復帰4

 

午後一番の授業が終わり、教壇を降りてきた光輝に女子大生の集団が駆け寄ってきた。

「鷹瀬教授、佐伯馨先生がこの大学に来られるって本当ですか?」

「ああ、正式に教職に就く事になると思うけど。早耳だな、もう噂は広まっているのか?」

これこれ・・・と差し出された文芸誌に、佐伯馨の記事が載っていた。

「・・・これが佐伯馨の作家としての最後の出版となる・・・・なお、今後は大学にて国文学者としての道を

歩みたいとの旨を・・・なるほど、それでか」

光輝は、馨が自分にも秘密にしていた出版物とは、これだった事に気づく。

「ねえ、教授?この散文集、『天使の雫』は鷹瀬教授に捧げられた物なんでしょう?」

「さあ、そんな話は聞いてないけれど・・・」

「じゃ、サプライズで贈るつもりなのかしら、佐伯先生は?」

そう言いつつ、キャッキャッ言いながら去っていく女学生の後ろ姿を見つめながら、光輝はため息をつく。

佐伯馨は何をしても話題になる。スキャンダル性というよりも、何かしら目立つのだ。

 

ーなあ、産休に来た先公、イケてないか?ー

高校時代、そう言いながら、光輝に馨を堕とすよう賭けを持ち込んだクラスメイトがいた。

あの頃から、馨はどこか皆の気になる存在だった。

男など相手にするはずのなかった光洋がのめり込んだ程に。

遊びで近づいた光輝が、ミイラ取りがミイラになり、命懸けで愛するハメになる程に。

それは必ずしも幸運な事ではないけれど、不幸な傷跡さえ彼の魅力となってしまっている事は否めない。

大学内のカフェに行き、コーヒーを飲みつつ、先ほどの女子大生が光輝に渡した文芸誌の、馨の記事を

読んでいると、突然、正面のスクリーンのテレビの画像が目に入った。

それはちょうどお昼のワイドショーで、先ほどの『天使の雫』の出版記念と、佐伯馨の引退式を

同時にしている場面だった。

ーこれは鷹瀬光輝教授に捧げた、過去の声明文の返信だという声もありますがどうなんですか?ー

記者の一人が、そう質問していた。

ーご想像にお任せします。ただ、今回の出版は、そういう私的な目的でなされたのではなく、全ての人の

心の内にある人を恋い慕う想いを代弁したもので、誰かをひたすら愛し続ける人達、皆に贈る応援歌とも

言えます。そしてこれが私の読者の皆さんに贈る最後のメッセージですー

(おいおい・・・)

光輝はあたりを見回す。周りが光輝に注目していた。この映像を見てどんな反応を示すのか・・・

そそくさと立ち上がり、スクリーンに背を向けて立ち去ろうとした時、背中越しに馨の言葉が聞こえてきた。

ーそれでも、やはり、私は今まで最愛のただひとりの人のために文章を綴っていたのかもしれません

矛盾していますが、その人に、本当の自分の想いを文章の中に見つけて欲しかったのかもしれないと思うので

すー

招待講師として渡米した時、光輝は佐伯馨の著書を全部持って行って、馨と離れていた期間ずっと読み続けて

いた。それが馨の形見で、抜け殻のように思えて・・・

まるで、光源氏が空蝉の残していった衣を抱きつつ、叶わなかった恋を懐かしむように。

確かに、行間に馨の血を吐くような想いを見たり、一途な愛情を見たりして、いつも馨をどこかで感じて

いられた気がする。

 

ー百人一首のほとんどが恋歌であるー

馨の古典の授業での言葉を思い出した。

 

ーこれは不特定多数に発表する歌もあったかもしてないが、実は個人的な恋文のやり取りであったと推測できる

そんな人のラブレターを私達は盗み見ているという違和感は否めないが、それでもなお現代にまで

語り継がれている理由は、人を想う心は今も昔も変わらず、共感されているという事実ではないだろうかー

 

そう語っていた高校教師だった頃の馨・・・

中庭に出ると秋の日差しが眩しくて、光輝はふと手を翳した。瞳から涙が溢れてきたのは、ただ眩しいからでは

ない。

(俺はいつも一人じゃなかったんだ・・・)

銀杏の葉の黄金の輝きに魅せられ、立ち止まるとそこから日光が差込み、まるで精霊が降臨してくるような

神々しい光景が広がった。

(そう、天使はここに降臨する。堕ちてもあいつは天使だったんだ。俺の中でずっと天使だった)

 「光輝」

振り返れば馨がゆっくりと近づいてくる。

一瞬、幻かと目を疑い、目の前で立ち止まった馨の肩にそっと手をかける。

「お前の部屋に向かう途中だったんだ。こんなところで逢うとはな」

先ほどテレビの画像で見、今ここで実物が目の前に・・・とても妙な気がした。

「何をぽかんとしてるんだ?行くぞ。コーヒーくらい入れてくれるんだろ?」

「ああ」

2二人で歩き出すと、光輝はふと我に返った。

「あ、学長に挨拶に行ってきたのか。いつからここに来るんだ?」

「ああ、さっき手続きは済んだよ。来週の月曜から一緒に通う事になるな」

「今、お前に凄く逢いたいと思ったんだ。そしたら現れた」

部屋のドアをあけながら、光輝はそう言って笑った。

「それでぽかんとしてたのか?」

うんー頷いてポットで湯を沸かし、コーヒーカップを取り出す光輝を見つめつつ、馨はソファーに腰掛け、

光輝がテーブルに置いた文芸雑誌を手に取る。

「それ、俺の生徒が見つけて持ってきた。目ざといだろう?こんな事がこれから毎日あるんだぜ?」

馨に背を向け、コーヒーを入れつつ、苦笑する光輝に、馨は微笑みかける。

「別にいいだろう?公認なんだから。声明文のおかげで確かに心が楽になった。光輝のおかげだ」

ずいぶん図太くなった恋人に、逞しさを感じつつ、光輝はコーヒーをテーブルに置く。

「そして、これ。店頭に出る前に真っ先にお前に渡したかったんだ」

テーブルに差し出された馨の新刊、「天使の雫」。淡いブルーの表紙がとても馨らしかった。

「お前の声明文の返信の代わり。記者には否定したけど、そのつもりで書いたから、そのつもりで読んでくれ」

 「これが馨の最後の本かぁ」

ため息混じりに光輝は本を手にする。なんとなく寂しいような気がして、開く事さえためらわれた。

「人生相談のレギュラーも無理言っておろしてもらった。しばらくは大学に専念する」

片手間で出来るものではない事を、知っているが故の決断だった。

「そうだな、そろそろ俺だけのものになってもいいよな。テレビの中のお前は遠すぎて、寂しいんだ」

うん、馨は頷く。ガラではない事は自覚していた。

「もう、ひっそりと暮らしたいなあ」

それは無理だ。光輝は笑いながら馨を見上げる。

おそらく、光輝と馨が同じ大学にいるだけで、生徒たちは注目するだろうから・・・

「まあ、とにかく新しい出発、おめでとう。歓迎するよ」

やっと自分の懐に馨が戻って来たような気がして、光輝は嬉しさを隠せないでいた。

 

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