15

 

その日も、夕食後、悠太は丁稚の読み書きの指導をしていた。

時々、誠次郎が手伝う事もあるが、丁稚の教育は悠太に一任されていた。

「悠太さん、廓から身請けされて来たって本当ですか?」

一番年下の新入り、伊之助が居残りで一人残った時、そう訊いてきた。

ここに来て3ヶ月、まだ5歳の伊之助は、口減らしで奉公に来ていた。

「ああ、そうだよ。」

「じゃあ、悠太さんは若旦那さんの奥さんなんですか?」

5歳の子が、何を何処まで知っているのか・・・悠太は答えに困る。

「私の一番上のお姉さんは、廓に売られていったんですが、呉服屋の旦那に身請けされて、今はお妾さんになってます。

お妾さんて、2番目の奥さんなんでしょ?若旦那さんは奥さんがいないから、悠太さんが奥さんなんですか?」

悠太は静かに微笑んで、伊之助を見つめる。

「私の場合は、火傷して、売り物にならなくなったんだ。」

「何処を?」

「背中だよ。だから、若旦那が丁稚として、ここで働くように雇ってくれたんだ。一般的な身請けとは少し意味が違うんだ。」

まだ、あどけない伊之助は、姉が辿った運命も、悠太のいきさつも理解出来てはいないだろう。

「悠太さん。幸せですか?」

「ここに来て、幸せだよ」

始めて来た時から、悠太は伊之助の面倒を見てきた。慣れない奉公に早く慣れるよう、気を使ってきた。

伊之助も、そんな悠太を兄のように慕っていた。

「悠太さんが幸せなら、よかった。ずっとここにいてくださいね。」

頷きつつ、悠太は習字の手直しをする・・・

「伊之助は、他の子より幼いから、読み書きはまだまだだけど、焦らなくていいよ。お前は飲み込みが早いから。」

「はい」

素直で可愛い伊之助。

来た当時、若干のいじめはあったが、忍耐で乗り越える強さもあった。

努力も人一倍している。とにかく家を助けたい、その一心で働いていた。

 

「悠太」

誠次郎の呼ぶ声がする。

「あ、若旦那がお呼びだ。もう遅いから今日はここまで。片付けたらおやすみ」

そう言って悠太は立ち上がる。

 

「若旦那・・・」

廊下に出ると誠次郎がいた。

「丁稚をみてたのかい?探したよ」

「すみません」

二人は寝室に向かう。

「お床は敷いておきましたが・・」

「お前がいないのに寝れないじゃないか・・・」

ええ・・・

悠太は苦笑する。

「伊之助があまりに熱心なので、つい延長してしまって」

「伊之助?新しく来た子?」

「はい」

そういって二人は部屋に入る。

「お前に懐いてるよね、あの子。」

「周りは大人ばかりで、私しか頼れませんから・・・」

悠太は誠次郎の掛け布団をめくり、誠次郎が床に入ると布団を掛けた。

「お前は、丁稚達に人気あるねぇ・・」

また、やきもちが始まった。

「頼るところが、私しかいないからですよ」

「丁稚辞めて、旦那付きにでもしようかねぇ・・・」

いきなり店長秘書は周りの目があると、3年前、源蔵が言うので、とりあえず悠太を丁稚にしたのだが・・・

「なんか、結構一緒の時間が少ないんだよね・・・」

悠太は悠太の仕事があり、誠次郎は誠次郎の仕事があり・・・最近離れ離れなのだ。

苦笑しつつ、悠太も床に入る。

「娘さんたち、悠太目当てで来るんだから、店に悠太がいないと怒るんだよ。

それに、悠太が”こういうの、似合いますよ〜”とか言ったら、皆ホイホイ買ってくんだから〜」

大きな老舗の裕福なお嬢さん、奥さん達は苦手だ。奉公に来た丁稚達との貧富の差に憤る・・・・

「そういうの、苦手なんです」

「そうかい」

悠太は元は武家の若様なのだ、女に媚びて商売なんて、向かない気が誠次郎はした。

「そうだねえ・・・で、悠太、もうすぐ16になるだろう?元服だね〜」

ああ・・・・

そういうものか・・・あまり実感が湧かない

「月代剃るのかい?」

廓では皆、女髷を結う為、もちろん剃らない。悠太も前髪をそのままにしていた。

「そうですね」

「剃った方がいいよな・・そのままだと、ソッチのオジサンに狙われそうだし・・・」

 廓のイメージから脱したい気もした。

「お妙さんに頼むか?」

「そうですね。」

「でも・・・もう、そうなると女装は無理だな・・・」

少し残念な誠次郎。

「剃る前にもう一度、振袖着ておくれ〜」

若旦那・・・・苦笑する悠太。

これはマザコンの現れである。

源蔵が母、志乃に悠太が似ていると言った為に、彼は悠太の中に母親を見つけようとしているのだ・・・

「若旦那・・・若旦那が剃るなというなら、剃りません」

う〜〜〜ん

とても真剣に悩む誠次郎・・・・

「17歳まで待ってもいいし・・・」

「でもな・・店のもんの手前もあるし、いつまでもおぼこい身なりは舐められるし」

そういうもんですか?

