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それから3日もしないうちに幾三は昼間、平次を訪ねて雪花楼に現れた。
「店主、葵を身請けしたいんですが・・・」
突然の事で、平次も言葉が出ない
(何考えてるんだ?)
「あの・・・私の事、怪しんでおられますか?」
充分に怪しんでいるが、怪しんでいますとは言いにくい・・・
「噂はお聞きでしょう?私はあちこちの廓に出没していて、身の上話を聞いて帰っていくと・・・」
この界隈で噂にはなっていた。ただ、害がないので捨て置かれていただけだった。
「人を探していたんです、廓に売られた弟を・・」
あ・・・それでか・・なんとなく理解できた。
「弟を探していると最初から言うと、自分だと名乗る偽者が続発してしまったので、怪しまれるのを覚悟で、こうして内緒で探していました。」
と言う事は・・・平次は幾三を見る。
「見つけたんですよ、弟を。」
「じゃ、葵が・・・」
大変な勘違いで、葵は幾三を慕っていたことになる。
「はい、間違いありません。私の記憶と葵さんのお兄さんとの記憶が一致していますし・・・」
「身請けは・・・問題ありませんよ、私も家族に引き取られるなら安心だし。葵と話して、最終決定をしますが・・・身請け金は・・・」
机の引き出しから台帳を取り出す。
「平次・・・いるか?」
そこへ誠次郎と悠太が入ってくる。
「結城屋さん・・・」
挨拶に立ち上がろうとする幾三を、誠次郎は制する。
「橋田屋、来てたのかい。葵のことかい?」
そういって座る誠次郎の後ろで、悠太も幾三に会釈をして座った。
「生き別れの弟を、やっと見つけたんです。」
「遊郭に売られたとかいう?」
はい、幾三は微笑む・・・
「橋田屋の若旦那、もしかして、それが・・・葵太夫だったんですか?」
悠太が口を開く・・・平次から聞かされていた、身の上話を聞いて帰っていく葵の客の謎がやっと解けた。
「そうなんだ、うちに引き取ろうと思って」
「よかったですね・・・私はここにいたとき、太夫に大変お世話になりました。恩返しも出来ないままですが、
こうしてお兄様に出会われたのなら、本当によかったです」
自分の事のように悠太は嬉しかった。
「橋田屋さん、これ・・」
身請け金の明細を書いた紙を、平次は幾三に渡す。
「明日、またうかがいます」
紙を受け取り、一同に礼をして幾三は立ち去った。
「そういう事情だったんだって・・・」
平次が誠次郎を見上げる。
「上手くいったね・・・でも平次、桔梗に、葵・・いづれは桃若も・・・お気に入りがこぞって出て行くねえ・・・」
相変わらずのハイテンションで誠次郎はへらへら笑う。
はあ・・・・それを言われると辛い。娘を嫁に出す時の父親の心境とでも言おうか・・・
しかし、今回は皆、安心して送れると言う事が救いだ。
「今回は例外的な身請けが続いたなあ。でも、後味いいから、いいか・・・」
そういう意味では平次はかなり苦労しているようだ・・・
「葵の引退式は、盛大にやろうなあ〜」
誠次郎は楽しそうだ。雪花楼のナンバーワンだったのだから、引退式を盛大にというのは、当然と言えば当然なのだが・・・
「それはそうと、誠次、橋田屋が弟を探していたの知ってたのか?何で言わないんだ?」
平次は少しムカついていた。
「弟探してたのは知らないよ〜ただ、廓に売られた弟がいると1度だけ聞いた事があってなあ・・・」
誠次郎があちこち連れまわしていている丁稚が、実は廓出身で、陰間のなりそこないだという噂を聞いて、
幾三が悠太に色々聞いてきた。訳を訊くと、自分には廓に売られた弟がいるのだと言ったのだ・・・
「そういえば・・・葵太夫のことも話したかも・・・」
悠太もそんな事を言い出す・・・
「おい、そういう情報は話してくれよ〜俺、お前らに橋田屋さんの事、相談してたよなあ・・・何度も?!」
ああ・・・誠次郎は頷く。桃若の一件に気をとられて、うっかりしていたのだ。
あれから誠次郎は道場に大先生の見舞うため、何度か足を運び、雪乃進と桃若の事情を話していたのだ。
「すまないねえ〜」
本当にすまないと思っているのかどうか、判らない謝り方をされた平次。
「誠次はそうとして・・・悠太まで・・・・」
と言いかけて、以前より更にやつれている悠太に、きつく言えないでいた・・・
「すみません・・・大旦那さん・・・でも、解決したんだから、よかったですね」
悠太の可愛い笑顔に、つい誤魔化される・・・
確かに、ここはいろんなことがある。掃き溜めのような世間の片隅でどうにもならない、してやれない様々な不幸を見てきた。
そのたび心が痛く、辛かったが、それでも時々よかったと思うことに遭遇して、何とかここまで来れたのだ。
うっかりされても誠次郎の、のほほんと、悠太の微笑みに支えられている自分を感じる。
(こいつらがいてくれてよかった・・・)
笑いがこみ上げてくる・・・
「たまにはこんな日もいいよなあ・・・」
後は葵次第だった。
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