復帰3
「その話、そろそろしょうかと思ってたんだが・・・」
夕食後のティータイムで、学食での服部との話を持ち出した光輝に、馨はそう言って笑った。
「じゃ来るんだな?」
「準備中だ。今、最後の出版を手がけていて、これができれば正式に服部教授の助手として入ることになる
かなりブランクがあるから、助教授じゃなくて助手から始めようと思うんだ。でも多分あちこちの大学に
特別講師で呼ばれて忙しくなると思うけど」
ソファーに並んで腰掛けて、まったりする事が近頃の2人の日課になっていた。
「え、忙しいのはダメだぞ?」
「忙しくなっても、お前とはちゃんとするから心配するな」
そう言いつつ、光輝の肩に腕をまわし、馨は微笑んだ。
「マジ?でも、なんで俺に真っ先に言わないんだよ?」
「お前、忙しかったから・・・」
「お前より最優先することなんて何もないんだぞ?俺拗ねるからな!」
「拗ねるなよ」
と、いきなり光輝の耳たぶに唇を押し付けた馨に、光輝はビクッと体を震わせた。
「おい、いきなりなんだ?お前らしくないぞ?」
「今まで愛情表現が不足していたから、これから補おうと・・・」
いきなり別人のようになった馨に、光輝は眉をしかめる、何か嫌な予感さえしてきた。
「・・・まさかヘンリーが何か、余計な事を言ったんじゃないだろうな?」
「ああ、色々言われて反省させられたけどな。お前のためだけを考えて今まで来たけど、それが本当に
お前を幸せにしてこれたのかどうか、考えさせられたよ」
溜息とともに、馨は光輝の肩に頭をもたせかける。
「結局、お前を不安にさせるだけで、何もしてやれなかったって・・・」
不安 ー 確かに光輝は常に不安だった。父、光洋と馨の関係に不安になり、馨の自分への愛情に不安になり・・・
しかし、本気の恋とはそんなものだと諦めていた。
「本気じゃなきゃ不安にもならないさ。昔、馨に出会う前の俺は、どんな女とつきあっていても不安になんか
ならなかったからな。いや、むしろどうでもよかった。そんな関係に嫌気がさして、つきあっては別れ
つきあっては別れ・・・を繰り返してた」
あの頃は、そんな光輝を馨は軽蔑していた。そしてその姿に父、光洋の面影を見て、嫌悪した。
「だから、仕方ないんだ。より多く惚れた者が負けるんだ。覚悟済みさ。それでも、どんなに苦しくても
馨が欲しい、馨がいい」
「でも今までの分、償うよ。今までの何十倍もお前の事、愛するから・・・」
少し体の向きを変えて馨は光輝にくちづけた。
「それは、むちゃくちゃ嬉しいけど、身が持たないかも」
馨を抱えるようにソファーに横たわらせると、光輝はその上にのしかかる。
馨の脳裏に浮かんだ高校時代の光輝が、一瞬で現実の大人びた光輝に変化した。
「自制きかないから。ただでさえ抑えてるのに」
腹いせに馨が翻弄しようとした高校生頃の光輝はもういない。もう、彼は馨に翻弄される事もないのだ。
何もかも受け入れて、目の前の堕天使をただ、包容しようとする穏やかな太陽神(アポロン)なのだ。
「ここじゃちょっと・・・せめて、電気消せ」
ジタバタする馨の抵抗も虚しく、シャツのボタンが外されてゆく・・・
「平気さ〜いつもしてる事だし」
「こんな明るいところではしてない!」
にっこり。焦る馨の言葉を、光輝は笑顔でかわした。
「半脱ぎの風景もなかなかのものだな〜」
おい!馨は真剣に困り果てていた。
「もう若くないんだから、見苦しいし、お前萎えるぞ?」
「え?昔と全然変わらないぜ?40代のおっさんとは思えない肌のハリだな〜」
そう言いつつ、首筋から胸元に唇を這わせる光輝を、馨は睨みつけた。
「本気で言ってるのか?」
「若けりゃいいってもんじゃないだろ?今の馨のほうが抱き心地いいぞ?」
「どう言う意味・・・」
「う〜んと・・・馴染んできた感じかな。ドキドキ感より、こう、癒し感っていうか・・・あと開発されてきたかな〜とか」
よくそんな事を・・・少しむっとして馨は光輝の頭を右手で押しのける。
「どういう事だ?」
「お前、俺より経験値低いだろ?そういう事。正直に言えよ〜初めの頃より今の方が感度は上がってるだろ?」
呆れ顔の馨に、光輝は押しのけられた。
「無駄口叩いてないで風呂入れ!それまでおあずけだ」
はーい 急に学生のように従順になった光輝は浴室に向かう。
実は、こういうやりとりが楽しくてからかっただけなのだ。
光輝を浴室に送った後、窓辺に佇み、月を見上げつつ馨は久しぶりに昔の事を思い出した。
忘れようとしても、記憶の片隅に陣取って自己主張をしていた、消し去りたい過去の記憶。
ふと、手首の傷を見つめる。傷を気にしなくなってもう何年も経つ。今ではもう隠すことも無い。
傷に対してなんの感情も持たなくなって、光洋の事も忘れていた。
そんな時期が来るとは思いもしなかったが、光輝といても光洋を彼の中に見る事はない。
馴染んできた・・・光輝にそう言われて、馨はふと、光洋に言われた事を思い出す。
ーまだ慣れないのか・・・お前は体を開いても、心は開かないんだな・・・ー
女を知らない身で、大学教授と、しかも妻子ある男と不倫・・・
不安はいつもついてまわった。いつかは終わる恋だと諦めていた。だから、心までは渡すまいと思っていた。
それでも案の定、苦しくなった。別れを切り出されてつきまとった・・・
光輝とも絶望的な関係だった。
かつての心中未遂の相手の息子で教え子。父とその息子を受け入れるタブー・・・
初めはやはり、どこかで終りを見ていた関係だった。
「そうか」
馨は笑う。いつの間にか馨の中に光輝は居座った。鷹瀬光輝という男は、いつの間にか自分の一部になった。
傍にいて当たり前の風景になった。何も憂る事なく、馨は光輝の傍で眠れる・・・・それが光洋と光輝の違いなのだ。
傷は薄れても消えることはない。しかし、人は変わってゆく。違う目で見れば過去の苦痛も、懐かしい思い出なのだ。
あの頃は傷に縛られていた、そして、いつの間にか傷から解放されたのだ。
おそらく、そうしたのは光輝。
「俺出たから、次入れ〜」
タオルで洗い髪を拭きながら光輝は馨の隣にやってきた。
「ありがとう」
振り向きながらそう言う馨に、光輝はなんの事か解らず唖然とする。
「なんだよ?いきなり」
「なんとなく・・・」
笑いながら浴室に向かう馨の背中を、光輝はただ見つめていた。
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