、悠太は夢の中と同じように、誠次郎の胸に抱かれていた・・・・

(昼間、葵さん達と白梅さんの話をしたから、あんな夢を見たんだ・・・)

少し頭を上げて誠次郎を見る

助けに来てくれた・・・それだけでどんなにうれしかったか判らない。

今、誠次郎の傍にいれる自分は幸せだ・・・

涙があふれてくる・・・・・

「悠太・・・」

不意に目を覚ました誠次郎が、悠太を呼んだ

「若旦那・・・」

「夢を見てた・・・お前が火傷を負ったあの時の・・・」

悠太は驚き、言葉も出ない。同じ夢を見るとは・・・

「私も、さっきその夢を見て、目覚めたところです」

ふう〜

誠次郎は、悠太を強く抱きしめる。

「悪夢だったねえ・・・」

「いいえ」

悠太は笑う

「幸せな夢でした・・・・」

そして、誠次郎の胸の中で目覚めた事が、さらに幸せな気分にした・・・・

「もう、離さないでくださいね」

弱気な悠太の言葉に、誠次郎は笑う

「お前こそ逃げるんじゃないよ」

16歳・・・まだまだ人生これからの悠太を、自分の傍に置くことが、はたして良い事なのかどうか判らない

しかし、悠太がそれを望むなら、傍にいてやりたい、いてほしい・・・・

「私が先に爺ぃになるから、捨てられるかもねえ・・・」

ははははは・・・・

大笑いする誠次郎の肩が揺れ、悠太にもその振動が来る・・・

「爺ぃになっても、私には若旦那しかいませんよ」

「ほんと〜?」

悠太郎が生きる糧として、誠次郎にめぐり会わせてくれた気がした。

誠次郎の傍で生きてゆける自分が幸せで、二人の関係が何であろうと、そんなことさえどうでも良いと、

気にすることさえ愚かなことに思えた。

 

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