悠太は破顔う・・・

「若旦那は、お母さんの記憶無いんですか?」

「うん、小さかったからね」

もう今は、母も父も、兄もいない。

「剃ったら・・娘さんのファンが増えるよな・・・」

結城屋のイケメン、看板丁稚な悠太・・・貰った恋文は数知れず・・・・

「隠しときたいよ・・・まったく」

 「若旦那も、黙っていると、いい男なんですけどねえ・・・」

緊張感がまるで無いのがいけない。

 

兄、誠太郎の死より誠次郎は変わってしまったらしい。

一週間の間、閉じこもり、出てきた彼は笑顔だった。

皆は誠太郎を吹っ切ったのだろうと安心したが、違う。”自分”を封印したのだ。

どうでもいい人生を生きて、何の楽しみもなく、哀しむ事もなく、怒りもせず、ただ、へらへらと生きていた。

こだわりの無い彼が、唯一こだわるのは悠太の事。

悠太と出会って、誠次郎は明らかに変わった。

病的な独占欲と依存。昔、子供の頃、失った総てを取り戻すかのように彼は悠太という存在を貪る。

 

悠太は結城屋に来て、すぐの頃、源蔵に詰め寄られた。

ー悠太、お前は生涯、若旦那だけを愛しぬく覚悟があるのか?そのうち、女見つけて嫁貰うつもりなら

出て行ってくれ。若旦那だけ見て、若旦那だけに尽くせるならここにいろ。

やっと見つけた唯一無二を、あの人が失うとこ見たくねえんだー

ー私が・・・あの方の唯一無二だと・・・−

ーおまえがいなきゃ、あの人はまた、どうでもいい人生送ることになる。嫁貰う事も跡取りも諦めた。

お前とどんな関係になろうとも反対しない。いや、むしろ誰も愛せないあの人が誰かを愛せるのなら

祝ってやりたいくらいだ。だから・・・・若旦那を頼んだよー

 

愛されている自信など、悠太には無い。

ただ、他の人よりは、自分は誠次郎の近くにいる。それだけ。それだけでもよかった。

傍にいたい人、誰よりも大切な人。源蔵に言われるまでもなく、彼の中には誠次郎しかいない。

誠次郎だけでいい。

水揚げされて、旦那がついても、他の誰かに身請けされても、死ぬまで誠次郎だけだったと思う。

だから、やきもちをやかれる事が嬉しくて、連れて歩かれる事が嬉しくて、隣で眠れる事が嬉しくて・・・・

さらにどうすれば、この人を縛り付けて、自分のものに出来るのかなどと考える自分がいて・・・・

そこまで考えて悠太はため息をつく。

 

「悠太・・・寝たかい?」

「いいえ」

暗闇に二人の声が響く。

「本当に悠太から見て、私はいい男なのかい?」

「見かけだけでなく、存在総てが魅力的です」

心の傷さえいとおしい・・・

「こんな私でも、誰かに愛されるのかな」

「私は・・・愛しています」

そうか・・・・

悠太が隣にいると安心して眠れる。悠太がいないと眠れない・・・

まるで乳離れできない子供のようだ。

「重荷だったら・・・無理しなくていいんだよ。こんな情けない主人、愛想が尽きるだろ?」

(いいえ、もっと、もっと、若旦那を虜にしたいです、他の誰も間に入れないくらい)

声にならない想いが悠太を支配する

「私は、若旦那が私を捨てても、貴方の元を離れませんよ。死んでも付きまといます。覚悟してください」

冗談のように放たれた言葉に、誠次郎は癒される。

静かに涙が耳を濡らす

悠太に出会ってから、誠次郎は泣き虫になった。

涙など枯れたと思っていたのに・・・哀しい感情さえ感じなくなっていたのに・・・

 

悠太と出会って、涙は温かいものなのだと知った・・・・

 

TOP     NEXT

 

ヒトコト感想フォーム
ご感想をひとことどうぞ。作者にメールで送られます。
お名前
ヒトコト

 

 

inserted by FC2 system