回帰2

 


桜花学園の門を、馨と光輝は何十年ぶりかで潜った。

校庭には桜が咲き乱れ、佇まいはあの頃と変わりない。あの頃のままのエデンの園である。

変わったのは、自分。馨は自分を振り返る。

生き直すことは出来ない、過去を無かった事には出来ない。でも、塗り替えては行ける。

「光輝、ありがとう。感謝している」

ここでの光輝との出会いは、最悪の因縁のように思えた。しかし、時を経て、鷹瀬光輝という男が、自らが心中未遂を起こした鷹瀬光洋の息子が

今、自分にとって最愛の唯一無二になっているのだ。

「いきなり何?お礼は寝室でお願いします。言葉でなくて、行動で示して」

「ここは学校だぞ?不謹慎だろう」

相変わらずの光輝らしさに苦笑しながら、馨は空を仰ぐ。

あの頃の、どんよりとした重い心の上に広がる青空は、あまりに遠くて孤独感が増したが、今、光輝とともに見る青空は、何と近いのだろうか。

手を伸ばせば届きそうだった。

「堕天使はアポロンによって、天に帰った」

今ならはっきりそう言える。

「違うだろ?お前は元々、堕天使なんかじゃなかったんだ。オヤジにとっても俺にとっても、お前は天使で有り続けた。どんなに傷ついてもお前は天使で有り続けた

そう思うよ」

堕天使だろうが、天使だろうが、馨にはもうどうでもいい事だった。アポロンの傍にいられるのなら。

「俺が天使でも、堕天使でも、お前がアポロンであることには変わりない。それでいい」

「それこそ、どうでもいいんだけどな」

校舎の入口で、馨は躊躇う。同窓会の中に入ることを。

「教室に入るのは・・・」

「少しだけ、顔見せて、中庭に行けよ?みんな会いたがってると思うし・・・」

光輝は馨の背を押す。

確かに、担任だった福田に会いたかった。

あの頃は自分の抱えていた事情を何一つ語ることはできなかったけれど、それでも無条件に彼は受け止めてくれた。

たとえ、軽蔑されたとしても、会って礼を言いたかった。

階段を上り、3−Bの教室の戸を開ける。

集合時間より早く着いたため、人は少なかったが、福田は来ていた。

「先生・・・」

馨を見ると福田は懐かしそうに駆け寄った。

「佐伯先生。随分成功されて、もう雲の上の人で、お会いできないかと思っていました」

相変わらずの人の良さで、馨を包み込む福田・・・

「そんな・・・あの頃は大変お世話になりました。なんと申し上げていいか、いろいろ申し訳なくて・・・」

「辛い事情をお持ちだったのですね、私はなにも、お力になれませんでした」

いいえ・・・と馨はあの頃のように教壇に立つ。光輝の席は後ろの、向かって右側・・・

そして、窓に目を向ける。この窓からよく、下校する光輝の姿を見ていた・・・

全てが遠い昔。

「先生は、あの頃の唯一の俺の頼りでしたよ。ここでなんとか無事に過ごせたのは先生のおかげでした」

福田に握手を求め、馨は微笑む。感謝している、しきれないほど感謝している・・・

当時の副担任だった佐伯先生もぜひ・・・という誘いを断り、中庭に向かう馨を、少し離れところで見ていた細川雄二は、そっと光輝に近づき、微笑んだ。

「幸せそうで何よりだ。お前も、佐伯先生も」

「ありがとう」

学生時代、親友だった、しかし、彼の思いをはねつけ、傷つけた・・・そんな細川に光輝は今にも泣き出しそうな笑顔を返した。

「しけた顔すんな!最愛をゲットして、自分自身も教授として成功してるんだから」

バン、と肩を強く叩かれ、光輝はようやくこの親友に昔ながらの明るい笑顔を見せた。

 

 中庭の木にもたれてタバコを吸うのは何十年ぶりだろうか?

光輝と、ここで愛憎劇を繰り広げたのはもう、遠い昔の事・・・

 

「馨・・・」

どのくらい物思いに耽っていただろう、光輝の声に振り向けば、あたりは少し暮れかかっていた。

「暇しなかった?寂しくなかった?」

ああー馨は破顔った。気付いてしまったのだ。

思い出の中の光輝と一緒だったから、時間の経つのも忘れていた事を。

「今、気付いた」

何を?首をかしげつつ、光輝は馨に近づく。

目の前に来た光輝の手を取り、馨はそれを、自分の胸に押し当てる。

「俺の中にお前がいるということ」

肩をすくめて光輝は、馨を抱きしめた。

「今更だな〜俺はアメリカにいた時も、そう感じてたぜ?別れても、会えなくても、俺の中からお前は消すことが出来なかったからな」

離れて過ごした期間は決して無駄ではなかった。光輝の中で、馨という存在を確かなものにする期間だったのだと、光輝は実感している。

「それからーえーと・・・」

スーツの内ポケットから光輝は何かを取り出した。

「左手出して」

と馨の左手を取り、薬指にリングをはめた。

「遅くなったけど、正式の結婚指輪。もう隠す必要もないだろう?薬指にしていいよな?」

と言って、元々していたカップルリングを中指から外す。

「これ、ケチついたから、いつかはちゃんとしなきゃな〜と思ってたんだ」

とリングを空高く投げ上げた。

「もったいないだろ?」

遠くに去っていったリングを目で追いながら残念がる馨に、光輝は自分の結婚指輪を手渡す。

「さあ、はめてくれ」

ああ・・・頷きつつ、馨は光輝の左手の薬指にリングをはめた。

「こういう、突き返されて、またはめ直して・・・っていう縁起の悪いものは・・・」

と自分の中指のリングを外し、それも空高く投げ上げた。

「ここに捨てていくんだ・・・」

全てをここでリセットして出発したいー

光輝が、馨をここに連れてきた本当の意味は、ここにあったのだ。

「ありがとう」

ここからもう一度始まることができる、希望が見える・・・馨は光輝を見上げた。

「じゃ、誓いのキスでもしてくれるかな?」

頷くと、馨は光輝の両肩に手をかけ、向かい合った。

「私、佐伯馨は鷹瀬光輝を、生涯愛し抜くことをここに誓います」

だんだんオレンジ色に変化してゆく空の下、馨は光輝にくちづけた。

もう一度ここから始めよう。これからは未来だけを見つめればいいー

「うん、ちょっと満足」

夕暮れのなかで光輝は笑う。

「ちょっとかよ?」

「だって、昔ここで馨が俺にした濃厚なヤツ・・・してくれなきゃ」

昔、馨は高校生の光輝を誘惑するためにキスを仕掛けたことを思い出す。

「それは、誓いのキスにふさわしくないだろう?」

「じゃ、俺がお返しに、濃厚なのしていい?」

ええ?!人が来るかもしれない事を心配してひるんだ馨を押さえつけるように、光輝は馨にくちづけた。

幸い、暮れてゆく夕闇にそれは隠された。

「あ、やばいな・・・」

「まだ何か?」

いきなり馨は木に押し付けられた。

「我慢できなくなった・・・」

「用足すんなら、後ろの木でも・・・ええっ?!」

木と光輝の間に挟まれた馨は小さな悲鳴をあげた。

「そっちじゃなくて・・・こんなんで帰れないから、ここでしていい?」

先ほどの濃厚なキスに反応したらしい、光輝の下腹部が、馨の腰に押し付けられる。

「それはまずかろう?ここは学校だし、お前、大学教授だろ?」

「じゃ、手でして、口でもいいけど?」

「いや、大丈夫、もう暗いから、幸い車で来てるし。家まで我慢しような」

光輝を抱えるように馨は駐車場に向かう。

「ええ?!」

「もう!指輪、結構感動したんだぞ?いい雰囲気をぶち壊すんじゃない!」

「いい雰囲気だから、ここで愛を交わそうって言うんじゃないか?」

いや、それ違う!!

「帰ったら、口でも手でもしてやるから」

「嫌だ!帰ったら、馨の中がいい!」

あほか・・・馨は頭を抱えた。そういう、可愛い教え子なのだ。

 

「今日は来て良かったよ。ありがとう」

帰りの車の中で馨はふと、そうつぶやく。

「もしかしたら、馨にはトラウマなのかなって、誘うの躊躇ってたんだ」

仕方なく車に押し込まれて、ハンドルを握っている光輝は、そう言って笑う。

「いや、本当に何にもなかった。憎しみも、恨みも、痛みも・・・お前のおかげで乗り越えたんだ」

「これからだよな?俺たち?」

ああ・・・頷きつつ、馨は運転席の光輝の肩に頭をもたせかけた。

完全なる幸福が存在するなら、今だと、馨は実感した。そして堕天使の終の棲家はアポロンの腕の中だと・・・・

 完

 

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